表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

第5話 過去

昭和三十年四月十五日。

その夜、柿ノ里は静かだった。


春の風が、村を優しく撫でていく。

桜の花びらが、まだ少し残っている。


誰も、この夜が最後になるとは思っていなかった。




午後七時 村長の家


「父上、体調はいかがですか」

千代が父の布団の横に座った。


父は番人だった。

代々、この家系がお社を守ってきた。


しかし、父は病に倒れていた。

もとより心臓が弱く、もう長くはない。


「千代...」

父が弱々しく手を伸ばす。


「今夜の番は、わしには無理じゃ」


「分かっております」

千代が父の手を握った。


「私が参ります」


「すまんのう」


「いえ。これも、私の役目です」


千代は立ち上がった。


経文を手に取る。

これから、お社の前で一晩を過ごす。

父の代わりに。


いつか、自分が番人を継ぐ日が来る。

その練習だと思えばいい。


千代は家を出た。

村の中を歩いていく。


隣の家から、笑い声が聞こえた。


隣の田中家だ。

家族で夕食を囲んでいるのだろう。


平和な光景。


でも千代は、その輪に入れない。

番人の家系だからだ。


村人は千代を恐れている。


お社を守る者。

ヌシと向き合う者。

普通の人間ではない。


そう思われている。


千代は神社に向かった。



午後八時 田中家


「父さん、おかわり」

息子の健太が茶碗を差し出した。


「よく食うなあ」


父が笑いながら、ご飯をよそう。


母が味噌汁を運んでくる。


「健太、野菜も食べなさい」


「はーい」


平凡な家族の夕食。

でも、幸せな時間。


「なあ、父さん」

健太が聞いた。


「お社には、本当に化け物がいるの?」


「健太!」

美枝子が叱る。


「そんなこと聞くもんじゃありません」


「でも、みんな言ってるよ」


「言っても、近づいちゃダメ」


三郎が息子を諭す。


「あれは、触っちゃいけないものなんだ」


「どうして?」


「昔から、そう決まっているんだ」

三郎は、それ以上答えなかった。


実際、お社に何が封じられているのか、誰も知らない。

ただ、番人の家系だけが知っている。


そして村人は、それを恐れている。


夕食が終わって、健太は自分の部屋に戻った。

宿題をしながら、窓の外を見る。


神社の方向。

暗い森の中に、お社がある。


本当に、化け物がいるのだろうか。

もしいるならいつか、見てみたい。


そう思いながら、健太は眠りについた。



午後九時 佐藤家


「婆ちゃん、薬飲んだ?」

孫娘の花子が、祖母に声をかけた。


「ああ、飲んだよ」

祖母のツネは、縁側に座っていた。


村で最年長の九十歳。

この村の歴史を、誰よりも知っている。


「婆ちゃん、寒くない?」


「大丈夫じゃ」


ツネは空を見上げた。

満月が、村を照らしている。


「今夜は、月が綺麗じゃのう」


「そうだね」

花子が隣に座る。


「婆ちゃん、何か心配事?」


「...いや」


ツネは嘘をついた。


実をいうと心配なことはあった。

千代の父が倒れたと聞いた。


今夜、千代が番をするらしい。

まだ若い千代に、あの役目は務まるだろうか。


番人の役目は、想像以上に重い。

一晩でも欠かせば...。


いや、考えないようにしよう。


千代は優秀な子だ。

きっと、大丈夫。


「婆ちゃん、早く寝た方がいいよ」


「そうじゃな」

ツネは立ち上がった。


家の中に入る。


布団に入って、目を閉じる。

しかし、なかなか眠れなかった。


胸騒ぎがする。

何か、悪いことが起きる予感。

でも、それが何なのかツネには分からない。



午後十時 神社


千代は、お社の前に座っていた。

経文を開いて、唱え始める。


「ナムカシラバヤソワカ...」


父から教わっていた通りに。


リズムを崩さず、淡々と。

十分ほど経った頃、音が始まった。


「ドンドンドン」


お社の中から。


千代は動じなかった。


父から聞いていた。

必ず、音がすると。


でも、恐れる必要はない。

経を唱え続ければ、大丈夫。


「ナムカシラバヤソワカ...」


しかし、今夜の音は、いつもと違った。


「ドンドンドンドンドンドン」


激しい。

まるで、怒っているかのよう。


千代の手が、少し震えた。


「ナムカシラバヤソワカ...」

声が震えている。


その時だった。


お社の扉が、軋んだ。


「ギギギ...」


扉が開こうとしている。


千代は恐怖を感じた。

父からは、扉が開くとは聞いていなかった。


「ナムカシラバヤソワカナムカシラバヤソワカ!」

千代は必死でお経を唱える。


しかし、扉は開き続けた。

わずかな隙間から、何かが見えた。


暗闇。


いや、暗闇の中で、何かが蠢いている。


千代は恐怖から立ち上がりそうになった。


逃げたい。

でも、逃げてはいけない。


これが代々受け継がれてきた番人の役目だ。


「ナムカシラバヤソワカ!」

大声で唱えた。


すると、村の方から音がした。


悲鳴?

いや、違う。


何かが、壊れる音。


千代は振り返った。

村の方向を見る。


しかし、薄暗くて何も見えない。


「ナムカシラバヤソワカ...」


それよりも経を唱え続けなければ。


でも、心配だった。

村で、何が起きているのだろうか?


午後十時十分 田中家

健太は、物音で目を覚ました。


「ん...?」


何の音だろう。


外から、何かが近づいてくる音。

ズルズルと、引きずるような。


健太は窓に近づいた。

外を見る。


外は暗い。

月明かりだけが頼りだ。


健太は瞼を擦りながら外の人影を見た。


何かが、道を這っている。


人間?

