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つばめきたる  作者: 月島金魚
【冬】
91/93

87、大寒――ビードロ



最終回の一歩手前。

それでは、どうぞ。





 大寒【だいかん】(一月二十一日~二月三日頃)


 今日は節分(せつぶん)であり、一年で最後の七十二候・鶏始乳にわとりはじめてとやにつくの最終日である。


 明日から暦は立春(りっしゅん)となり、いよいよ本日、正午を待たずに(すずめ)は発つ。


「……つまり春さまは、つばきにやり直す機会を与えたかったんだね」


 小暑(しょうしょ)の小川で玄鳥至(つばめきたる)は翁と二人語らっていた。今日の夏の宮は初夏の気温に抑えられているので過ごしやすい。竹林の中に走る清流は目から耳から染みわたり、そこで水浴びをするルリビタキ、踊る木漏れ日、上質な水の香りは、この後の予定がなければうたた寝したくなるほどに心穏やかな光景だ。


「そういうことだと思います。暦の異変を止めるために人の子を呼んだ、それ自体は本気だったでしょうが、あの方は夏さま秋さまとは違い、はじめから雀を人に返そうと考えていたのではないかと思うんです。それで俺に『雀を導け』と」


 小暑は点頭する。


「雀くんを君に預けることで否応なしに記憶が刺激され、君は傷ついた心と向き合うことになる。じゃあ、春さまはどうして君のためにそこまでしたのか――。『暦たちの異変を内密に調べて自分に報告せよ』、つばきなら無用に騒ぎ立てることはせず、忖度なく包み隠さず知らせるだろう――そう思っていた春さまの誤算だね。その誤算が雀始巣(すずめはじめてすくう)を消し、君の心を傷つけた。そしてそのことに後から気づいた春さまご自身も、たいへんと傷つかれたのだろう。春さまは春さまなりに君への罪滅ぼしをしたかったし、ご自身も救われたかった」


 翁は続ける。


「しかし君が取った手段は春さまの予想を大きく超えた。さしずめ雀始巣を思い出した君が雀くんを人に返すよう、自分に直談判しに来るとでも考えていらっしゃったんだろうけど、君の記憶はいつまで経っても中途半端なままで、それに加えて夏さまの単独行動だったり、雀くんの持つ胆力・引力だったり、面倒くさがりの君が味方を増やすために奔走したり……想像の埒外が重なり合って、しまいにゃ此度の大騒動。春さまもさぞやハラハラなさっただろうねえ。それでも最後まで好きにさせてくださったんだから、君はほんとうに信頼されているんだね」


 おそらく小暑の推察どおりだろう。春は責任を感じていたのだ。それについては素直にありがたいと思う。もう少し他のやり方はなかったものかと言いたい気持ちはあるが。


 興味深いのは記憶に関する部分だ。暦たちの記憶はどうやら消えているのではなく、深海に沈むように、砂の中に引きずり込まれるように、時間をかけて意識の底へ底へと落とされている。


 ――それならたとえ俺たちや雀がこの一年のことを忘れても、何かをきっかけにして思い出すことができるかもしれない。現に今の俺は前任のことをしっかり思い出せるし、再び忘れるようなことは考えられない。思うに、記憶の維持は俺たちより雀のほうが危うい気がする。だが忘れることイコール消えることでないのなら……希望はある。


「つばき、そろそろ行ったほうがいいんじゃないかい」


 連絡ツバメが頭上を旋回している。十時半を過ぎたのだろう。


 小暑に礼を言い、玄鳥至は雀が待つ大寒(だいかん)の屋敷へ向かった。





「――で、最後に大寒。初候は款冬華【ふきのはなさく】、枯れ草の中からフキノトウが顔を出す。帰ったら家の庭にもないか探してみる。次候は水沢腹堅【さわみずこおりつめる】、沢に氷が張るほどの寒さ。じいちゃんが寒くないよう注意する。ラストは末候・鶏始乳【にわとりはじめてとやにつく】、鶏がよく卵を産む頃。たしかに毎年この時期は近所の鶏がうるさかったな……。早起きしておばちゃんに鶏の様子を見せてもらおう」


