77、冬の宮の主
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
うおおー、最終回まであとひと月!
「――今現在、秋季は半分がこちらにつきました。あとどれくらいやれるかはわかりませんが、なんとしてでも全員を説得したいところです。全員でなくては意味がありませんから……」
冬の部屋の出窓は大きい。その窓の外は直視できないほどに白い。新年の朝の清い光と輝く雪。一歩外に出ればその白に包み込まれて、己まで吸収されてしまいそうだ。
――消えるというのは、そういうことなのかもしれない。
隣の雀はうつむいている。テーブルにぽたぽたと水玉模様ができていく。
玄鳥至は冷めた珈琲をぐいと飲みほした。香ばしい苦みが心をほぐし、柄にもなく緊張していたのだと知った。
「教えてほしかった」
と、雀が涙と一緒にぽつり、ぽつり。
「教えてほしかったです。たとえ人の記憶がなかったとしても、俺自身のことなんですから……」
「悪かった」
皆にさんざん言われたように、話すべきだった。今では玄鳥至もそう思う。
――春さまとの対立、親離れ……いろいろ理由をつけたが、俺はそれらがうわべだけの理由だと知っている。ほんとうは、俺は――俺は怖かったのだ。こいつが自分からここを去ると言い出すことが。帰すべきだ。だが本心では帰したくないのだ――。
時々、抑え込んだはずの恐怖が首をもたげる。「俺たちを見捨てないでくれ」と、この少年にすがりたくなる。消えるのはおそろしいことだ。忘れられるのは悲しいことだ。小暑の言ったとおりだった。自分はそれらをおそれている。
――俺は怖い。だからこそ立ち向かわなければならないんだ。恐怖に打ち勝て。それが俺たちの、暦の新しい一歩となる!
玄鳥至は内心で燃え上がったが、冬の言葉に冷水をぶっかけられた。
「お前の策は野蛮だな、つばき。暦たちはどうなってもよいのだな」
「……おっしゃるとおりです」
四季の最後の一人。この者の助力を得られなければ、玄鳥至の一計は成功しない。
――いや、まだ大丈夫だ。もし冬さまがだめだとしても、もう一人――。
「私が断れば土用に頼むか」
お見通しか。玄鳥至は目を瞑った。
――まあ当然、ばれるよな。
雑節の長、土用。四季と同等の力を持つ存在。
「言っておくが、此度のことに土用は関わっていない。彼を味方につけたところで何もできぬぞ。土用はたしかに我らに対し発言力を持つが、それでころっと気持ちを変えるほど四季は軽佻浮薄ではない」
冬の物言いは相手の心の蔵に氷柱を突き立てるようで、普段は誰かの言に動じることの少ない玄鳥至でもたいへんと堪えた。
「つまりあなたさま次第というわけですね」
「そうなるな」
「……今、お返事をいただいても?」
「わざわざ聞かずともわかるだろう」
玄鳥至は肩を落とした。――冬は続けた。
「いいだろう。私もその船に乗ろう」
沈黙。
ん? と玄鳥至は相手の表情を窺った。
「乗る……とは、その。しかし……?」
「思うに、四季の船より沈まなそうだ」
玄鳥至は瞠目した。声が上ずりそうになるのをなんとか抑えた。
「よろしいのですか?」
「良いも何も。雀がそれを望むなら」
二人で雀の顔を見る。雀は唇を引き結んでこっくりした。
冬は新しい珈琲を入れてきて、自分のカップに角砂糖を四つ落とした。そこで思い出したように二人にも角砂糖を勧めた。玄鳥至は丁重にお断りしたが、雀は二個入れた。冬が無言でこちらを凝視するので、玄鳥至は自分のカップを手前に引き寄せた。
「冬さま。あなたは四季だ。なぜ我々に手を貸すのです。冬さまは人びいきだと昔からよく聞きますが、それが理由なのですか」
冬は感情の読めぬ調子で問い返した。
「私が数ある生命の中でも、こと人を気に入っているのはなぜだと思う」
「見当もつきません。冬季の者ですら知らないことでしょう」
冬は珈琲片手に立ち上がり、窓際に寄って玄鳥至が直視できないほどに眩い雪景色を悠々と眺めた。