いや、人間にしては動きがおかしい。


身体が長く、細い。


手足が不自然に長い。


「な...何だ、あれ」


健太は声も出せなかった。


それが、だんだんと家に近づいてくる。


「父さん!母さん!」

健太は部屋を飛び出した。


しかし、居間には誰もいなかった。


「父さん!外に変なものが!」


大声を出しても返事がない。


健太は玄関に向かった。

玄関の扉が、開いていた。


外には...何もいなかった。


でも、道には何かの跡があった。


引きずった跡。

それが、村の外へと続いている。


「父さん...母さん...」


健太は家の中を探した。


しかし、両親はどこにもいなかった。

まるで、消えたかのように。



同刻 佐藤家


ツネは、目を覚ました。

外が騒がしくて起きたと思ったら、妙に静かだ。


虫の声も、風の音も聞こえない。


「花子...」


ツネは孫娘を呼んだ。

返事がない。


「花子!」

ツネは立ち上がった。


隣の部屋を見る。

花子の布団は空だった。


「こんな夜にどこへ行ったんじゃ...」


ツネは家の中を探した。

しかし、花子はいない。


また玄関の扉が、開いていた。


外に出たのか。


ツネは外に出た。

村の道を見渡す。


誰もいない。


どの家も、明かりが消えている。


いや、明かりがついている家もあるが、人の気配がない。


「おーい!誰かおらんか!」

ツネが叫んだ。


返事はなかった。

村は、不気味なほど静まり返っている。


ツネは、田中家に向かった。


扉を叩く。


「田中さん!おるか!」


返事がない。


扉を開けて、中に入る。


「田中さん!」


誰もいなかった。


ツネは次の家へ。


そして次の家へ。


どの家も、同じだった。

人がいない。


まるで、一瞬で消えてしまったかのように。


食事の途中の家。

テレビがついたままの家。

湯舟に湯が張られたままの家。


みんな、突然いなくなった。


ツネは神社に向かった。

千代なら、何か知っているかもしれない。




午後十一時 神社


千代は、まだお社の前にいた。

経を唱え続けている。


しかし、様子がおかしい。


扉の隙間が、さらに広がっている。

そこから、何かが這い出そうとしていた。


長い、黒い手のようなもの。


いや、手ではない。

タコのテ脚のような、何か。


それが、地面を這っている。

村の方へ。


「ダメ...出ちゃダメ...」


千代が泣きながら経を唱える。


「ナムカシラバヤソワカ...」


しかし、もう遅かった。

内側の封印が、破れていた。


ヌシではない。


もっと奥に封じられていた、何か。

それが、解放されてしまった。


千代の父が倒れて、封印が弱まったのだ。


そして今夜、完全に破れた。


「千代!」


背後から声がした。

振り返ると、ツネ婆さんが立っていた。


「ツネ婆さん...」


「村の者が、みんな消えた!」


「え...?」


「一人残らず、おらん!」


ツネが叫ぶ。


「これは、お社のせいか!」


千代は答えられなかった。


そうだ。


お社から出た、何かが。

村人を、さらっていった。


「どうすればいいんじゃ!」


ツネが千代の肩を掴む。


「わ、分かりません...」


千代は泣き崩れた。


「父上が倒れて...私では...」


「しっかりせんか!」


ツネが叱る。


「お前が番人じゃろうが!」


「でも、もう遅いんです...」


千代が泣きながら扉を指差す。


そこには、触手のようなものが何本も出ていた。

地面を這い、村の方へと伸びている。


「あれが...村人を...」


その時、触手の一本が、こちらに向かってきた。


ツネに向かって。


「ツネ婆さん、逃げて!」

千代が叫んだ。


