第8話 新しい居場所と現実 前編
「ん~……」
ぼくは村長の家の前で、大きく背伸びをした。
朝の空気はひんやりしていて、森の匂いがした。遠くから鳥の鳴き声も聞こえてくる。
……でも。
正直、体は全然すっきりしていない。
結局、ぼくはほとんど一睡もできなかったのだ。
原因はもちろん――
せいか。
昨日、村長に言われた通り、ぼくたちは同じ部屋で寝ることになった。
最初は「まあ、寝るだけだし」と思っていた。
でも、いざ布団に入ると――
すぐ隣に、せいかがいる。
静かな部屋。
聞こえるのは、外の虫の声と、せいかの寝息だけ。
ぼくの心臓は、なぜかずっとドキドキしていた。
(なんでだよ……)
別に、せいかは昔から知ってる幼なじみだ。
なのに。
なぜか落ち着かない。
一方のせいかはというと――
ものの数分で、すやすや寝てしまった。
めちゃくちゃぐっすりだ。
(……いや、いいんだけどさ)
ぼくは天井を見つめながら思った。
こちらだけドキドキしていたみたいで、なんだか変な気分だった。
「こうちゃん! ごはんだって!」
家の中から、せいかの声が聞こえた。
「……はーい」
ぼくは少し間の抜けた返事をして、家の中へ戻った。
食卓には、もう朝ごはんが並んでいた。
野菜が入ったおかゆ。
味噌汁。
そして、漬物。
村長と藤さんも席についている。
「おはよう」
村長が言った。
「おはようございます」
ぼくとせいかは、そろって頭を下げた。
みんなで席につく。
「いただきます」
おかゆをひと口食べる。
あたたかい。
体の奥まで、じんわり温まる感じがした。
ぼくは、思わずほっと息をついた。
(ああ……)
昨日までは、森をさまよっていた。
食べ物も、寝る場所もなくて。
それなのに今は――
決まった時間に、温かいご飯を食べている。
それだけで、すごくありがたいことだと思った。
そのとき、村長が口を開いた。
「さて」
おかゆを食べながら言う。
「保存食を作ると言っていたね」
せいかが背筋を伸ばした。
「はい」
村長はうなずく。
「作業する場所を用意してやろうと思う」
そして藤さんを見る。
「あの作業場を貸してやろう」
「少し片付けをしないといけないが」
藤さんは、少し驚いた顔をした。
「……よろしいのですか?」
「村長、あの作業場は旦那様の……」
村長は、少しだけ黙った。
そして、静かに言った。
「いいんだよ」
遠くを見るような目だった。
「そろそろ私たちも、前に進まないと」
ぼくとせいかは、思わず顔を見合わせた。
今の話で、なんとなく分かった。
その作業場は――
亡くなった村長の旦那さんが使っていた場所なんだ。
大切な場所なのかもしれない。
少し緊張した空気の中で、せいかがゆっくり立ち上がった。
そして、村長に向かって深く頭を下げた。
「大切に使わせていただきます」
まっすぐな声だった。
村長は、少しだけ目を細めた。
「……頼んだよ」
その言葉は、とても静かだった。
藤さんの案内で、ぼくとせいかは村の中を歩いていた。
朝の村はとても静かだ。
畑の土のにおい、遠くの川の音、屋根の上を歩く猫の足音。
見た目だけなら、まるで絵本の中みたいな平和な村だった。
でも――
ぼくの胸の中は、ぜんぜん平和じゃない。
村長が作業場を片付けている間、ぼくたちは保存食に使う食べ物を集めてくるように言われていた。
ただ、この村にはお店がないらしい。
魚を捕る名人。
野菜を育てる名人。
森で果物を採る名人。
そういう猫たちの家を回って、食べ物を分けてもらうしかない。
でも――
(昨日の様子じゃ……)
ぼくはちらっと周りを見る。
道の端で話していた猫たちが、ぼくたちを見ると急に話をやめる。
家の戸が、すっと閉まる。
明らかに――
避けられている。
せいかも同じことに気づいたみたいで、小さくため息をついた。
「……やっぱり警戒されてるね」
「うん」
ぼくも苦笑いする。
そのとき。
さっきから気になっていたことがあった。
