1日目 後編
「絵梨、また学校から電話あったわよ。どうして学校に行けないの? いじめられてるの? 勉強について行けないの? みんな、心配しているのよ?」
みんな、って……誰?
誰が心配しているの? 自分が心配しているのか先生が心配しているのか分からないよ。そうやって自分の気持ちはごまかすくせに、私に対して大人はすぐに理由をほしがる。なぜって、それは自分を納得させたいから。
「とにかく行きたくないの。ただ、なんとなくだから」
私はなじめない。
学校の雰囲気にも、家庭の雰囲気にも。
無彩色な私は空気のような存在で、いてもいなくても向こう側が透けて見える。
感情を表すのが苦手だから、そのうちきっと誰も気づかなくなる。
それでいい。
誰かと話した後いつも後悔する。あの時はこういえば良かったとか、激しい自己嫌悪ばかりが残る。
きっと、今目の前にいる人物にはそんな感情微塵もないんだろうなぁ。
さっき急に声をかけてきたクロと名乗る彼は、ちゃっかり隣に陣取っている。
「そこの人。勝手にスケッチするんじゃありません」
白紙のスケッチブックになんか描いてるし。それ、私の鉛筆だし。まあ、別に使うつもりはなかったから良いけど。
「えー、あとちょっとで描けるから待っててネ」
「そういう問題じゃ……」
そこの人。嬉しそうにこっちを見るのやめてくれませんか?
黒目勝ちの瞳が細められ、見つめられると本当に居心地が悪くて仕方がない。
……なんなのだ。
「見られるの嫌だから帰る」
「ちょっと待って。あと1分で俺帰るから、あと1分だけ」
スケッチブックと鉛筆を残して立ち去ろうとする私の服をがっしりつかまれる。
そのままの体勢で1分間。非常に…………腰が痛い。
口元を緩めて鉛筆を動かす隣の人は、私が見ているのを時々顔を上げて確認しては、わくわくしたような顔で、早く見せたいなぁと表現する。どこをどうしたら、似顔絵を依頼されて断った次にこのシチュエーションがくるのか。
ひたすらに華やかな雰囲気の「そこの人」を見ながらあきれるようにため息をついた。
「ため息1回、幸せ逃げるって、昔の人もうまいこというよね」
「誰がつかせていると思っているんだ」
眉間にしわが刻まれているんじゃないだろうか?
ああ、いやだ。この年でしわを気にするとは。
「まあ、そう言わずこれ見て笑ってよ。そっくりに描けたから」
短い髪をぴょんっと揺らせて、隣の人は「ハイ」と後ろに音符マークでもつけそうな勢いで、私にスケッチブックを差し出した。
「!」
どれどれ……と覗き込んで絶句する。
「いや~。我ながら上手いこと描けたなぁ。絵梨見たときから絶対何か一度見たことあるって思ってたんだよね。そうそう、これこれ」
自信たっぷりに「びっくりした?」とにこにこしているその人の描いた私の似顔絵。
そこには、しっかりと描かれた……
へ の へ の も へ じ
「誰?」
「絵梨」
褒めて褒めてといわんばかりに、にこにこ愛想を振りまく隣の人に
「失敬な奴!」
私はぷりぷり怒って逃げるように帰りましたとさ。つーか帰らずにいられるか!
誰が!
誰が!
こんな変な!
らくがきの!
こんな
口を曲げて、へそ曲がりで……
地面に叩きつけるように歩いていた足がだんだんゆっくりになる。
足音もどんどん小さくなる。
同時に怒りも小さくなって、代わりに悲しくなってきた。
とぼとぼと歩く。
心なしかコンクリートにずっと座っていたお尻が痛くて、
変な中腰体制のまま1分間立たされてた腰が痛くて、
それ以上に、
「似てるじゃん」
情けなかった。
いつも口を尖らせて、人をまっすぐ見てなくて、横目で覗くように観察してる、私の姿そのままで、なまじっか当たってただけに……悲しくなってきた。
初めて会った人に怒鳴ってしまった。
もう会わないから気にするな。気にするな!
そう思うのに、やっぱり後悔が残ってしまう。
あそこで出会った人はストレートに私を見てくれた。
また会うから仲良くしておこうとか、もう会わないから適当でいいやとか、そんな打算なしに、ただただ私と話したかったんだよ、といってくれた態度。もう会いたくないという気持ちと、どうしてか気になって仕方がない気持ちがないまぜになってぐるぐると頭の中を回っている。
気晴らしに外に出たはずだったのに、なんだか今日は失敗で…
「はあ……」
今日何度目かのため息をついた。
1回ため息をついたら幸せが逃げていくって言うなら、私のちっぽけな幸せとやらはもう残っていないと思われる。……浪費してしまったものだ。
それでもって今日の大量消費は絶対あいつのせい。
思い出すとまたちょっとずつ、足取りがずんどこずんどこ荒っぽくなっていく。
――一色さんって大人っぽいよね。いつも落ち着いてて、お姉さんって感じがする!
いったい私のどこが大人っぽいって?
落ち着いているのはおろおろするのが嫌だから。
――よく気がつくし、優しいし、お姉さんになってほしいよー。
気を配っているのは見捨てられたくないから。
一応友達ぶっておかないと、私の存在意義がないと、居場所がなくなるでしょ。
だから偽善なのに。
でもその偽善にも疲れた。
こうなりたいと思っていた姿はあるけれど、それはあまりにも遠く、何年も努力しているのに、全然近づけなくて、本質的になれないんじゃないかと……気づいてしまった。
どんなにいい人ぶったって擬態しようとしているんだから無理がある。
ウサギの皮をかぶったところで、たぬきはたぬきなのだ。
もう、だんだん疲れてきてしまって……ただ、ただ……
空気のような存在でありたかった。
何色にも染まっていなくて、何色にも染められない。
いてもいなくてもいい。
愛されなくたっていいから、憎まれたくもない。
このまま消えてしまいたい……そう思うときさえあった。
――私、なんのために生きてるんだろう。