しかし、ツネは動けなかった。

恐怖で、足が竦んでいる。


触手がツネに絡みついた。


「ぎゃあ!」

ツネが悲鳴を上げる。


「ツネ婆さん!」


千代が駆け寄ろうとした。


しかし、間に合わなかった。

触手がツネを引きずっていく。


お社の方へ。扉の隙間へ。

そして、吸い込まれるように。


ツネは千代の目の前で消えた。


「あ...ああ...」


千代は、その場に崩れ落ちた。


触手は、まだ村の方へ伸びている。


健太も、きっと。


村人全員が。


あの触手に捕まって、お社の中に引きずり込まれたのだ。


千代は経文を見た。


もう、意味がない。


その夜、封印は破れた。

内側の何かが、解放された。


そして、村人を喰らった。


「父上...」


千代は泣いた。


「私が...私が未熟だったから...」


しかし、死を目の前にして泣いている場合ではなかった。


触手が、千代に向かってくる。

何本も。

まるで、千代を狙っているかのように。


千代は立ち上がった。


逃げなければ。


でも、どこへ。

村の外へ?


しかし、足が動かなかった。


触手が、千代の足に絡みついた。


「きゃあ!」


引きずられる。


「いやっ!放して!」


千代は必死で抵抗した。


しかし、触手の力は強い。

どんどん、お社に近づいていく。


扉の隙間が、千代を待っている。


暗い、暗い穴。


その中に、何があるのか。

千代は、知りたくなかった。


「誰か...助けて...」


しかし、村には誰もいない。


みんな、消えた。


千代も、消える。


触手が、千代を扉の中に引きずり込んだ。


暗闇。


冷たい。


何かが、千代に触れている。

柔らかくて、湿っていて…


そして、声が聞こえた。


「オイシイ」


「ニンゲン、オイシイ」


「モット、モット」


千代は悲鳴を上げた。


しかし、声はすぐに途切れ、また村には静寂が訪れた。




翌朝




柿ノ里は、静まり返っていた。


村人は一人もいない。


家々は、昨日のまま残されている。


食卓には、食べかけの食事。

お風呂には、温かい湯。

テレビは、まだ画面がついている。


しかし、人の姿はない。


お社の前には、千代が座っていた。

いや、座っているように見える。


でも、動かない。

目を見開いたまま。


千代の表情は、恐怖に凍りついている。


お社の扉は、閉まっていた。

注連縄も、元通り。


まるで、何も起きなかったかのように。


しかし、村人は消えた。

一夜にして。


誰も、真実を知らない。

村で何が起きたのか。


ただ、お社だけが知っている。

そして、お社は語らない。


静かに、次の獲物を待っている。




現在


「これが、あの夜に起きたことだ」

俺は記録を閉じた。


千代ばあさんの日記に、詳細に記されていた。


あの夜の出来事。

村人が消えた、本当の理由。


「内側の封印が破れた...」

悠人が呟く。


「それで、村人が全員...」


「ああ」

俺は頷いた。


「でも、千代ばあさんは生き残った」


「なぜ?」


「分からない。でも、日記には『私は罪人だ』と書かれている」


千代ばあさんは、あの夜を生き延びた。

そして、番人を続けた。


三十年間。

贖罪のために。


「可哀想に...」


悠人が俯く。


「婆ちゃん、ずっと苦しんでたんだな」


「ああ」


俺は空を見上げた。


あの夜と同じ、満月が出ている。


「そして今、俺が番人だ」


「宮本...」


「でも、もう同じことは起こさせない」


俺は決意した。

内側の封印を、絶対に破らせない。

たとえ、一生ここにいることになっても。



第5話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