68、大雪(後編)――クマさんの話
最近よくニュースになっているあの話題に触れています。
この話書いたの2019年なんですけどね。
鮭に捕まり、雀は二人について城のある公園や茶屋街を見て回った。やっていることは誰がどう見ても観光だ。二人は自身にまじないをかけて人の前に姿を現し、欲のままに買い食いした。雀の目には暦としての二人の姿が映っているが、人には親子のように見えているようで、好奇の目にさらされることはなかった。
陽が西に傾いてきた頃、雀はしびれを切らして熊に言った。
「冬眠前のクマの様子を見に行かれないのですか」
熊は買ったばかりの水飴の包装を開けているところだった。半透明なそれを割り箸にくるくる巻きつけ、雀に手渡す。雀はこんな物でごまかされないぞと勢いよく口に含んだが、おいしさに少し頬がゆるんだ。
「んん……わしが行ったところですることもなし、彼らはずっと前からわしの合図を感じ取って巣ごもりの準備をしているし、あとは各々好きに眠るだけだよ」
雀は口から飴を引き抜いた。唇が尖った。
「でもクマが人のいる場所によく出るようになって困ってるって、毎年ニュースで見てますよ。あれはなんとかできないんですか」
「うーん、なんとかしてあげたいけどね、里山がなくなったのを、クマさんたちは見ない振りはできないよ。敵の縄張りが弱くなっていれば、自分の縄張りにするのは自然なことだよ」
「里山って……?」
「ん、クマさんが住むのが奥山、人が住むのが人里、そのあいだにあるのが里山だね。昔は林業が盛んだったから、人が手を加えて管理していた場所があるんだよ。そこが奥山との境になっていた。そういう所は他より見晴らしがよくなっているからね、クマさんたちは隠れられないのがいやで、姿を現さなかったんだ。でも今はそれがない。里山だった場所にも来放題になったんだね」
熊は自分のぶんも水飴を取ってあーんと咥えた。雀の倍もあるひと口だ。
「それとね、天候の関係で満足に食料を得られない年は、クマさんは奥山から遠出するしかなくなるんだよ。人の住む所には、家畜や果樹や農作物や、クマさんにとって魅力的なものがたぁくさんある。行っちゃうよねえ、生きるために。命の危険を冒してでも」
「クマが人に射殺されるのを、あなたはどう……?」
「んん、どうも何も。生物っていうのは自分の命を守るために殺し合うでしょう。それは遥か昔から行われていたことだ。わしはどうもしないよ。ただ在るだけだよ」
同じ言葉を熊は重ねる。
「特別なことは何もしない。わしはただ在るだけでいい。それだけできちんと暦は動く。わしの仕事は、暦を動かすことだから」
雀は九か月間、他の暦たちの仕事を見てきた。皆能天気ではありながら、自身の仕事に対してもっと心を砕いていたように思える。
「でも暦だって頑張らないと……」
「んー、じゃあ君は? 雀くんだったら、クマさんと人をどういうふうに共生させる?」
これはきちんと納得のいく答えを出さなければ――雀は唇を湿らせた。水飴の甘さが残っていた。
「……えっと、奥山に果樹を植える、とか。あと林業を再開させて……」
「それを君が一人でするの?」
「いや、一人では……。たくさんの人に手伝ってもらわないと」
「そうだね、無理だね。じゃあそのたくさんの人はどうやって集めるの? どうやって話を聞いてもらう? どうやって賛同してもらう? 報酬を出すのかな? その報酬はどこから来るの?」
「……えっと……」
夕日が熊の背後に回って、その体躯がより大きく膨れ上がった。今にも雀に覆い被さりそうだ。これは錯覚だとわかっていても、雀の額から冷や汗が噴き出した。本物のクマと遭遇したら、きっと今のように固まって動けなくなるだろう。
熊の体が少しだけ横にずれた。光が一直線に雀の目を射た。
