氷の玉座、炎の王冠 欠片2
第12話 炎の王冠(前編)
ここしばらく、文字通り多忙を極めた。
連日のように行われる他国との要人の顔合わせ、接待、パーティといった王太子としての仕事だけでなく、元々学園の生徒会長であり、学内騎士団の団長でもある彼には大量のやらなければならないことがあった。妙な成り行きから手伝うことになったものの、ロザリーはその仕事量にため息をつかざるを得ない。
「無茶しすぎだ。これでは体がいくつあっても足りないぞ」
「いつもはもう少し上手く分散させているんだが……手伝ってくれて助かった」
アルバは少しだけ笑うと、困ったように肩をすくめた。
「王族ってのは弱音も吐けないんだよ」
我侭・俺様・王太子様。
アルバのことをそう思っている人は多い。事実彼のジェスチャーを見ていれば、信じてしまうかもしれない。
けれど、言葉でなく態度だけ見てみれば、案外この幼馴染は細やかで、ロザリーとしては時々苦笑してしまう。苦しくても弱みを見せようとしない頑なさは、彼の強みであると同時に弱みでもあるのだが、似たところがあるという自覚があるだけに注意できない。
「城に戻ってさっさと寝たほうがいいぞ」
「……」
冷えたタオルをアルバの頬にもあててやると、彼は目を閉じたまま眠っていた。案外可愛らしい寝顔に彼女は思わず苦笑しながら彼の髪を撫でた。
「王太子様。たまには褒美でも差し上げましょうか?」
もちろん返事など期待していない。
――していなかったのだが、翌朝、休日にもかかわらず彼女は寮長に悲鳴混じりの声でたたき起こされる破目になった。
「王太子殿下がいらっしゃってます!」
「約束していません!」
部屋の中から即答すれば、共有スペースから黄色い歓声が沸きあがる。ああ、いる。奴はあそこにいる。輪のど真ん中にいる。
「頼みますから護衛の方共々引き取ってください。この騒ぎでは、休み中の生徒までここに押しかけてきます」
休日ということで、昼からバイトさんと交代してデートに行く予定だった寮長は必死だった。
護衛、仕事しろよ……と彼女は思ったが、罪もない寮長のデートを邪魔するわけにも行かず、しぶしぶ扉を開ける。3階の部屋から吹き抜けの階下を見下ろせば、共用スペースに白い薔薇の花束を持ったアルバの姿があった。もちろん、ドーナツ状に広がる女性の群れというオプションまでつけて。
「なんの冗談だ?」
思わず冷静に突っ込むと、フェロモン大魔王はニヤリと笑った。
「ロザリーからの褒美とやらを早速頂戴しようかと思ってな」
その言葉に周りが色めき立つ。
「お前が頑張ってくれたから、俺もまとまった休日が取れたんだぜ。デートしたいならそう言えよ。可愛い奴め……」
などと彼女の耳に、ひどく勘違いもはなはだしいことを口走っているのが聞こえた。一体どこでそんな思考回路を手に入れたのか。
「せっかくの休みだ。ゆっくり体を休めるのに使うがよかろう」
「おい、ちょっと待て!」
朝から疲れるものを見てしまったとばかりにロザリーが扉を閉めれば、足早に誰かが階段を登ってくる音が響く。本人のというよりはむしろ全身鎧を着込んだ護衛2名のガッシャンガッシャンという金属音のおかげで、その誰かは明白だ。
思わず笑いそうになるのをこらえながらロザリーが扉を少し開けてみれば、扉の前に立っているアルバが優雅にお辞儀をする。柔らかいシルクのシャツに薄手のベスト、やけに長い脚を包む黒い細身のズボンはどれも彼にしては地味だが、中身がゴージャスなせいで無駄に華やかだ。
「惚れたか?」
「帰っても良いぞ?」
花束を受け取りながらニコリと花のように微笑むと、彼は苦笑するように困った顔で部屋へと入る。いつもの余裕を見せつけるような笑い方じゃないんだな……と彼女が思うと、彼は護衛達に部屋の前で待機するよう命じた。
「どこかに行くわけではないんだな」
白薔薇を青いガラスの花瓶に活けながら彼女が問えば、「行きたいのか?」と質問形で返事が戻ってくる。まさか、という意味を込めて首を横に振ると彼は満足気に頷いた。
東部の港につい最近入荷されたと噂の珍しい茶葉を棚から取り出し、湯で温めておいた茶器に注ぐ。利き茶用の長細い湯飲みと広口の湯飲みを並べれば、彼は迷うことなく長細い方で香りを楽しんでから広口に茶を移し、ぐいっと飲み干した。珍しい作法だが、あっさりとこなしてしまうあたりは可愛げがない。
「来るなら事前に連絡を寄越せ。丁重に断ったのに」
「何年来の付き合いだと思ってるんだ。それが分かってるからこその突撃訪問だろ?」
朝食がまだなんだとロザリーがこぼせば、アルバは自分も食べていないと主張して食事の要求を始める。どこまでなら許されるか分かった上での我侭なだけに、頭が痛い。これだから腐れ縁は性質が悪い。
「干し葡萄の蒸しパンと木の実が入ったヨーグルトでいいか?」
「それは買い置きの食材か? 粥がいい。粥を作れ」
結局、褒美の二文字を盾にとられ、彼女は包丁とまな板を用意する破目になった。
「簡単なものしか作れないぞ」
そう言いながらも、鶏肉で出汁をとり、刻んだネギと炒りゴマの入った甘くない粥はアルバの口に合うよう作られている。それが分かるのか、彼は嬉しそうに粥を啜った。
そんな表情を見て、どうやらこれは本当にくつろぎに来たらしいとロザリーは考える。前々からアルバは「使用人がいると結構気を使うからのんびりできない」と言っていたし、本当に体が休まらないというのなら、隅っこに転がしておくぐらい構わないだろう。すでに、ソファに寝転がっているが。
お気に入りのクッションを顔の上に乗せて、フカフカのソファに沈んでいる彼を一瞥すると、彼女は食器を運んで洗うことにする。少し大きなぬいぐるみが増えたようなものだ。
そのぬいぐるみが言葉をかけてきた。
「ちゃんと食ってんだな」
クッションを通して聞こえる声は少しくぐもっていて聞き取りにくい。ロザリーは食器を洗いながら、
「おかげさまで」
食器と水の音でどうせ聞こえないだろうとなおざりに答える。
「……良かった。安心した」
だから彼女にもその安心したような声が届くことはないはずなのだが、彼女は少し動きを止め、作業を再開する。
「アルバ」
「……」
手早く食器を片付けてから、もう一度名前を呼ぶと、やや少し間が空いてから返事があった。
「ん?」
手を拭きながらソファのあるリビングへ移動すると、アルバはだるそうに髪をかきあげた。クッションは胸元に置いて、寝転んだままこっちを見上げている。
「熱でもあるのか?」
「……疲れているだけだ」
心配させまいと、またクッションを顔に当てようとするその手を掴んで彼女は笑った。
「まったく。私の前でくらい王冠を脱ぐことが出来んのか。この馬鹿王は」
――少しだけ、彼も笑った。