 雀が暦入門書片手に部屋を行ったり来たりするのを、十歳前後の少女と三十路付近の男が遠巻きに見守っている。


「……何をぶつぶつ言ってるんだ」

「あ、つばき」


 玄鳥至が部屋に入ると、少女――鶏始乳、通称〈鶏子(とりこ)〉が振り返った。


「雀くんね、今ね、七十二候の復習と……とぅーどぅーりすと? っていうのを確認してるんだって」

「今さら、なんでまた……」

「絶対に忘れないように、ってさ」


 答えたのは水沢腹堅(さわみずこおりつめる)だ。


「いい心構えだ。こちらも命を賭けた甲斐があるってもんだ」


 水沢(さわみず)は冬でもよく日に焼けている。決めたことはきちんとやり遂げなければ気が済まない性格で、日々のロードワークを欠かさないためだ。


「つばきが来たってことは、雀くんはもう行く感じだね?」


 鶏子は茶髪にハーフアップの赤い毛束をぴょこぴょこ揺らして小走りし、暖炉の前の塊に「フキ、起きろー!」と、飛びついた。塊――款冬華(ふきのはなさく)はぶたれても揺すられてもピクリともせず、白髪に黄緑が混じるくせ毛を絨毯に散らし綿入れに手足をしまい込み、冬眠を疑うくらいぐっすりやっている。着ぶくれでうっかりクッションと間違えそうだが、鶏子が何度体当たりしても起きないところを見ると、そうなっても問題はないのだろう。


「野郎は寒いと寝ちまうからなあ。この感じだと、今年もまだまだ寒い日が続きそうだな。ま、目が覚めていたってほとんどしゃべらんだろうし、いいんじゃねえの」

「ん、そだね。それじゃあ、天地視書(てんちししょ)を繋げちゃおっか」


 鶏子はてくてく歩いて部屋の中央に愛らしく立った。


 大寒の蔵は二階をなくして天井を高くし、床はフロアに改装して赤絨毯を敷いている。壁には西洋風の様々なアンティークキャビネットが並び、その中には色とりどりのビードロが飾られている。ビードロ工房は隣にあって、この大寒の期間中、雀はビードロ作りの手ほどきを受けた。棒の先に飴がついたように見えるガラスを落とさないよう回転させたり、中に息を吹き込んで膨らませるのをやらせてもらったりして、難しい難しいと騒ぎながらも大いに楽しんだようである。


 鶏子は黄丹(おうに)の袖から大きめのビードロを取り出した。色は五色でステンドグラスのような模様の物だ。吹き口をぱくっと咥え、ふうふう息を吹き入れるたび、ぽっぺん、ぽっぺんと気の抜けた音が鳴る。ぽっぺん、ぽっぺん、ビードロの尻はどんどんどんどん膨らんで、やがて観覧車のゴンドラくらいの大きさになった。


 鶏子は空気を吹き込むのをやめ、天地視書を唱えて開いた。四季の庵に繋がる金の橋がビードロの中に見えている。


「じゃあ雀くん、またねー」


 鶏子は片手をふりふり振ると蔵の外へパタパタ走っていって、それきり戻ってこなかった。水沢はフキを乱暴に肩の上に担ぎ、「じゃ」と空いているほうの手を軽く上げる。明日また会うかのような、気楽な別れ方だった。冬の宮の者は、必ずまた春が巡り来ることを知っている。


「行くか」


 玄鳥至が目線を向けると、雀はえくぼを見せてうなずいた。


「はい」


 そして雀はぼろぼろになった暦入門書をテーブルの上に置いた。





ここまでお読みいただきましてありがとうございます。

次回、いよいよ最終回!

明日、2月3日の11時〜11時30分の間に投稿します。

可能であればリアルタイムでお楽しみください。最後までどうぞよろしくお願いいたします!



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