雷撃
だが――、この黒い、まるで鎧兜を全体にまとった巨大な甲虫のようなモンスターは、動きを止めることもなく森を切り裂きながら平然と移動し続けていたのだった。
大型とは聞いていたが、目の前にしてみるとミーシャが思っていたよりも数倍も大きく感じた。
「うわっ! こりゃあ、まずいですよ、ミーシャさま!」
「マズイって何がよ!?」
ミーシャはサポートのベント騎士を睨んで言った。剣を手で探るがモンスターの巨大な爪と見比べて、何の意味があるのか、と思ってやめた。
「コイツは電気ショックで脳が麻痺して惰性で動いてるだけよ。ミーシャの雷撃がまったく効かないなんて、あり得ないんだから!」
自分に言い聞かせるようにミーシャは声をあげた。ピンクの髪を振り乱して巨大甲虫型モンスターの進路から退避行動をとりつつも、呪文の詠唱を始めていた。今度は二重詠唱――、短縮呪文ではない、魔力を全開にした本気モードでだ。
ミーシャは後ろに回り込んだ。
敵の死角から攻撃するのは鉄則だと兄さんが教えてくれた。
「もう、手加減した様子見はお終いよ。黒焦げになってずーっと寝てなさいっ!!」
ミーシャの身体に青い放電が走る。モンスターを指さすと、次の瞬間、真っ白な稲光と爆発音のように大きな雷鳴が轟いた。稲妻がモンスターを撃った。それも二本同時に雷が落ちたのだ。森を雷光が照らす。
「……ハァハァ、あっ……」
ミーシャは肩で荒く息をすると、フラッと膝を折って地面に伏せった。
……さすがに、フルパワーで魔力を放出すると堪えるわね。でも、これで――。
雷撃で一気に全身の力を使い果たしたミーシャは、腕で重い身体を支えあげて、土埃の中のモンスターに目を凝らした。額の汗をリストバンドで拭った。
――巨大な黒い影が目の前まで迫って来ていた。モンスターの巨体の振動が大地を揺らす。
「ヒッ――! な、何もダメージを受けていないというのっ!? そんなことって、あるわけ――ッ!」
表情を硬くしたミーシャは、慌てて立ち上がろうとして前のめりに転んだ。
「な、何よ、このくらいっ! ミーシャは勇者の妹なのよ。なのに、もう、なんで力が入らないのよ……」
いくら頑張っても膝はガクガクと震えるだけで、まるで腰が抜けたように立ち上がることができなかった。急激に魔力を消耗したせいか、まったく足腰が言うことをきかなかったのだ。
後ろからサポートについて来ていたベント騎士が、急いで駆け寄る。
「大丈夫ですか? いきなり雷撃を三連発なんて無茶、止めてください。後方から弓隊の援護射撃がきますから、それに乗じて脱出します!」
「冗談じゃないわ! ミーシャを誰だと思ってるの? あんなのただの小手調べに決まってるじゃない。――あっ、こら、ベント、やめなさいっ!」
すぐさまベント騎士がミーシャを背負うと、巨大甲虫の脚の間を縫うようにして全力で逃げ出した。
後方に展開していた弓隊から放たれた弓矢の雨が、モンスターを叩いていた。
その間に、ふたりは待機させていた馬で戦域を抜け出した。
……よりによって、兄さんがいない時に、こんな化け物が現れるなんて……。もしも、このまま街へでも進まれたら大惨事になってしまうわ。情けない、留守番ひとつ満足にできないの? これじゃあ、いつまで経っても、兄さんに認めてもらえるわけないじゃない……。
「……ッ! 一時撤退よ。後を追ってこないように一個小隊をしんがりに当てて。モンスターの気を逸らすだけでいいわ。念のため、城壁の外門を閉じるように城塞都市に連絡します……」
まだ昼過ぎになったばかりなのに、暗くなった空からバラバラと雹雨が降ってきた。
嫌な寒気が、ミーシャの背中をじわじわと登って来ていた。
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