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つばめきたる  作者: 月島金魚
【夏】
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39、大暑(前編)――大雨の涙



たくさんある雨の名前。先人たちの言の葉のセンスが光りますね。





 出口が近づくと、笹舟はジェットエンジンがついたかのように急激に速度を上げた。


 トンネルから飛び出すと同時に体がもとの大きさに戻り、小川のほとりにぽいぽい放られた。背後で着地に失敗した(すずめ)の「ふぎゃっ」が聞こえた。


 小暑(しょうしょ)の予想どおり、その場にいたのは大暑(たいしょ)の面々だった。


「ほら、皆さん戻ってきましたよ。さあさ、泣くのはもうおやめなさい」


 白地に朝顔の浴衣の中年女性、土潤溽暑つちうるおうてむしあつし――暑子(あつこ)がしゃがみ込んだまま動かない娘の背をさすってなだめる。娘は濡れにぞ濡れしひまわり柄の浴衣の色を、紺から黒へと変色させて尚、まだ足りぬと泣き続ける。滝のような涙の手本を見せるこの娘の名を、大雨時行(たいうときどきふる)と言う。


「だってあたしうれしくって、感動しちゃって……止まらないんですぅ」

「ああもう、うっとうしい!」


 そばにいた別の娘がキイキイ怒鳴った。藍染の雪花絞りの浴衣を着こなす日本髪、桐始結花きりはじめてはなをむすぶだ。


「いい加減にしてくださるかしら! 見なさい、つばきが幻滅しているでしょう!」

「俺を巻き込まないでくれ」


 玄鳥至(つばめきたる)は伸びてくる桐花(きりか)の細腕を合気道のような動きで避けた。


「皆さんお疲れさま!」


 大暑がビール腹をゆっさゆっさと揺らしながら近寄ってきて、尻餅をついたまま唖然としている雀に手を差しのべた。


「これはこれは、雀くん。浜辺に戻ったばかりの浦島太郎みたいにボーッとしているね」

「あ、いや……、なんだかこの流れについていけてなくて……」

「さもありなん!」


 大暑は腹をぽんと叩いた。


「小暑の天地視書(てんちししょ)は生き物としての感覚が狂うんだ。小さい生物になったかと思いきや、もっと途方もなく大きなものになったかのような」

「いや、それもそうなんですけど、そうじゃなくて……」

「ぎゃあああん!」


 辺り一面が涙のにおいに蒸れた。


「あだじっ、雀ぐんに会えでっ、うれじい!」

大雨(たいう)、大雨。ほれ、憧れの雀くんだよ。せっかくだから握手しなさい」


 大暑が雀の右手首を掴んで大雨の前に突き出すと、阿吽の呼吸で暑子が大雨の右手を掴みその手を握らせた。連携の取れた早業に雀はされるがままであったが、大雨のほうはみるみる涙を引っ込めて、しゃくり上げながらもにこにこし出した。


 雀は逃げ出したい気持ちを目力だけで教育係に訴えた。これを無視すれば永遠に恨まれそうだと教育係は受け入れた。


「大暑さま、そちらには明日お伺いする予定でしたが、何かあったのですか」


 色目ですり寄ってくる桐花を躱しつつ玄鳥至が問うと、大暑は大雨を後ろに下がらせて暑子に任せ、自分は肉厚な背中とパンツのあいだから団扇を引き抜いてぱたぱた扇いだ。


「たぶんそろそろ筆を落とした場所の見当がつく頃だからさ。そうなると筆探しに集中しなきゃいけなくなるから、大暑の説明どころではないと思ってね」

「それならまた改めて大暑さまの任期にお伺いしますが……」


 目の前に団扇が突きつけられて、玄鳥至の前髪がぶわっと浮いた。大暑が弁をふるうたびに団扇も動いて、熱のこもった風が一緒に送られてくる。


「大暑は、下界では夏休みシーズンなんだよ。雀くんには思いっきり夏を楽しんでもらいたい! というわけで、今ここでざっと大暑について説明するよ。そんで梅子の筆騒動が終わったら、雀くんは夏季のあいだ好きな所で自由に遊び回るといい。夏に勉強なんて、頭が茹だる! 夏休みは遊んでなんぼ!」


 大暑の後ろで暑子が青筋立った笑みを浮かべている。大暑は今年の任期も地上のビアガーデンに行こうとしているのだろう。


 涼しい小川沿いに敷物を敷き、麦茶とスイカが振る舞われ、大暑の、大暑による、大暑のための講演会が始まった。


「大いに暑いと書いて、大暑【たいしょ】! 任期は七月二十三日から八月六日頃だ。夏休みでいちばん楽しい時期だろう、え? 初候は桐始結花【きりはじめてはなをむすぶ】、花を結ぶっていうか、実を結ぶ頃なんだけどね。実と一緒に、翌年の五月頃に咲く花のつぼみができる頃でもあるんだよ。だから〈花を結ぶ〉なんじゃないかと思うよ。次候は土潤溽暑【つちうるおうてむしあつし】、〈溽〉という字には〈湿気が多くて蒸し暑い〉という意味があってね、夏の絡みつくような暑さを〈溽暑(じょくしょ)〉とも言うよ。この時期は土熱(つちいき)れがすさまじいけど、木々は大喜びするんだよなあ。ほいで末候は、大雨時行【たいうときどきふる】。ドバーッと夕立が降るあれのことだよ。どうだ、これぞ夏! って感じの節気だろう」


 その他にも、大暑は首のタオルで汗をふきふき快活にしゃべった。

 桐箪笥(きりたんす)が嫁入り道具になるのには、桐の木の生長速度が関係している。娘が生まれてから庭に桐を植え、十五年くらいで木材として使えるまでに育つからである。


 甘酒は冬のイメージがあるが、夏の季語。江戸時代には夏バテ防止として甘酒を幕府が奨励し、甘酒売りが売り歩いていた。暑気払いの飲み物と言えば、現代では生ビールなんかもそうだろう。


 今はゲリラ豪雨なんて呼ばれているが、夏の雨には昔から降り方によって様々な名がついている。例えば「馬の背を分ける」と言われる局地的なにわか雨〈驟雨(しゅうう)〉、周りの景色が白く見えるほど強く降る〈白雨(はくう)〉。中でも面白いのは〈肘笠雨(ひじかさあめ)〉で、肘を頭にかざし腕で雨を防ごうとする姿のことを表した――。


 大暑は話が上手く聞きやすかったが、桐花がだんだんそばに寄ってくるので、玄鳥至は頃合いを見計らって、笹トンネルの向こう側に一人戻った小暑の所へ移動した。





次回は7月19日(水)です。

少し、つばきの心に踏み込みます。



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