ちらっと後ろを見る。
物陰に、ひょこっと耳が見えた。
(……やっぱりいる)
さっきから、ずっと同じ猫がついてきている。
小さい猫だ。
年は、ドラやレオと同じくらい。
でも顔つきがぜんぜん違う。
ドラが元気で、レオがまじめなら――
こいつは、なんというか。
(性格悪そうな顔してるな……)
隠れているつもりらしいけど、全然隠れていない。
ぼくたちは気づかないふりをして歩き続けた。
やがて、最初の家に着いた。
魚とりの名人の家らしい。
藤さんが戸を叩く。
「おはようございます」
中から出てきたのは、奥さんっぽい猫だった。
ぼくたちを見ると、少し困った顔になる。
でも礼儀正しく頭を下げた。
「今日はどうしました?」
藤さんが説明する。
「保存食を作るために、少し食べ物を分けてもらえないでしょうか?」
奥さん猫は、困った顔のまま答えた。
「……すみません」
「旦那は今、川に出ていていないんです」
「私では決められないので……」
つまり――
断られた。
次の家。
その次の家。
「今日は何も採れてないんだ」
「自分たちの分で精いっぱいでね」
「また今度にしてくれ」
断られる。
また断られる。
また断られる。
気づけば、何件も回っていた。
そして、ついに最後の家。
戸を開けたのは、気弱そうな猫だった。
「えっと……」
藤さんが事情を説明する。
猫は困った顔をしていた。
「うーん……」
「今日はちょっと……」
断られそうになった。
そのとき、ぼくは思わず前に出た。
「お願いします!」
猫がびっくりしてぼくを見る。
「少しでいいんです!」
「本当に少しでいいんです!」
猫は困った顔のまま、ぼくと藤さんを見た。
「……じゃあ、少しなら」
その瞬間。
「ちょっと!!」
奥から声がした。
気の強そうな猫が出てくる。
「あなた正気かい?」
旦那猫はびくっとする。
「で、でも……少しくらいなら……」
「ダメに決まってるでしょ!」
ぴしゃっと言われた。
旦那猫はしゅんとして、ぼくを見る。
「……やっぱり無理だ」
戸が、静かに閉まった。
ぼくたちは、その場に立ち尽くした。
――全滅。
食べ物は、ひとつも手に入らなかった。
せいかも黙っている。
藤さんが小さく言った。
「……ごめんね」
「こんな村で」
ぼくは首を振った。
藤さんは本当に申し訳なさそうに一度村長のところに帰っていった。
でも、胸の中はぐちゃぐちゃだった。
(どうするんだよ……)
このままじゃ保存食は作れない。
作れなければ――
ぼくたちは、村から追い出される。
そのときだった。
「人間に協力する猫なんているわけないだろ!」
声がした。
振り向く。
あの子猫だ。
さっきからついてきていたやつ。
「ばーか!」
ぼくの中で、何かが切れた。
「なんでだよ!!」
思わず怒鳴っていた。
「ぼくたちはみんなの役に立とうとしてるのに!」
「どうして分かってくれないんだ!!」
子猫は鼻で笑った。
「別に俺たちは頼んでねーよ!」
「さっさと村から出ていけ!」
そう言って、くるっと向きを変える。
そして走って逃げた。
「待て!!」
ぼくは思わず追いかけようとした。
でも――
「こうちゃん……もういいよ……」
せいかの声だった。
ぼくは足を止めた。
振り返ると、せいかが悲しそうな顔をしている。
ぼくは、何も言えなくなった。
空はいつのまにか、少し曇っていた。
(どうすればいいんだよ……)
ぼくは地面を見つめた。
胸の奥が、ずしんと重い。
まるで、森にいたときと同じだ。
希望が、見えない。
ぼくはその場で立ち尽くした。
ただ、どうしようもない絶望だけが胸に広がっていた。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。次回更新は、3月26日午前中の予定です。
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