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短編・番外編・小ネタ集  作者: アルタ
無彩色主義の3日間
12/13

3日目 後編

「風邪引いちゃうヨ」

「いいの」


 まさかと思ったけれど、やっぱり彼女はそこにいた。

 雨の中びしょぬれになっていた。

 何もかも拒否しながら、でも途方にくれているように見えた。

 なんだか捨てられた子犬のようで、腕の中に閉じ込めると、不安そうにこっちを見上げてくる。

 だから俺は安心させるように微笑む。


「分かった。いいよ。俺も一緒にびしょぬれになるから熱だそっか」

 もう一度にっこり笑うと、

「一人で熱出してろ」

彼女も少しだけ憎まれ口を叩いた。


 どうしようもなく……可愛い。

 ひっくり返った傘には雨が降り注ぎ、水溜りができている。

 手がかじかんできた。

 でもそれ以上に冷たいのは絵梨の体で、しばらく熱が伝わるようにと抱いていた。


 ――ずっと、こうしていたかった。

 できることなら、こうして立っていたかった。






「実は俺、今日誕生日なんだよ」

 こうなることを予想してタオル持ってきて良かったなぁと思う。

 ビニールのゴミ袋に入れてきたから濡れてないし。(絵梨は一瞬それを見て顔をしかめていたけれど……まあ、形にこだわらなきゃ大丈夫)


「そうなの? あー、うん。おめでとう」

 なんだか素直に祝いたくないって顔してる。俺もまあ、複雑な気持ちなんだけどさ。

「どーも」


 とりあえず公園の待避所に入ってストーブを炊くと、ちょっと変な煙を出しながらもしっかりついてくれたようだ。絵梨はタオルで髪を拭きながら涙もぬぐっていた。窓に向かって。


 だから俺も顔を見られていないから……ぽつり、ぽつり、と誰にも言えなかった独り言をつぶやく。


「あのね。俺の国、兵役があるんだヨ」

 ある年齢になったら例外なく兵士として警備に行かなきゃいけないんだ。

 それこそ、拒否したら絵梨が言われたように「非国民だ」って言われるの。

 それもう全然レベルが違うんだけどさ、すごいんだ。拒否権なんてないんだよ?。

 嫌だと言ったら臆病者がーとか言われちゃったりするわけ。


「でも、今までサッカーボール追いかけてたのにさ。急に銃もって、兵士のあの茶色い服着て、ヘルメットかぶって、怪しい奴がきたら、もしかしたら人を殺さなきゃいけないんだよ」

 そんなところ行きたいなんて誰が思うんだろう?

