1日目 前編
――今日も今日とて世界は無彩色で、私は灰色のコンクリートベンチに腰掛けた。
駅前の指定位置。
7分のジーンズにブーツ、セーターの上からジャケットを羽織って毛糸の帽子を深くかぶった私は、大きなカバンからキャンバスを取り出す。一見、近くにある美大生のような格好は、詮索されないための隠れ蓑みたいなものだ。
……今日も学校に行かなかった。
最初のころは少しばかりの罪悪感があったのに、今じゃそれも麻痺してきてしまった。
別に何か嫌なことがあるわけでもない。
勉強についていけないわけでもない。
友達がいないわけでもない。
強いていうなれば「無意味に思える」のだ。
勉強だってそれなりに集中していればついていけないことはない。けれども、ふと「ああ……くだらない」と考えてしまう。
友達との会話だってつないでいくくらいできる。けれども、ふと「私浮いてるんじゃないかな」と考えてしまう。
この生活すべてが空虚に流れていくようで、すべてが白黒の世界になってきてしまって、授業中に、黒板から白馬でも飛び出してきたら面白いのに……なんて思い出したら学校にいられなくなってしまった。
空虚になったとき、私は決まってこの駅前に人間ウォッチングをしにくることにしている。大人は子供に生き生きと子供らしくしろと言うのに、大人はほら、
――こんなにも疲れた顔をしている。
白いシャツに黒いスーツ。白黒の世界。
だるいとか、面倒だとか、不条理。
そんなものが詰まっている世界に私は入りたくない。
私は自由でいたい……
「ねえ」
不意に声がかかった。
「?」
「ねえ。君。そこの帽子のアナタ」
「……」
人の趣味を邪魔しないでほしい。
白いキャンバスに顔を埋めながら軽く無視すると、その無邪気にも聞こえる声は真上から降ってきた。
「似顔絵って描いてもらえるの?」
「今やってません」
「そっか、そういえばキャンバスも真っ白だもんね」
太陽を背にしているその声の持ち主の影が落ちてくる。
まったくこんな寒い日に、外で、見知らぬ人間にどうして声をかけるのだろう。
ふと、どんな顔をしているのか気になって仰いで見る。
――うわぁ。
そこにいたのは漆黒の髪を短く切った、切れ長の瞳をした男子だった。可愛い感じではなく、綺麗。整った顔だが、今は興味津々といった表情をしているため、そんなに近寄りがたくない。
年の位はよく分からないけど、同じくらいかな?
白いふわふわが首のあたりについた白いパーカーに黒いズボン。スポーツをやっているのか、きびきびとした動作をしている。
あ、目が合った。
「ねえ、何を描こうとしてるの?」
昔、絵を描くのが好きだった。
表情で自分を表現できない私が、唯一できる自分を出す方法が絵を描くことだった。
感情を封じ込めるように力いっぱい描く。でも、描くほどに自分の感情が削られていくようだった。
「これから……考える」
それにしてもこの人、暇なのだろうか?
むしろ普通なら学校があるだろうに、そんな私服で、うろうろしてていったい何なのだ?
モデル…とか、実は俳優か歌手で、撮影に来てますというわけでもないらしい。
時間つぶしなら時計に目をやってもよさそうなものを、まったくそぶりなし。
ぷータロー2号だ。
そっけない答えを返しつつも、観察だけはしっかりしてしまう。
「ふーん」
そういうと彼は、何故かどっかり私の隣に腰掛けた。
「?」
「あー、やっぱりコンクリートのベンチってお尻が冷たいヨネ」
冷たいヨネ! ……じゃないです。
案外整った顔立ちの美人さんは人の注目を集めるのだ(この人無自覚なのだろうか?)。
……それは顔立ちだけじゃなくて、圧倒的なオーラを感じる存在感のせいかもしれない。
「まだ何か?」
すっかり腰を落ち着けてしまった彼に、言外に用がないならどっかいけと睨むが、別になんとも思わない様子で、私の代わりに人間ウォッチングをしている。
「日本って面白いよネ。俺、こんだけ矛盾してる国ってなかなかないと思う」
待ち合わせの時間つぶしだろうか?
私に話しかけてくるのは。
「矛盾しているのは君のほうでしょ。コンクリートのベンチが冷たけりゃ、座らなかったら良いし、私は君の似顔絵を描くつもりはないと言っているのに、かまってくるし」
「迷惑?」
くすっと彼が笑う。絶対に自分が否定されるなんて考えてもいないような余裕の笑みで。
下から覗き込むような顔。綺麗な黒い瞳に自分が映っているのが見えて、不覚にも私はすぐに肯定できなかった。
「……迷惑……」
うーん。
1回きり……なら、まあいいか。変な奴だけど嫌な奴じゃなさそうだし。
私のくだらない人生に、ちょっと位のアクシデントと気まぐれがあっても良いだろう。
少しだけ、相手をしてあげよう。
「……じゃない、けど。別に」
なんだか素直に言うのも変な気がしたので、わざとそっぽ向いて返答すると、返ってきたのは、
「嬉しいネ」
目を細めて微笑む彼の顔だった。
私と話をして何が嬉しいのか分からないけれど、
なんだか、
そんなこと言われたの初めてだったから、
――恥ずかしいじゃない。
やばい。なんかちょっと顔が赤くなっているかもしれない。
「暇つぶしだから」
「あ、絵梨っていうの? 可愛い!」
聞いてないし!
しかもなんか何気なくいきなり私の名前当ててるし!
「何で名前!?」
「だってカバンに“絵梨”ってビーズがついてる。友達からもらったの?」
「自分で作ったの!」
ていうか、すっごく昔に作った奴、はずすの忘れてた…。
「器用だネ~」
こら、そこ。感心するな。
「っ。それ、捨てるし。あんまり見ないでよ」
ぐいっとひっぱると、彼はあっさり手を離す。そんなに乱暴に引っ張ったらちぎれちゃうよーなんて言いながら。
「ねえねえ、絵梨」
「気安く人の名前を呼ぶんじゃない」
「だって、絵梨、苗字教えてくれないし、名前で呼ぶしかないんだよネ」
教えてくれないとかそういう問題じゃないでしょ?。
第一見知らぬ人間にホイホイと教えるほど私は人懐っこくないぞ!
なんて思いつつ、なんだか自分で深いため息をついてしまう。完全にこの人のペースだ。
「一色」
「それが苗字?」
こっくり頷く。
「ふーん。でも、名前のほうが響き的に俺の好みだから名前で呼ぶね。あ、俺のことはクロって呼んでネ」
ネ、じゃないです。(なんなのだ。後ろについてるハートマークは!)
こっちはフルネームで紹介したのに、そっちはニックネームかよ(しかも聞いてないし)
こうして、無彩色の私の世界に一石が投じられた。
いや、むしろ棒高跳びで背中からタックルを仕掛けてきたと言うべきか……とにもかくにも、その一石はものすごい極彩色のオーラを放ちながらやってきたわけである。