ラート国主+バウムクーヘンと輝姫
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分厚い絨毯が敷き詰められた学校の教室くらいの広さの部屋、ゆったりとした応接セットの向こうには、細かな紋章のような飾り彫刻が施された大きな机があった。
そこで、国主さまは苦い表情をしていた。かっこいいというよりも、渋いというほうがよく似合いそうな素敵なオジサマだ。
城塞都市を預かるまだまだこれからが男勝りなラート国主は、輝姫の父親である。
だが、肩書も、キャリアもいっさい通用しない相手を前にして、人生経験豊かなラート国主も、ときたま愛想笑いを浮かべてじっと聞き役に徹するしかなかった。
――受付で思わぬ不手際があり、最愛の娘である輝姫の機嫌を完全に損ねてしまったようなのだ。
おっかない顔で睨みつけられながら、文句や愚痴を叩きつけられていた。
うちの姫がただ受付を通しただけで、剣どころか催涙ガスにハンドグレネード、果ては電撃まで飛び交うことになろうとは、誰が予想だにするものか――。
頼むから冗談だと言ってくれ!
輝姫の小さな頃はおとなしくていい子だったのに、勇者スバルと付き合いだしてからおかしなことに…………。
いや、今はそんなことはどうでもいい。これ以上、輝姫の神経を逆なでしてどうする! ここは慎重にだ……。
ラート国主は自分に言い聞かせると、重い口を開いた。
「うんうん、それは大変だったね。担当の官庁にはよく言い聞かせておくから」
「当たり前ですッ!」
「……そんなに怒らなくても……。輝姫の大好きな焼き菓子を一個とっておいたんだ。バウムクーヘンでも食べないかい?」
机の上に紙に包まれたお菓子を出すと、ラート国主は聞いた。
「へぇー、異世界なのにバウムクーヘンまであるんですね……」
「何言ってるんだよ。子供の頃はいつも喜んで食べていただろう」
輝姫は首を傾げると手に取った。
「あっ、そうそう、肝心なことを言いそびれるところでした。女神さんからの御神託です。――――というわけで、巨大な甲虫型モンスターが来襲しますのでお忘れなく。それから、国主のオジサマにお願いがあります! ぜひIDカードを発行していただかないと、先ほどのようなことがまた起こるかも――」
話の途中で、ラート国主が素っ頓狂な声を上げた。
「少し待ちなさいっ!! 今、さらりととんでもないことを言って次の話に移ったけど、御神託――モンスターの話をもっと詳しく聞かせてくれないかな? 身分証については、公の身の私たちには必要ないものなんだよ」
輝姫はムゥーと口を尖らせた。
「IDカードは必要ないとおっしゃいますが、現に今さっき、受付でテロリスト扱いされました。輝姫を庇ってメイさんが倒されてしまいましたし、ぜひ必要だと思うのですがッ!」
「いや――、それは、まだ名簿の更新作業の前で、輝姫の名前が掲載されていなかった為に起きてしまったことだと聞いているが……。そんなことよりもだ、モンスターについて――」
「そんなこと……、そんなことっておっしゃいますか!? 名簿の記載ひとつで、メイさんは放電に撃たれて気絶までさせられたんですよ! 輝姫だってやられていたかもしれません! 聞けば、ラートハウスはお屋敷の内だそうですが、それでもこんな目にあうんです。ぜひ、安心して暮らすためにもIDカードを発行してくださいッ!!」
「輝姫、昔からの慣習で王族に身分証はないんだ。お前もよく知っているだろう……いや、スマン……何も覚えていないのだったな。――それで、御神託の件を――」
「輝姫の名前でムリでしたら、アカリの名前で発行してください! もちろん王族ではございませんので、それなら可能でしょう?」
「ああもう、そんな我がままを言って! 輝姫は頑固なんだから――。よし、分かった。身分証の件については、――善処しようか……」
「絶対ですよ、国主のオジサマ。お約束しましたからねッ!」
「あっ、ちょっと、輝姫、話はまだ――」
輝姫は執務室を出ようと踵を返したが、また振り返ると、
「モンスターのことなら、既にミーシャちゃんが遭遇しています……」
と言って、そそくさと出て行ってしまった。
ラート国主はしばらく放心すると、激務による疲れと眠気にドッと襲われた。もう中年で若くはないのだ。連日の徹夜続きでバテバテである。
それというのも、輝姫が予言通りに転生して現れてから、三日三晩寝ずに看病を続けたから無茶なスケジュールとなってしまったのだが……。
いくら国主としての仕事が忙しかろうと、心配ないと言われようと、父親としては、一度はあきらめた娘を医者やメイドたちだけに任せるような真似は絶対にできなかった。
それなのに、愛娘の輝姫からはオジサマ扱いされ、まだ、お父さまと呼んでももらえない。
「ダメ親父だと思われているのかもな……」
大きな欠伸をして呟く。手を口元に当てるとあごに伸びてきた髭がざらついた。
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