スーパー馬車
「さあ、輝姫姉さま、行きましょう」
ミーシャが言うと、さっそうとした足取りで午前中に騒ぎを起こしたロビーを通り過ぎて行く。
受付ブースでは昼過ぎになっても来客が途絶えることはなくゾロゾロと列をなしていた。
騒動など何もなかったかのように、交代したまるでお人形のように綺麗な受付秘書が、相変わらず忙しそうに応対していた。
ロビーのソファーでは、早く順番が来ないかとイライラして待っている人や、仕事仲間らしき人たちで談笑している人もいる。
「さすがに、あのエルフ似の受付秘書はいない――か」
逮捕されたと聞いたけれど、結局どうなったのかな? 騒動の原因は名簿の更新も絡んでいたから、とりわけ、あの秘書のせいってわけじゃなかったのよ。だからたぶん、事情を聴くだけですぐに無罪放免されるでしょうけど……。
「輝姫姉さまー!」
先に進んでいたミーシャが呼ぶ。アカリは再び歩き出してミーシャと並んだ。
「フフ、兄さんったら、他の人なんかと結婚しなくてよかった」
「まだスバルって独身なんだ? 勇者ならお姫さまにモテたでしょうに」
ミーシャはきょとんとしてアカリの顔を見ると、
「まさに輝姫姉さまが、そのお姫さまなんじゃない!」
と、吹き出して笑った。
「お姫さま……ねぇ……」
そんなにおかしなこと言ったかしら。でも、スバルだって男なんだから、今までだれか親しい女の子がいたっておかしくないと思うけど……。
ふと、余計なことを考えてしまうと、とたんに気持ちが落ち着かなくなった。
アカリは歩きながら――お姫さまだからって、みんながみんな勇者に惚れるわけじゃないんだと自分に言い聞かせて、神妙な顔をしながら歩いていた。
隣のミーシャは、輝姫の顔を時おり盗み見ながら、笑いをコラえていた。
「ジャーン! 輝姫姉さま、見てくださいっ! ミーシャ自慢の馬車を!」
ミーシャの声でふと我に返ると、もう 玄関ホールに差し掛かっていた。
アカリは正面玄関のあるホールに、場違いな白いスポーツカーが、まるで馬車のように馬に牽引されて停まっているのをマジマジと見つめた。ホワイトパールにヌルヌルとした反射光が、ピカピカに磨かれた床に照り返して眩しい。まるで空でも飛びそうな未来的なデザインに驚かされる。
「えッ! なによ、これって自動車――? 馬にわざわざ車を引かせてるのッ!?」
「アハハッ! 驚いた? 兄さんの趣味なのよね。昔、大迷宮から発掘してレストアしていったら、こんなのができたんだって!」
「どういう趣味してるのよ? それにしても変なダンジョンなのね……宝物の代わりにこんなのが出るなんて。でも、へー、あのスバルが……。やるじゃない」
その横に、四十歳くらいの男性が立っていた。御者だろうか。髪はグレー、やせ型で背が高く、くたびれたダークスーツを身に着けていた。なんとなく刑事を連想させた。サングラスをかけているせいで表情はよくわからないが、ジッとアカリの様子を伺っているのは雰囲気で分かった。
「輝姫さま、まるでお変わりなく……。どうぞ」
「はい? ええ、ありがとう」
サングラスの男は、丁寧に車のドアを跳ね上げるように開けてくれた。微かにオーデコロンの香が漂ってきた。
――ええと、まったく覚えがないんだけど、どこかで会ったかしら?
そんなことあるはずがない。アカリは異世界に来てから、まだ、お屋敷の中くらいしか出歩いていないのだから。となると、輝姫の知り合いかな。
車内をのぞき込むと、運転席周りにあるはずの、ハンドルやシフトレバー、アクセル、ブレーキペダルなどがなかった。
やっぱり見てくれだけのハリボテで、普通の馬車だったのかな?
アカリが着物をひっかけないように気を付けながらドライバーズシートに乗り込むと、御者は丁寧にドアを閉めてくれた。
さっそく御者は、馬とスポーツカーの間にある牽引馬車に乗り込み動かそうとした。
御者が馬を制御するためだけの小さな牽引馬車とスポーツカーが、連結器によって繋がれているようだ。
「アッ、ちょっと、ミーシャを忘れないでよっ!」
慌ててミーシャが隣の助手席に飛び乗った。
車に乗っているのに、馬に引かれて走るなんて変な気分だ。
動き出して分かるが、微かにエンジンは動いているようだった。でも、エンジン音が全然違った。まるでモーターのような軽い音だ。たぶん電気か魔法のような何かで走っているのだろうか?
これなら車重が馬の負担になることもないんじゃないかな。
車体からの振動や変な軋む音が聞こえてくることもなく、静かに走っている。
それに内装が豪華だった。柔らかすぎず硬すぎない総革張りのシート。座りごこちは最高。まるで輝姫のためにつくられたオーダーメイドみたいにピッタリとおさまる感じがする。腰掛けた時の腰の安定感が抜群だった。
エアコンもついているし、昔ながらの馬車と違ってやっぱり車は快適だ。妹のミーシャちゃんのためだけに、ここまでこだわった車を造りあげるなんて、スバルはかなりのシスコンなのね。
溜め息をついてシートに深く腰掛けると、思わずミーシャを見つめていた。
――ブレザーから見え隠れする伸びやかな手足、締まった身体に小顔が小動物を連想させて愛くるしい。そりゃあ、スバルが大切にするわけだ。
ん? でも、小柄なミーシャちゃんにはサイズが合ってないかも。成長を見越してってことかしら……。
ミーシャが小首を傾げて見つめ返していた。
「どうかしました?」
「とてもいい車ね。馬に引かせるってのがよく分からないけれど、贅沢ってことなのかな」
「馬のない車って、牛にでも引かせるんですか? ははぁ……、輝姫姉さまってスピード出るのは苦手なんですね。安心してください、ちゃんと御者にゆっくり走らせますから」
「まったくもう、あのね――これは自動車なんだから、エンジンも生きてるみたいだし――」
不思議そうな顔をするミーシャを見て、やっぱりここは異世界なんだとアカリは思い直した。




