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つばめきたる  作者: 月島金魚
【秋】
64/93

61、霞・朧・霧



雀の冒険の一日が終わりを迎えます。

そこに迎えに来たのは……?





 辺りはもうすっかり暗い。就業の合図である夕焼け小焼けの鐘が鳴り、立秋(りっしゅう)の面々は夕食に向かうことになった。(すずめ)も誘われたが、感謝を述べながらも辞退した。疲労と奇妙な高揚感に、早く一人になりたいと思った。あっという間だった気もするが、振り返れば内容の濃い一日だった。


「じゃ、僕はこれで」


 さっとつばさが踵を返す。雀はその背に声をかけた。


「つばささん、今日はありがとうございました」

秋分(しゅうぶん)さまの頼みじゃ断れないしね」


 憎まれ口を叩いてから、つばさはふと真面目な顔をして、


「……ねえ、ここでの生活は楽しい?」

「はい。皆さん良くしてくれますし」

「そう。君は見所があるらしいから、その時が来たらきちんと独り立ちできるように、今はしっかり学びなよ。前の雀始巣(すずめはじめてすくう)みたいにならないようにね」


 嫌味かと思ったが、つばさの目に真剣な色を見いだして、雀はつい思ったことを口にしていた。


「つばささんって、やっぱりつばきさんに似ていますよね。兄弟ですね」


 虚をつかれたのか、つばさははじめてわずかに動揺を見せた。


「似てる? そんなこと誰にも言われたことないよ」

「つばささんもお人好しです。頼まれたら断れるのに断らないし、親身で丁寧だ」


 つばさはいやそうに顔を歪めて背けたが、こちらに向いた耳がほんのり赤かった。


「まあね。僕って、話しやすい奴で通ってるから」


 それからちょっぴりすねたように、


「……あのさ、兄さんときちんと話しなよ。兄さんって、けっこう勝手で強情なんだ」




 黒い山が日中より低く見える。秋虫の声が染み入る木の回廊を、雀はゆっくり一人で歩いて帰った。今日あったことについて考える必要があった。


 ところがいくらも行かないうちに、等間隔に吊るされた提灯と提灯の暗い境目、その下の欄干に腰かける黒い人影を認めて足を止めた。


蒙霧(ふかき)さん」


 声をかけると、日中さんざん雀を振り回した黒い男――立秋の末候・蒙霧升降(ふかききりまとう)がこちらを向いた。影で表情が見えづらいが、あのいやな笑みを浮かべているようだ。


「秋の宮巡りは楽しかったか?」

「はい。とても」

「よかったな」

「思ってませんよね」


 考えるより先に言葉が出た。恐れはなかった。


「おれのこと嫌いですか? おれはあなたに何かしましたか」


 蒙霧は独特の引き笑いを繰り返すだけで何も言わない。


「笑ってないで答えてください。おれは知らないうちに、あなたに失礼を――」

「暦になる覚悟は決まったのか」

「はい」


 即答した。


「なります。おれはみんなの役に立ちたい」


 蒙霧の顔から笑みが消えた。


「じいちゃんのことはいいんだな」

「え?」


 霧が出てきた。


「もういい、しまいだ。俺はもうお前に興味がない」


 逃げる気だ――雀は咄嗟に男の黒い羽織を掴んだ。


「おい、離せ」

「あんたはどうして、こんな――」

「お前の言うとおりさ、お前のことが嫌いなんだよ」

「違う」


 雀は両手で強く掴みなおした。霧にまかれる前に言いたいことを言いきらなければ。


「あんたはおれに教えてくれたんでしょう。周りに流されてただ受け入れるばかりじゃなく、他の選択肢もあるんだってこと」

「良いふうに解釈しすぎだろう。こちとらそんなに親切じゃねえ」

「おれはあんたのこと嫌いじゃない。だってすごく勉強になったから」


 濃霧が噴き出し、底冷えするような冷気をまとって雀を取り囲んだ。


 強烈な寒気に襲われ、雀はよろめいた。心の内にまで霧を送り込まれたようだ。何か得体の知れないものが胸につかえて嘔吐きそうになり、空いている手で口を押さえる。言い返したいのに、口を閉じることに必死になる。


