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つばめきたる  作者: 月島金魚
【夏】
45/93

43、夏の夜の終わりに



夏の宮編、ラスト。

どうぞお楽しみください。





「試したいことがある。ついてきてくれないかい」



 連れて行かれたのは温風(あつかぜ)の寝所であった。病人は四日前と変わらず熱の高い息を吐き、まぶたを糊付されたように隙間なく閉じている。そばには小暑(しょうしょ)(れん)鷹乃(たかの)の三人が緊張した面持ちで座していたが、夏が来るや全員がさっと立って場所を譲った。


「温風の体に触れるんだ。どこでもいい」


 夏は興奮を隠しきれない様子で、まばたきを忘れて(すずめ)を凝視する。雀は真夏の太陽を直接見たかのように目をすぼめた。


虫啓(むしひら)と桃を離した時のように、やわく触れるだけでいいんだ」


 玄鳥至(つばめきたる)はぎょっとした。春の宮だけに留めたはずの事件をなぜ知っている?


「春さまに伺ったよ。二度に渡って虫啓と桃を離したのは、雀くん、君だそうだね」


 雀はさあっと青ざめた。


「たまたまです! おれは何も……!」

大雨(たいう)の涙を引っ込めたのも、今日梅子の筆を見つけたのも君だった。じゃあ、温風は? さあ、やって見せてくれないか」

「夏さま、おれは……!」


 雀は血の気の失せた唇を戦慄かせた。すると夏はおどけて肩をすくめた。


「もしや、と思っただけだよ。だめでもともと、君のせいなわけがない。けれど成功したら儲けもんだと思わないかい?」


 雀は救いを求める視線を教育係に送りかけて、


「つばきだってそう思うだろう?」


 という夏の言葉に動きを止められた。


「……そうですね」


 玄鳥至が無表情でそう言うと、雀はふらふらと温風の傍らに膝をついた。祈るように睫毛を伏せ、震える指で布団から出ている温風の手に触れる。――何も変わらない。


「――だめか」


 夏が低い声で唸った。滅多にない、否、はじめて聞いた夏の落胆の声だった。


「そううまくはいかないね。ありがとう、雀くん」

「いえ……」


 雀はほっとしたような、やるせないようなかすれ声で首を下げた。


 夏が踵を返し、玄鳥至は押し黙ったままその後に続く。小暑の前を通る際に翁と目を合わせようとしたが、翁は一点に視線を固定していた。その方向を追うと、雀がまだその場に座り込んでいた。


 と、雀は温風の額の濡れ手ぬぐいがずり落ちかけていることに気がついた。直してやろうと、雀は手ぬぐいに手を伸ばした――。



「ぶはぁっ!」



 突然、温風が大きく息を吸い込んだ。布団をかけた胸が膨らみ、湯気が立つ息を一気に吐ききる。


 夏はパッと玄鳥至の前から消えて、温風の枕元に現れた。


「何をした?」


 鋭いまなざしに雀はまごついて言葉が出ず、手だけを動かした。


「頭に触れたのか。……なるほど、熱か」


 温風は数回深い呼吸を繰り返すと、今しがたまで苦しんでいたのが嘘のように静かになって、とろりとうるんだ瞳を覗かせた。


「……夏さま?」

「やあ、温風。気分はどうだい」

「急に楽になったんです。もう秋に入ったんですか? それとも冬?」

「何を寝ぼけたことを言っているんだ」


 夏の声は温かく、胸いっぱいの喜びにあふれていた。


「夏だよ。お前のいちばん好きな季節だろう」


 蓮がわっと泣き出して、温風の体に飛びついた。鷹乃は両手で眼鏡を押し上げて顔を覆い、その背中を小暑が優しく叩く。


 蓮に押しのけられて雀は呆然と尻もちをついていたが、真後ろに玄鳥至の足があることに気がついて顔を上げ――ぎゅっと目を閉じた。雫が雀の頬に弾かれ、散った。




 その後一行は上機嫌な夏に連れられて宴会場へと向かった。


 立夏(りっか)の湖畔には竹のベンチが設置され、大きなピクニックシートの上には重箱のごちそうが並び、夏季の暦たちが今か今かと主を待っていた。


 夏の隣に健康そのものの温風を認めると、暦たちは拍手喝采でそれを迎えた。夏が雀を前に押し出してその功績をたたえればさらに大きな拍手を送った。


 宴が始まった。皆よく食べ、よく飲み、しゃべり、歌い、踊り、日が暮れると提灯明かりを灯し、湖の真上に花火を打ち上げた。


 にぎやかだった。夏の宮の者だけでなく、話を聞いた他宮の者もちらほら参加して、皆が夏の夜風と多幸感に包まれていた。


 梅子が、大雨が、温風が笑っている。暦たちは雀を褒めちぎり、救世主だと言って雀の頭をくしゃくしゃにした。雀のほうはといえば、そうされればされるほど戸惑うばかりで、絶えず気のないえくぼを貼り付け、いつの間にか姿が見えなくなった教育係を目で探した。


 爆発音に震動する水面に歪んだ花火が次々打ち落とされる。玄鳥至は竹のベンチに一人座り、それを眺めながらロックの焼酎を舐めていた。


 宴会も終盤に差しかかった頃、いつぞやの宴のように玄鳥至を見つけた雀が戻ってきた。ぽつりぽつり、とりとめのない話をしながらしばらく二人で花火を眺める。夜空いっぱいに爆ぜる大輪ではなく、湖面に咲く不出来な物を。


 やがて雀がか細い声で切り出した。


「さっき、夏さまに言われました」

「なんて?」


 花火と酔っ払いどもが騒がしい。だが不思議と雀の声だけは、切り取られたように玄鳥至の耳に届いた。


「『君はぐちゃぐちゃになった暦たちを救うために選ばれた存在なのかもしれないね。みんなが君を頼りにするよ』――って」


 カラン、とグラスの氷が身じろぎした。



 ――この子を導いてあげてくださいね。



 はじめて雀を任された日、春の言葉には別の意味があったのだ。


「どこへ導けとおっしゃるのだ……」


 万華鏡花火が咲いた。菊や牡丹も続けて咲いた。どれもこれも色形が歪んで溶けた。


 水上花火が噴き上がり、最後の連射連発が始まった。湖面は無秩序に色を重ねた油絵のようで、もはやそこからただひとつの形を見出すことは不可能になった。


 ひと際大きいドン、が響いた時、意を決したように雀が口を開いた。


「……ねえ、つばきさん。さっきの、あの病室で寝ていたのは、お――」

「雀」


 遮った。この話題になれば遮ろうと決めていた。


「……はい」

「今日あの場で見たものは一度忘れろ。誰にも言うな」

「……」


 空がパッと明るくなって、柳のように枝垂れる花火が互いの顔を長く照らした。少年の瞳が暗い湖面のように、ざわざわ、ゆらゆら揺れていた。


「わかったな」


 雀は何か言いたそうにしたが、煙立ち上る夜のざわめきと拍手に呑まれていった。





夏の宮編、これにて終了です〜〜〜!

ここまでお読みくださり、ありがとうございます……!

いかがでしたでしょうか。

よろしければ感想やレビュー、ブクマ、評価をお願い致します。読者様の反応が見えると作者・月島がすんごく喜びます!!


秋の宮編のスタートは8月8日(火)です。

本日22時頃に活動報告を上げます。そこで今後の投稿スケジュールについて記載しますので、ぜひぜひ御一読下さいませ。


連日とんでもない気温ですが、残りの夏を楽しみますとともに、良き秋をお迎えください^^



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