「冬を喜ぶ種は少ない。冬は多くの生命にとって眠りや終わりを意味する季節であり、春に焦がれながら耐え忍ぶ時である。ところが人はそこに楽しみを見いだした。寒さに震え、乏しい食料で飢えをしのぎながら、荒れた唇で冬を美しいと言った。澄み渡る夜空や朝の清涼な空気、霜柱や池に張る氷、生命を閉じ込める雪景色。そのすべてを愛おしいと言っていた。
世が移り変わり裕福になると、人々の冬を想う心もまた豊かになった。イルミネーション、ファッション、冬季限定お菓子は目にも楽しい。異国の神の生誕祭まで取り入れ、子どもたちが冬を心待ちにする姿のなんと愛らしいことか。――冬が! この冬が! 今か今かと心待ちにされているのだ! 春でも夏でも秋でもなく、冬が! 人は良い。人は物事を光に転ずる力を持っている。寒ければそれを理由に手を繋ぎ、寄り添い合って愛を語る。私は感動した! それが理由だ」
「……はあ、そうですか……」
相槌はそれしか出てこなかった。玄鳥至の予想の遥か斜め上空、高度一万メートルくらいの理由であった。
「どうして我々暦が人の姿をしているのか。――つばき、お前は考えたことがあるか」
冬は恍惚とした表情から、何事もなかったかのようにもとの能面に戻った。
「いえ……。仕事しやすいからでしょうか」
「暦とは、人が生み出したものだからだ」
冬は噛みしめるように言う。
「四季も暦も、人が名と役割を与えて生まれた。もとは自然という大きな時間の流れに過ぎぬ。人々はそこに、自分たちが豊かに暮らしていくための目印を見出した。つまり暦とは、はじめから人のために在る。人の意識が、営みが、我ら暦に命を与え動かしている。人に忘れられた時、我らも消える。自然という大河の一部に還る。人を愛し、愛されたいと願うこの心も人が生み出したのだとしたら、私はそれを人々に知ってもらいたい。雀にはぜひそれを頼みたいのだ。ここでの記憶をたとえ失ったとしても、心には深く、色濃く刻まれているはずだ」
「冬さま……」
自然と頭が下がった。謎多き冬の宮の主。今日こうして話ができたことは、実に光栄であった。
するとここで冬の視線が玄鳥至のカップに注がれた。
「私はツバメが好きではない」
「え、なんですか藪から棒に」
「ツバメは冬から逃げるからな……」
玄鳥至は素早く角砂糖を三個自分のカップに放り込み、混ぜずにカップの縁に口をつけた――だめだ、ばれている。意を決して喉に通した。もうこのまま一気に飲み干したほうが楽になれそうだ。視界の端で雀が肩を震わせている。冬に気づかれぬようテーブルの下で雀の椅子の足を蹴った。生意気小僧の震えが止まった。
冬は自分の席に戻ると再び話し始めた。
「私はもともと、人を暦に据えることに反対だった。だが他の三名の言い分もわかる。ゆえに私は闇に潜み、可能な限りいつでもどこでも雀の様子を見守り、困ったことがあれば手助けしようと考えていた」
鼻に痛みが走った。鼻から珈琲が出ていた。
「ちょっと……ちょっと待っ……、え、それはつまり、こいつを四六時中見張っていたってことですか」
隣で雀がむせた。玄鳥至はテーブルに置かれていたナプキンを渡してやった。
「人聞きの悪いことを申すな。夏の宮と秋の宮には入っていない。そこの主の許可なく入ることはできないからな。見張っていたのではなく、見守りながら、今後どうするかを熟考していたのだ」
「まずやり方のおかしさに気づいたほうがいいですよ」
「雀」
冬は玄鳥至を無視し、ナプキンに顔を埋める雀に優しく呼びかけた。
「記憶を封じる氷が溶けて、それでどうすることにしたのかを、今度はお前がつばきに聞かせてやるといい」
雀はまだら模様になった布をテーブルに下ろすと、「はい」と力強く首肯した。
冬が立ち上がり、キビキビとした動きで棚から小雪の初候・朔風払葉の作品である寄木細工の大皿を持ってくると、その上に手をかざした。
「我は冬。繋げ、《天地視書》」
皿からあふれ出した闇に飲まれて雀と二人落とされた先は、夏以降、玄鳥至が数えきれないほど足繁く通った家だった。
次回は1月5日(金)になります。
雀くんメイン回! よろしくお願いいたしますっ!