 涙目になりながらも雀は男を睨みつけた。意地でも掴んだ羽織を離すつもりはない。


「チッ、このクソガキが――」

「蒙霧!」


 足音と共にふたつの人影が見え、間を空けずに霧の中から飛び出してきた。先頭は春季・雨水(うすい)の次候、霞始靆かすみはじめてたなびく、その後ろには――。


 ――つばきさん、来てくれた……。


 (かすみ)が腕を一振りして分厚くのしかかっていた霧をいとも簡単に消し去ると、虫の音と夜の回廊が戻ってきた。灯りがじんわり目に染みたが、その温かさに安堵した。


 蒙霧は今度こそ雀の手を払いのけると、袖から飴を取り出し乱暴に包装を破って口に投げ入れ、苛立つままにガリガリ噛んだ。


「へっ、たかがガキ一人のお迎えにあんたまで出てくるとはね」

「霧の出る夜道は危険だからな」


 霞の声がいつもよりずっと硬い。猫と接している時とはまるで別人である。蒙霧は肩をすくめて欄干に寄りかかった。


「あの、つばきさん、どうしてここに……?」


 うれしさに頬が持ち上がるのを自覚しながら駆け寄ったが、つばきは雀を見ずに「帰りが遅かったからな」とおざなりに言って、霞のほうに軽く頭を下げた。


「悪いな、ここまで来てもらって」

「弟を止めるのは兄としての務めだろう。当然のことだ」

「……弟? 蒙霧さんが、霞さんの?」


 雀がつぶやくと、それを拾ったつばきが怪訝な顔をした。


「霞? 今は霞ではなく、(おぼろ)のほうだ」

「えっと……誰ですって?」

「知らないのか? 朧だよ。霞のもう一人の人格の」


 戸惑いながらうなずいて、霞――朧を見やると、朧のほうも当惑していた。


「馬鹿な。大風呂や食事処で会っているぞ」

「自己紹介をしたことはあったのか? いや、そもそも会話をしたか?」


 朧は口にこぶしを当てて難しい顔をした。霞と同じ顔なのに受ける印象がかなり違う。霞は垂れ目だが、今は若干目尻が上がっているように見えるのは人格の違いからか。


「言われてみれば……ないな」


 きちんと締めたネクタイに触れ――これもいつもの肉球柄ではなく猫のシルエット柄だ――朧は丁寧に説明してくれた。


 霞と朧はいわゆる二重人格だが、双子のようなものだと言う。日の出から日没までが霞の時間で、その逆が朧の時間というふうに、表に出る時間がきっちり分けられている。一方が出ればもう一方は眠る。春の朝の水蒸気を霞、夜に出るものを朧と呼ぶからこうなったのだと、彼は語った。


「〈霧〉と呼ぶのは秋なんだ。霞、朧、霧……同じものでも季節と時間によって呼び名が変わる。私たちは同じであって、それぞれ違う存在なのだ」


 重ねてすまないと朧は苦笑した。


「兄弟そろって君を混乱させてしまったな」


 蒙霧は我関せずで次の飴を取り出している。雀は目の前の朧とふてぶてしい蒙霧を交互に見た。


 ――蒙霧さんと会った時、誰かに似ていると思ったのはこれだったのか。性格は全然似てないけれど……。


「おい」


 蒙霧が二個目の飴を口に放り込んだ。


「ただ迎えに来たんじゃねえ、俺がいるから来たんだろ。さっさと済ませねえと、秋のじじいに勘づかれるぜ」


 朧とつばきが目を見交わした。朧の周囲から、そして蒙霧の背後から霧が広がる。


 つばきが雀の真正面に立った。目が合うのは久しぶりだなと、雀は他人事のように思った。それと同時に、今の自分はかなり疲弊していて頭がうまく働いておらず、つばきの話を聞くには危険な状態だと、内なる自分が警鐘を鳴らすのを頭蓋骨の奥で聞いた。





次回、秋の宮編ラスト!

10月19日(木)に投稿します。


『秋の夜の終わりに』


どうぞよろしくお願いします!



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