02.オッサンと女子高生
付いて来いと言われて素直に付いていくあたしも、あたしだと思う。でも携帯も没収され、彼氏にも振られ、サイフすら無くしたあたしは、もう落ちる所まで落ちているのだから何も怖くないんだ。そういい聞かせて、ブラックスーツの後姿を追った。後ろを振り返ると、苦虫を噛み潰したような顔のハゲオヤジが、地団駄を踏んでいるのが見えた。(う、うん、あんな男よりは、目の前のスーツ姿の男の方がマシだ)
「ちょっと、待って、どこ行くの」
男は何も言わずに黙々と歩みを進める。名前を知らないあたしは、ねぇとか、ちょっととか、オッサンとか、そんな言葉を発しながら、男を追った。
「乗れ」
足を止めた男が指した車は明らかに高級車だった。運転席に乗るのかと思えば、もう既にドライバーが乗っている。左ハンドルだし、異様に車体が長い。こんな車、テレビでしか見たことが無いあたしは、思い切り情けない顔で男を見上げた。
「え、乗れって、これ」
「援交しようとしてた割には、度胸ねェな」
あたしが男を睨み付けると男は憎たらしい笑みを浮かべた。乗ってやろうじゃないか、とことん最低なこの日に、知らない男に付いて行って、知らない高級車に乗る。上等だ。
「乗る」
「訂正するよ、あんたは度胸のある女子高生だ」
ククっと喉の奥で笑った男から、不機嫌に目線を逸らし、あたしはドアを開けようと手を伸ばした。その時、前の方から運転手らしき男が降りてきて、あたしの目の前のドアをスマートに開けた。どこまでもテレビで見たような光景に眩暈すら感じる。黒塗りの車に足を踏み入れると、また激しい眩暈に見舞われた。
「ちょ、ちょ、ちょ、」
「は?」
「な、な、何、この、く、車」
「落ち着けよ、」
「なんで……!(なんで、車の中に冷蔵庫があんの)」
あたしの膝くらいまでの大きさの冷蔵庫が堂々と置いてあり、そして広くてふかふかのソファが当たり前のように連なっている。長い男の足を伸ばしてもまだ余裕がある車内。どちらにしても、とんでもない男に付いてきてしまったことには間違いないらしい。
マルボロに火をつけると、男は不機嫌そうに顔を顰める。一体、何者なんだこのオッサンは……。あたしは素性を探ろうと、改めて男を見つめた。少し長めの黒髪に、色素の薄い瞳、今更ながら女に不自由はしていなそうなこの男が、どうして援交なんてしようと思ったのだろう。ヤクザ? いや、ありえないこともない……。ホスト? ああ、なんとなくありえる。そんなバカなことを考えている間に車はゆっくりと走りだし、もう戻れないのだと流れていくイルミネーションが告げた。
「お前、名前は?」
「あたしは、アンナ……じゃなくて(本名言ってどうすんだ、あたしのバカ!)」
「アァ?」
「あたしは、えっと、ア……、そう、ア、アンジェリーナ!」
「へぇ、随分シャレた名前だなぁ」
確実にバカにした笑みを浮かべた男。あたしは煽られるように、男の名前を聞いた。
「オッサンは? 名前」
「一夜限りの関係なんだ、別に構わねぇだろ?」
「一夜限りって、別にあたしは!」
「セックスするつもりはねぇって?」
都合が良すぎるな、アンナ。なんて耳元で囁くこのオッサン。低く威圧感のある声が、脳を麻痺させる。うわぁ、本名ばれてるし。
「や、やっぱ、あたし帰ります」
一瞬引いたあたしの体を、オッサンの大きな手が遮った。手首を捕まれ、一層引き寄せられる。動揺して見上げると、整った色素の薄い瞳が、あたしの間抜けな顔を映しだしていた。オッサンの大きな胸板から嫌味のないフレングラスの香りが漂う。なに、これ。心臓がドクドクと悲鳴を上げ、もう完全に白旗状態だ。惑わされてしまう、早く逃げなければ……。
「もう遅い」
オッサンが酷く艶のある声で告げる。何が遅いの、なんて惚けてみたけれど、オッサンの腕の力は弱まらない。逃げられない、そう思ったら、今更恐怖が背中を襲った。
後悔先に立たず。