 少し微笑んだ。

 ――100倍くらいの自嘲をこめて。


「俺、来年から2年2ヶ月軍隊に行くんだ。拒否したら1年5ヶ月監獄に入れられるんだ。

 大学にいったら4年間延ばしてもらえるらしいし、研究者もいかなくていい。

 お金持ちや政治家になっても、行かなくていいらしいけど、それは嫌だと思う」


 自分に恥じない生き方がしたい。

 だって、俺、一流のサッカー選手になりたいんだ。

 今もずっとサッカーやってる。

 やりながら高校は行ってる。

 語学の勉強が好きだからね。

 でも、年をとるたびに増えていく鎖の数に時折どうしようもなく……苦しくなる。


 圧迫。

 今、

 俺、

 サッカーをやめたら…他の国の選手と差がついてしまう。

 どうして好きなことだけやって、好きなことだけ見つめることを許してくれないのだろう。

 色とりどりの世界が広がっているはずなのに、目の前にあるのはでっかい灰色の壁なんだヨ。

 ひどいよね。


「クロ」

 絵梨の細い手が、心配するように……そっと背中に押し当てられた。

 振り返ると優しく抱きしめられる。


「クロは灰色に染められるのが怖いんだね。…私とは逆で」

 そのまま座り込むとなんだかこのまま泣き出しそうになって強く絵梨の腕をつかんだ。


「俺、強いってよく言われるんだけどさ、結構これでも必死なんだヨ。

 怖いことだってある。

 悲しいことだってある。

 嫌な事だってある」

「そうだね」

 見ない振りしてることもある。


「俺が今度の春から兵役に行くって言ったとき、母さんは何も言わなかった。

 代わりに、その前に日本に行きたいって、従兄弟に会いたいって言った時も」

 あいつは事情を知っていたのか知らないけど、やけにあっさり泊まって良いよと言った。


 残されていく。

 追いつけるのか分からない不安。

 それより、抗争で死んでしまったら、ううん、怪我でもしたら。考えるほどに不安要素は膨らんでいく。


 息をついた。


「それに俺、美人だからすげーいじめられるかも。怖いなぁ」

 笑い飛ばすように笑おうとして、失敗した。なんだか中途半端な顔。


「日本って面白いよネ。俺、こんだけ矛盾してる国ってなかなかないと思う」

 平和主義を唱えながら軍備を増強させてる。

 そのうち徴兵なんて言い出すんじゃないだろうか?

 若者の、この時期がどれだけ大切なのかわかってないんだよ。


「俺の国も、いつか日本のように、自由でいてもいい国になってほしいな。でも、今は言えないんだ」

 だからさ、俺、兵役が終わったら、もう一度サッカーやって、それで、その上で言いたい。

 戦うのなんかフィールドの上だけで良いって。

「だから、そのために行くんだよ」


 でも、心が壊されそうになる。

 軍隊の規律に縛られて俺は生きていけるのか?

 自分に問う。

 なんとかやっていけるだろう。

 でも、失うものがきっとたくさんある。



「絵梨。俺、怖いんだ」


 搾り出すようにつぶやくと、頬に手が添えられた。


「似顔絵、私でよかったら描くよ。今のクロを残しておくよ」

 クロが忘れても、私が忘れない。

 残しておくから。

 心に。

 だから、泣かないで。

 ……そういう絵梨は泣いていた。

「絵梨は優しいね」


 はじめて絵梨と会ってからたった3日間なんて思えないね。


 ――そうして、キスした。


「クロはやっぱり強引だね」

 絵梨はちょっと口を尖らせた。俺は絵梨の頬をむに~ってつまむ。


「俺も絵梨のこと心に焼き付けておくよ」

 でも、できるならば、………………………………笑って?

 そうしたら、頑張れるから。



 ――雨が少しずつやんでいく。


 不条理な世の中だけど、希望もある。

 だって、俺と、絵梨はすごい確率で会ったんだ。これを運命と呼ぶのか奇跡と呼ぶのか、人それぞれだけどね。


 雲の隙間から青空が覗いてきた。

 なんて気まぐれな天気。

 もう少し、

 あと少し、一緒にいさせてくれたらよかったのに。


「クロ。晴れたし外に出よう」

 でも彼女は俺を待たずにさっさと外へ行ってしまう。それから……


「うわあ!」


 感嘆の声。

 俺もその声に誘われるように外へ出る。



 1歩。

 1歩。

 上を見上げる。

 息が詰まった。


 そこには綺麗な七色の虹がかかっていた。


 無彩色の世界が一気に彩られていく。


 鮮やかなその曲線と……


「クロ! すごいよ! だって、虹が2重!!!」


 驚きのあまりハイテンションで笑っている彼女の笑顔を、俺は一生忘れることができないと思う。

 自然に笑みがこぼれた。

 心から。


「そうだね。綺麗だね」

 泣きたくなるくらい切ない風景だね。


 心に焼き付けよう。


 リュックを背負って軍隊に入るときも、

 訓練で銃を手に持ったときも、

 砂埃の舞う宿営地に立ったときも、

 サッカーがしたくなったときも、

 絵梨を思い出してみよう。

 彼女に色を残してきたのだと思うんだ。

 預かってて。


「ねえ」

「なに? クロ」


 傘を拾い上げる。





「……………………なんでもないヨ」

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