第3話 ルールとスイッチ 後編
アズラエルのいる照明みたいな場所を飛び出して、ぼくは森の中を全力で走った。枝が顔に当たって痛い。草が足にからみつく。でも止まらない。洞窟にいるせいかのところへ、早く戻らないと。
心の中は、ぐちゃぐちゃだったはずなのに、なぜか足は軽かった。
だって――ぼくは逃げなかった。
せっかく帰れるチャンスがあったのに、穴に入らなかった。ひとりで元の世界へ戻って、せいかを置いていかなかった。
「……やった」
ぼくは走りながら、思わず笑ってしまった。
胸の奥が、少しあたたかい。教室のドアの前で止まってしまったぼくとは、ちがう。今のぼくは、ちゃんと前に進んでいる。
アズラエルに会ったこと。天国と地獄の話。せいかが「対象者」だと言われたこと。
全部、せいかに言ったら、きっと泣く。怖がる。自分を責める。
だから、決めた。
「……せいかには、黙っておこう」
帰る方法が見つかるまで。せいかが余計に苦しまないように。ぼくが、なんとかする。
そう思ったとき――
「キャー!」
森の奥から、せいかの叫び声が聞こえた。
「えっ!?」
血が冷たくなる。
ぼくはさらにスピードを上げた。木をよけ、根っこを飛びこえ、息が切れても止まらない。
洞窟の入り口が見えた。
そして――そこに、信じられないものがいた。
服を着て、刀を持った猫が二匹。
一匹はサバ柄の猫。立ったまま、洞窟の外で周りを見張るようにしている。もう一匹は、茶色い毛の猫。洞窟の入り口の近く――せいかのすぐ下で、刀を振り下ろしていた。
「せいか!」
せいかは洞窟の壁ぎわに立ち、顔を青くしている。
茶猫の刀が、地面にガンッ!と刺さる。
土がはねる。
ぼくの頭の中で、言葉がはじけた。
――せいかが襲われてる!
「やめろおおお!」
ぼくは周りを見て、近くに落ちていた木の棒をひろった。30センチくらいの細い枝だ。これなら――戦えるかもしれない。
ぼくは棒を握りしめ、猫に向かって走った。
走りながら、頭の中にいろんなせいかの顔が浮かんだ。
光に包まれて震えていたせいか。
洞窟で泣いて「ごめんね」と言ったせいか。
自分が対象者だと知らずに、何も分からず不安そうに森を歩いていたせいか。
「なんで……せいかばっかり……!」
胸の奥が熱くなる。
どうして、せいかばっかりこんな目にあうんだ。どうして、ぼくたちはこんな場所にいるんだ。
怒りが、体の中で燃える。
その瞬間、ぼくは強く思った。
「せいかは、ぼくが守る!」
強く、強く。
そのとき――
頭の中で、変な音がした。
「ヴーン……カチッ」
まるで、どこかのスイッチが入ったみたいに。
次の瞬間、世界が変わった。
風が止まったみたいに静かになって、周りの動きが全部ゆっくりに見える。
刀が振り下ろされる途中の茶猫の腕。土が舞う粒。せいかが口を開けて何か叫んでいる顔。
でも、声は聞こえない。
ぼくの心臓の音だけが、どくん、どくん、と大きい。
ぼくは、そのまま茶猫に最速で向かっていく。
ゆっくりに見える世界の中で、ぼくだけが動けるみたいだった。
ぼくは木の棒を大きく振り上げて――
刀を振り下ろしている茶猫の頭の近くへ、振り下ろした。
ゴンッ!
手ごたえがあった。
「にゃっ!?」
茶猫がびっくりした声を出し、飛びのいた。だけど、その猫はすぐに刀を構えて、ぼくの棒を受け止めた。
カンッ!
金属の音がする。
茶猫の目が、ぎらっと光る。
次の瞬間、猫が反撃してきた。
刀が横に走る。
でも――ぼくにはそれが、とても遅く見えた。
茶猫が肩を動かした時点で、「次は右から来る」と分かる。
ぼくは体を少しずらすだけで、刀をかわした。
そして、そのまま自分でも驚くような速さで、棒を三回茶猫に向かいたたきつけた。
一回、腕。
二回、肩。
三回、刀の持ち手。
ドドドンッ!
「にゃああっ!」
茶猫がよろける。
でも、茶猫は必死に刀で防いだ。刃が棒をはじき、火花みたいなものが散った。
そのとき。
「そこだ!」
もう一匹のサバ柄猫が、ぼくの真横から斬りかかってきた。
刀が光る。
けれど、やっぱり遅い。
サバ柄猫の足の踏みこみ、肩の動き、目の向き。
全部が見える。
ぼくはすっと後ろに引いて、難なくかわした。
「なっ……!」
サバ柄猫が目を見開く。
ぼくはその猫に向かって攻撃しようと――棒を振り上げた。
その瞬間。
ドクン、ドクン。
体の内側から、音がした。
心臓じゃない。もっと深いところから、体が鳴っている感じ。
「……え?」
足が、急に重くなった。
世界のスローが、ぐにゃっとゆがむ。
視界がふらつく。
「う……っ」
ぼくは、その場に膝をついた。
息が、うまく吸えない。
喉が苦しい。
咳がこみ上げてくる。
「ゲホッ……げほっ!」
ぼくは咳きこんだ。胸が締めつけられて、空気が入ってこない。
立ち上がれない。
意識はあるのに、体が動かない。
「こうちゃん!?」
せいかの声が、やっと聞こえた気がした。
でも、ぼくは返事もできない。
そのとき、せいかが走り出した。
ぼくと猫たちの間に飛びこむ。
せいかは、両手を横に広げて、ぼくをかばうように立った。
「もうやめてください!」
せいかの声が洞窟にひびく。
猫たちは、ぴたりと止まった。
そして、息を切らしながら、茶猫がつぶやいた。
「こいつ……いったい何者だ?」
次回は、3月7日更新予定です。