それに気づいた熊はすぐに体をもとの位置に戻した。弱められた光の中に柔和な熊の顔が浮かんでいた。
「うん、わからないよね。この話は果てしなく広げられちゃうからね。だからさ、そんなに頑張ろうとしなくていいんじゃない? 君はただ移り変わる季節を、巡る命を愛していればいいんだよ。暦とはそういうものなんだから」
ほとんど反射的に、雀は言い返していた。
「よくないです」
熊と目が合う。肝が冷えるのを感じながらも、もう一度、
「よくないです」
陽は熊の背後にあるが、なぜだろう、熊は眩しそうに目をすがめた。彼はもぞもぞと体を動かしたが、もう怖い空気をまとってはいなかった。
「んー、それならいっぱい勉強しなくちゃだね。でも君は本来、ただ在るだけでいいんだよ。これは暦に限った話じゃない。みんな肩に力を入れず、悠々閑々とやっていたほうがうまくいくことも多いと思うよ」
「でもさあ」
と、隣でなかなか減らないべっこう飴と格闘していた鮭が口を挟んだ。
「頑張ったほうがいい時だってあるよ。熊もさ、たまにはがつんとクマさんたちに言ってほしいな。鮭捕りすぎ! って叱ってよ。今年はどれくらいの数が生き延びられるかなって思ったら、ぼく、すっごく怖いんだから」
「ん、ごめんなあ、さっちゃん。クマさんたちも生きることに必死だから」
「ふんっだ! クマは外敵から食料として狙われないからわからないんだあ。――あ!」
ぎくり、三人同時に硬直した。目線の先には、抜き身の刀剣を下げて仁王立ちする彼らの上司。雀は水飴を食べ終えていたので、割り箸一本をそっと袖に隠した。
「鮭、熊――雀。覚悟はできているんだろうな」
「きゃあ! 大雪さま、どうしてここが――あっ!」
大雪の背後には冬成が控えている。冬成はフンと鼻を鳴らした。
「俺の鼻をごまかせると思うな。ソフトクリーム、抹茶、上生菓子、コロッケ、鰻の蒲焼き、べっこう飴、それから――水飴」
じろりと睨めつけられて、雀はしおしおと袖から証拠を出した。
三人は大雪の作業部屋で説教を受けたが、くどくど長い説教ではなく、簡潔にバシッときつく叱るというもので、反省の色を見せればあっさり終わった。鮭と熊もお得意の切り替えの早さで即解散したが、大雪はそれに輪を掛けてけろりとしていて、説教などはじめからなかったかのようだ。
大雪の面々は放任主義で、この期間の雀は自ら考えて行動しなければならなかった。
彼らの天地視書、日本刀の材料となる玉鋼作りは精霊に委託しているので、彼らの刀作りとはまさに刀工のそれであった。玉鋼を炉で熱し、打ち延ばす等の最初の作業は熊がやり、〈鍛錬〉と呼ばれる大槌小槌で叩く作業から冬成が加わり、鋼を徐々に刀の形に打ち延ばす〈素延べ〉等の作業を行う。そこから先は大雪と交代して、刀身に波紋を出す〈焼入れ〉、仕上げに刀身を研磨する〈鍛冶研ぎ〉、それから茎(柄の中に入る部分)にやすりがけをし、目釘穴を開け、最後に銘を刻む。
鮭は鞘を作る〈鞘師〉であり、大雪と共に柄も担当する。力仕事は熊と冬成、手業は鮭、仕上げに関わる部分を大雪という分担だ。
どれも雀には難しい。右往左往した末に、最後の下げ緒を結ぶところだけやらせてもらった。脇から彼らの仕事ぶりを見ていても邪魔にされることはなく、かといって手を止めて説明してくれるでもなく、静かに好きなだけ職人の技を間近で見た。
無視とは違う不干渉に、はじめのうちは雀も「うまく立ち回らなければ」と緊張したが、彼らの程よい距離感を理解してからは、次第に肩の力を抜いて過ごすことができた。
一人だが、独りにはならない。もしかしたら冬の宮は自分にとって最も過ごしやすい宮かもしれないと、雀は思った。
次回は12月6日(水)。冬至に入ります。
二十四節気・冬至は意外な者と繋がりがあったーー
お楽しみに!




