輝姫と馬なしの車(後)
今からトランクを開けてハンドルやペダルを探している時間があるわけでなし――。このまま、スマホで車をラジコン操作するしかないかッ!
輝姫はシートベルトを締めて身体を固定すると、スマホをコントローラー代わりに、画面上のスポーツカーのアクセルボタンを指先で慎重に押し上げていく。
「任せて! せっかく転生して戻ってきたのに、そう簡単に大型馬車なんかに潰されてたまるかっての。対向車こないわねッ! それじゃ、行くよッ、ミーシャ!」
「ちょっ――ハイ――?」
白いスポーツカーのマフラーが火を噴くと、エンジンが唸り加速を始めた。
輝姫はスマホのコントローラーを使い、スポーツカーを大きく右に振ると、分離帯を越えて対向車線に飛び出した。
「女神さん、ちょっとアカリがグズったくらいで、気を遣わなくてもいいわ」
「キャアァアアァーッ!!」
予想だにしなかったいきなりの車の挙動に、てっきり横転したのかと驚いたミーシャが、カワイイ悲鳴をあげる。
慌ててアシストグリップを握りしめていた。
加速のGで軽くシートに身体が押し付けられる。
フロントウインドーから見える路面が物凄い勢いで流れて行く。遠くに小さく見えていた沿道の建物が、一瞬のうちに大きくなって後ろへと流れ去る。
牽引を解かれスポーツカーの負担がまったくなくなった馬も一緒になって全力疾走で駆け抜けて御者のヴァイスの要求に応えている。巧みな手綱さばきで巨大馬車をすり抜けて行く。
いくら大型馬車の八頭立ての馬の脚が速くても、巨大な荷台を引いた馬車が、牽引の空になった馬に、ましてやスポーツカーの加速スピードにかなうわけがない。
スポーツカーは流星のように白く光り輝きながら、一瞬のうちに男爵家の大型馬車を抜き去って後方に追いやると煙に巻いていた。
「フフッ、飛ばすとスッキリして気持ちいいわねッ! やっぱりスポーツカーはこうでなくっちゃ!」
「何度も、シートに背中を叩かれたーっ!?」
エンジンの鼓動を聞きながら、輝姫は上機嫌でクスリと笑ってミーシャにウインクして見せた。
とたんにミーシャは目を丸くして真っ赤になった。そしてキョロキョロと視線を泳がせると、すぐに身体を寄せて叫んでいた。
「姉さまっ! ま、前を見てください! すぐそこまで馬車が来てますからっ! このままじゃ、正面衝突ですよー!!」
あら、あの馬車――。
輝姫は絶妙なコントロールで前方に迫ってくる馬車をかわしながら、中央分離帯の切れ目から元いた車線に白いスポーツカーを戻した。
「うわぁー!! ねぇ! コレって全部、輝姫姉さまの魔法なんでしょ!? 凄い、本当に凄いよ! ミーシャの電撃なんかと全然系統の異なる魔法なんだねっ! もしかして、コレが神代の魔法なの?」
今までに体験したことのないスピードで目まぐるしくウインドーに流れる景色を、ミーシャは目を輝かせて落ち着きなく見ていた。
「あらあら、輝姫の魔力はね、転生する際に力を使い果たして枯れちゃったのよ」
「あっ、誤魔化そうとしてもダメっ! 今だって馬なしの車を自由自在に動かしているんだもの! 隠すってことは……呪禁!? 実は、そのメタルプレートが魔導書だったのね。魔方陣を指で描いてから魔法が発動して光るところまで全部、隣で見ちゃったんだから――」
よく通る声で、小振りな身体から伸びやかな手足をくるくる動かして、ミーシャは興奮してはしゃぎ回っていた。
輝姫は思わずミーシャの顔をしげしげと眺めてしまった。
さっきまでは、まるで捨てられた子猫みたいだったのに……。
トラックに潰されそうになって怖い目にあったばかりだというのに、まるで遊園地のジェットコースターにでも乗ってきたかのような感じだ。
そういえば、ミーシャはあの巨大甲虫型モンスターと遣り合うくらいなのだから、大型馬車が相手なんてただの遊びの延長だったのかもしれない。
「ミーシャちゃんは肝が据わっているのね。さすがに勇者スバルの妹だけのことはあるわ」
輝姫は、すぐ隣で今度は身体を押し付けるようにしながら賞賛の言葉を並びたてるピンク髪の美少女に思わず呟いた。
「輝姫姉さまこそ、スバル兄さんのことをよろしくお願いします。ミーシャの兄さんを安心して任せられるお嫁さんになれるのは、やっぱり輝姫姉さまをおいて他になんていません! 昔の勇者スバルと聖女輝姫さまの武勇伝は本当だったんだって、もう確信しましたからっ!」
ミーシャは勢い込んで言った。
「プッ……、武勇伝か。なつかしい……。昔はスポーツカーだったけれど、スバルったら今度はダンジョンから何を持ってきてくれるつもりかしらね? アカリとは時間をかけて分かり合っていけばいいわ。もう焦ることなんてないもの。さてと、とりあえず、この車はどこに向かえばいいのかしら?」
輝姫はフロントパネルのグローブボックスから偏光グラスを取り出してかけた。
「そんなところに小物入れなんてあったんですか? なんで輝姫姉さまのサングラスが、ミーシャの馬車の中にしまってあるの……」
「フフ、輝姫のお気に入りの車だったんだから、大事に乗りなさいよ」
「輝姫姉さまの?」
ミーシャには思いもかけないことだったらしく、声が高くなっていた。
たぶん――、輝姫がいなくなってから、スバルのところで放置されていたブリザード号を、ミーシャちゃんが目をつけてくれたのだろう。




