第4話 限界と覚悟 前編
ぼくは、その場にへたりこんだまま、肩で大きく息をしていた。
ぜんぜん、呼吸が整わない。
胸の奥がひりひりして、全身がじんじん痛い。さっきまであんなに速く動けたのに、今は指一本動かせる気がしない。
「こうちゃん! こうちゃん!」
せいかが、必死にぼくの背中をさすっている。
「大丈夫!? ねえ、返事して!」
ぼくは、うまく声が出ない。ただ、ぜえぜえと空気を吸いこむだけだ。
そのとき、低くて落ちついた声が聞こえた。
「ゆっくり仰向けに寝かせてやれ。少しは呼吸がしやすくなる」
茶色い毛並みの猫――さっき刀を振っていた猫が、静かに言った。
「は、はい!」
せいかは、ぼくの体をそっと支えて、ゆっくりと仰向けに寝かせてくれた。
背中が地面につく。
空が見える。
洞窟の天井の岩のすきまから、細い光が差しこんでいる。
さっきより、少しだけ呼吸が楽になった。
すう……はあ……。
空気が、ちゃんと入ってくる。
体はまったく動かせないけど、意識ははっきりしている。
「せいか……大丈夫?」
やっと、声が出た。
「心配したのはこっちよ!」
せいかが、涙目で怒った。
「いきなり倒れるし、咳きこむし、もう……!」
ぼくは、目を細めた。
「ごめん……」
そのとき。
「ゴホンッ」
わざとらしい咳払いが聞こえた。
せいかとぼくは、同時に猫たちのほうを見た。
茶色い猫と、サバ柄の猫が、少し離れた場所に立っている。
せいかは、ぺこりと頭を下げた。
「先程はありがとうございました。助かりました」
「え?」
ぼくの頭の中が、一気にぐちゃぐちゃになる。
助かった?
襲われてたんじゃ……?
茶猫が、にこっと笑った。
「いやいや、こんな大きな蜘蛛が近くを歩いていたら、女子なら叫んでしまうのは仕方ないよ」
そう言って、足元にあったものをひょいっと持ち上げる。
……ぐちゃっとつぶれた、大きな蜘蛛の死骸。
「キャッ」
せいかが小さく悲鳴をあげて、ぼくのほうに身をよせる。
「は?」
ぼくは本気で混乱した。
痛む体をなんとか起こし、前のめりになってせいかを見る。
無言で、説明を求める。
せいかは、ちょっと恥ずかしそうに目をそらした。
「昔から……どうしても蜘蛛が苦手で……」
ぽつり、と言う。
……え。
じゃあ、さっきの「キャー!」は、猫に襲われたからじゃなくて、蜘蛛を見たから?
ぼくの頭の中で、さっきの場面がぐるぐる再生される。
刀を振り下ろしていた猫。
せいかの足元。
地面に刺さる刃。
あれ、もしかして――
「……蜘蛛、退治してたの?」
茶猫は、きらりと目を光らせた。
「そうだ。あんな巨大な蜘蛛を放置するわけにはいかん」
ぼくは、天井を見上げたくなった。
つまり。
ぼくは、せいかを守ろうとして――
助けてくれていた猫を、思いきり攻撃したってことか?
顔が熱くなる。
「……ごめん」
今度は、猫に向かって言った。
「早とちりした」
茶猫は腕を組み、ふふんと鼻を鳴らす。
「まあ、あの動きは悪くなかったぞ」
同時に、ぼくの心の中で別の声が叫ぶ。
(なんで蜘蛛を潰すだけで、あんなに刀を振り下ろすんだよ!)
どう見ても、命がけの戦いに見えたぞ。
茶猫は、まるで心を読んだみたいに、どや顔で言った。
「俺は、例え蜘蛛でも全力を出す」
胸を張る。
刀をキランと光らせる。
(うるせーわ)
心の中でツッコミを入れる。
サバ柄の猫は、冷静な目でぼくを見ていた。
「ところで」
低い声で言う。
「お前たちは、何者だ? 人間でいいのか?」
サバ柄の猫の問いに、せいかが小さく息をのんだ。
「わ、私たちは……」
せいかが答えようとした、そのとき。
「待って」
ぼくは、手を上げてせいかを止めた。
せいかが、きょとんとぼくを見る。
ドラとレオの視線も、いっせいにぼくへ向く。
たしかに、この二匹は蜘蛛を退治してくれた。
ぼくが早とちりして攻撃しても、ちゃんと話をしてくれている。
でも――。
(味方って決まったわけじゃない)
ここは、知らない森。
刀を持った猫が歩いてる世界だ。
自分たちのことを、何でもしゃべるのは危険かもしれない。
「……なんだ?」
レオの目が、少しだけ細くなる。
さっきまでより、明らかに警戒している。
空気が、ぴりっと張りつめた。
せいかの手が、ぼくの袖をぎゅっとつかむ。
そのとき。
「レオ」
茶猫が、のんきな声を出した。
「相手のことを聞きたいときは、まず自分から名乗るのが礼儀だぞ」
そう言って、くるっとこちらを向く。
「俺の名前はドラ。近くの村に住んでいる、見た目通り可愛い子猫さんだ」
胸を張る。
どや顔。
「バカッ! やめろ!」
サバ柄猫が慌てて止める。
でも、ドラは止まらない。
「この口うるさいのはレオ。同じ村に住んでいる、俺の幼馴染だ」
「おい!」
レオが頭を抱えた。
洞窟の中に、しーんとした空気が流れる。
レオは大きくため息をついた。
「味方かわからない者に、丁寧に自分の情報を教えるなよ。また先生に怒られるぞ?」
「……あ」
ドラが目をぱちぱちさせる。
「そうだよな。ハハハハハ!」
なぜか大笑い。
「笑い事じゃない!」
レオが小声で怒る。
せいかが、くすっと笑った。
ぼくも、思わず口元がゆるむ。
なんだろう。
さっきまであんなに警戒していたのに。
刀を持ってるのに。
この二匹、なんか……。
(ちょっと、抜けてる)
ぼくは、ふっと肩の力を抜いた。
こんなふうに、自分の村のことや先生のことをぽろっと言うやつが、悪いことをたくらんでいるようには見えない。
レオはまだ真面目な顔をしているけど、ドラは完全に気を抜いている。
ぼくは、せいかを見る。
せいかも、小さくうなずいた。
たぶん、同じことを思ってる。
警戒していた自分が、なんだか少し馬鹿みたいだ。
(こいつらには、少しくらい話してもいいかもしれない)
そう、感じていた。
次回は、3月9日投稿予定です。




