エスケープ
「ねぇ、新入りさん? はじめてよね」
アカリがすばやく病衣からメイド服に着替えている時に、声をかけられた。
振り向くと、茶髪ボブカットのメイドさんがいた。
ここはお屋敷のメイド専用の女子更衣室だ。
アカリは、先ほど部屋の巡回に来たメイドさんの後をこっそりとつけてきたのだ。
「えっ? ええ、臨時ですが……。よ、よろしくお願いします」
アカリは慌てて黒いワンピースのメイド服に白いエプロンを着る。慣れない手つきで襟もとにリボン、頭にはカチューシャをつけた。鼓動が早くなり手が震えた。
「そうね、こちらこそよろしく。あら? あなた、その銀髪――」
茶髪のメイドさんは何かを思い出したように、アカリの顔を凝視した。
――バレたッ!?
アカリの心臓が止まりそうになる。思わずギュッと目をつぶってしまった。
「カチューシャが曲がっているわよ。直してあげるから」
そっと、茶髪のメイドさんは位置を手直ししてくれた。
「あ、ありがとうございますっ!」
アカリは更衣室を飛び出した。手はぐっしょりと汗ばんでいた。
夜、スマホに女神さんからの着信があった。……ということは、ここはやっぱり日本なんだ! いくらメカ音痴のアカリだって、電話会社がなければ電話が通じないことくらい分かるわ。
月にリングをつけて投影したり、いくらみんなで演技しても、異世界だなんてもうごまかされないんだからっ!
とにかくここから脱出して、スマホが通じる場所に行って通報することができれば……。たまたま、窓から近くにアンテナ塔が見えていたのよ。
たぶん、お屋敷の中だと、石造りの壁で電波が届かないか、もしかしたら、妨害電波のようなものが出ているのかもしれないし……。
いけない。このまま廊下を進んでも、そのうちに絶対バレてしまうわね。
アカリは窓を開けると、すぐそばまで伸びている壁をはうツタを掴んで三階から外に身をのり出した。両手でしっかりと握って、足場を確保しつつ、少しずつ、ツタをつたって下りていった。
やっと地面に足がついて、フウゥーッと一息いれる。
夜空を見上げると、燦然と月が輝いていた。
……相変わらず、リングのついた異世界の月が……。
そして、石造りのお屋敷の外に出たというのに、スマホは圏外のままだった。