心変わり
子供の頃、アカリはお姫さまになりたかった。
女の子なら、誰だってそうだろう。
悪いドラゴンに囚われて泣いていたところを、素敵な王子様が助けてくれるんだ。
でも、そんなのは子供の頃の話で、だいたい、居るかどうかも分からない誰かが助けてくれるのを大人しく待っているのも面倒だから、困った時は自分で何とかしてしまう方だった。
だから、たまにはお姫さまになってみるのもいいよね。
……現実逃避は止めよう。
――輝姫になりきっていただなんて――。
先日、ラートハウスの帰り道からずっと、どうしてなのか分からないけれど、どうやら輝姫らしい振る舞いをしていたみたいだ。
今朝になって、そのことをアカリがはっきりと自覚した時には既に遅く、ミーシャちゃんと別れてしまった後だった。
とにかく、異世界生まれのミーシャちゃんと違って、転生したアカリにとってはすべてが分からないことだらけで、毎日普通に暮らしていくことでさえも頭が一杯一杯だったんだ。
だから、ラートハウスでの騒動や、大型馬車に潰されかけたことが重なってパニックを起こして、輝姫の振りなんて頓珍漢なことをしてしまったんだと思う……。
『おぃ、勇者スバル。あなたのお姫さまが困ってるんだぞッ!』
と、いくら念じたところで、輝姫の勇者スバルは颯爽と登場して助けてはくれない。
だから、きっとアカリが記憶喪失になったんじゃなくて、元から輝姫じゃないんだと思う。……そんなの当たり前よね……。
――という訳で、みんなの邪魔にならないように、しばらく勇者隊のことに関わるのは止めにしよう。そもそも、アカリが後ろ盾になるだなんて、とてもじゃないけど悪い冗談にしか聞こえない。
男爵との交渉? どうやっていいのかも分からないし、この間まで高校一年生だったアカリに何をさせようというのよ。
まとまる話さえ、どっか明後日の方向に飛んで行っちゃうわ。
――でも、女の子は移り気なもの……。
気になりだすと余計に止まらずに、いつの間にか、男爵家の場所をスマホのマップ・ナビゲーターで検索していた。
ちょっと様子を見てくるだけなんだから。挨拶に寄る程度、何の問題もないわ。
同じ城塞都市で暮らしているのに誰とも会わないなんて、逆にとっても不自然でしょ?
「輝姫さま、おはようございます。今日はアメリアが料理しました!」
メイドのアメリアがテーブルに朝食の準備をしながら言った。
「おはよう、アメリア。でも、なんだか悪いわ……。料理長は風邪でもひいたのかしら? 心配ねー」
「そんなに遠慮なんてなさらないでください。“専属メイド代理”として当然のことをしたまでです。――もちろん料理長は元気ですよ」
「え? じゃあなんでアメリアが料理を?」
「私の方が、輝姫さまのお好みを分かっているからに決まってるじゃないですか!」
自信たっぷりにニコニコしながらアメリアは、料理ののったお皿を並べていく。
やけに赤い色が目立つ料理ばかり……。
これって、全部、唐辛子よね…………。
「でも、ほら、料理長は栄養のバランスを考えたメニューなわけだし、好きなものばかり食べていると、偏食になるかもしれないし――」
「大丈夫です。ちゃんと考えてありますから。それに、朝食で辛い物を食べると代謝がよくなります。ダイエットにも効果的なんですよ! 輝姫さまのスタイルがいいのも、辛党だからじゃないんですか? 早起きして料理を作るのって大変ですけど、輝姫さまに喜んでいただけるのが嬉しくって!」
鼻歌まで歌いながらアメリアは朝から上機嫌だ。
――言えない。実は、甘党だなんて――。
本当は、朝、ハチミツをたっぷりかけたホットケーキとか食べたいのに……。
「そ、そうね、ありがとう。でも、料理長の仕事がなくなっちゃうでしょ。だから気持ちだけで十分よ」
「輝姫さまってお優しい。今まで、こっそりと唐辛子を振りかけて召し上がっていらしたんですよね? メイが休暇中だからって我慢することなんてありません。代わりにアメリアがついてますから! 合わないメニューに文句ひとつ言わなかったなんて、尊敬しちゃいます!」
「あの……、全然そんなことはないのだけど……」
朝から、アメリアが作ってくれた真っ赤な唐辛子と野菜の激辛リゾットを、アカリはギュッと目をつぶって覚悟すると口に放り込んで飲み込んだ。
――とたんに、全身がカッと熱くなると同時に汗が噴き出してきた。慌ただしくテーブルナプキンで額や顔の周りの汗を押さえる。
パンチの効いた辛さに、アカリは、パッチリと目が覚めたんだッ!!
でもすぐに涙目になりながら、冷たいミネラルウォーターを手に取るとビリビリする舌を冷やすのだった。




