2日目 後編
雲がゆったり流れていた。
頬をなでる風がくすぐったい。
太陽は少しずつ真上に移動していく。
早春……少し肌寒い。
不意に横から手が伸びてきた。
素手と素手が触れ合って、その手が少し冷たくて少し驚く。
「……もしかして、ずっと待ってたの?」
「そうだよ。正直会える確率は低いと思っていたけど……」
こうしてまた会えたから、俺の勝ち。
触れた手が少し震えた。
――クロは笑っていた。
「私、一色さんのようになりたいの」
一週間ほど前死んだその女の子と話したのはその1回きり。
「一色さんは私の憧れなの。とっても綺麗だし、自分の考えしっかり持ってて、他人の噂なんかに翻弄されなくて、強くて、優しくて、頭が良くて……尊敬される。うらやましいな。私もそうなりたいな」
そのとき私はなんと答えたんだっけ。
「私はそんなに偉くないよ。迷うこともあるし、面倒で動きたくないって時もあるんだから」
それは偶像だと言いたかった。
けれど、純粋に崇拝するその目にいたたまれなくなって席を立つ。
確か体育の授業だったと思う。学級委員にされてしまった(つまりは貧乏くじを引かされてしまった)私は、何かにつけていろいろな世話を押し付けられた。ぐだぐだしている間に時間が過ぎて行くのが嫌でてきぱき片付けていった。
その姿が颯爽と見えたのかもしれない。
人のイメージなんてものは側面だ。
――彼女の死因は事故だった。
学校からの帰り道、ブレーキの故障したトラックが信号を振り切って暴走したのに巻き込まれたのだと、葬式で聞かされた。葬式に出たのは私が学級委員長だったからだけど、彼女の母親は泣き腫らした目をして、ガラガラの声でこういった。
「あなたが一色さんなのね。娘がよく自慢していたわ。こんなときに初めて会うなんて、思いもしなかったけれど……有難う。娘の友達になってくれて。今日来てくれて……」
正直、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
なぜなら、私はどこか頭の中で早くここから逃げ出したいと思っていたから。
後で通された彼女の部屋はきちんと整頓されていた。
綺麗なクッション、かわいらしいぬいぐるみ、ビーズのアクセサリー。
作りかけのものも含めてたくさん並んでいた。
まるで続きを持っているかのように。
それらはとても綺麗だった。
昔、私が作ったビーズのアクセサリーがおもちゃに見えてしまうほど。
もしもこのまま大きくなったらアクセサリーデザイナーになっていたかもしれない……なんて不毛なことを考える。
人の可能性というのは不思議なものだ。
私をうらやむ前に、自分の才能を認めてあげたらよかったのに。
彼女には彼女の存在意義があったはずなのだから。
「ねえねえ一色さん、昨日のサッカーの試合見た?」
「見ていないな」
「えーっ。それって非国民だよぉ」
「そうそう、すごかったんだよ!。日本の逆転ゴール」
「ふーん、そうなんだ。……私、葬式に行っててさ」
「あ、そっかー。まったく、こんなときに死ぬなよなーっての」
……彼女の話はそれっきり。後はサッカーの話に戻っていった。
……彼女の存在意義は何だったのだろう。
こうしてただ時間が過ぎていく。
そして存在が忘れられていく。
そう考えた瞬間、私の中で何かがガラガラと音を立てて崩れていった。
どんどん世界が色あせていった。
それはもしかしたら最初から色なんてなかったのかもしれないと思い始めた。
ただ、気づかなかっただけで……
そして今、すべてが無彩色に見える。――となりで寝転んでいる人を除いて。
「そこの人、なんで私に声をかけたの?」
何をしに来ているのかよく分からないけれど、君にとって私に声をかけることは、何らかの価値が存在していたのだろうか?
「目」
「はあ?」
変な声を上げると、ガサガサという草の音が聞こえて、切れ長の瞳がこっちを向いた。
息がかかるくらい……近い。
「すべてをあきらめたように見えて、一生懸命あがいてる目。
かまわないでって顔して、寂しくてたまらないって目」
無視できなかった。
人の波をしっかり見据えながら何かを探しているその目を。
あきらめたくなくて、もがいてて、
今にも泣きそうなのに、
見たくない現実を必死で見つめている目が、俺には無視できなかった。
何故かどうしようもなく惹かれてしまって……
その心を欲しいと思ってしまった。
ものすごく不思議なことに、それはたった一瞬のことだったんだヨ。
私は声もなく彼の目に吸い寄せられるように目を開けていた。
「最初は興味本位だった」
もし、素直に似顔絵を描いてくれたなら、そのまま立ち去ろうと思った。
「何それ」
変なの。
目をそらさないまま、分からないよ……とつぶやく。
リクエストを蹴って欲しかったのか?
「俺の判断基準なんて自分でも分かんないよ。そのときの気分。
あの時は、断られたらかまいまくってやるーって思ったわけ」
要するに天邪鬼ってことか。
頷くと、
「自由気ままなだけ」
隣の彼は目を細めた。
それはあまりにも哀しげで、
そして深いため息を心の中に押し殺しているようで、
美しくて……見とれてしまった。
そのまま唇にやわらかい感触。
あまりにも突然で……声を上げるまもなく、後頭部に手を回される。
角度を変えてもう一度。――世界が反転した。
めまいがして……
視界には赤いジャンパーと黒い髪。
なんて非常識な!
唇が離れた後も頭の中は大混乱。
なのにコイツときたら!
「あっ!。絵梨、おまわりさんがいるよー。
俺たち不純異性行為しちゃったから逃げなきゃねー。
絵梨はサボり中だしぃ、俺も見つかるとやばいからね~」
そのままスタコラ走らされ、(何で私まで……)
いつしか文句を言おうにも息切ればかり。
なんて奴!
なんて奴!
なんて奴!
別れた後で地団駄を踏んだ。
気がつけば制服には芝生がついていて、カバンにはスケッチブックと鉛筆が突っ込まれている。
忘れることなど許さないかのように。




