33、芒種(その4)――夏の思惑
雀くんもかなり自分の意見を言えるようになりました。成長ですねえ。
嵐が去り、どこか遠くのセミの声が耳に入ってくるようになると、芒種は室内のテーブルに紅茶その他をざっとセットし直してから、どすんと音を立てて椅子に沈み込んだ。客人たちも呼ばれて席に着き、ほたるは入れ替わりに外に出て汚れたテーブルクロスをまるめて抱えた。
テーブルには先ほど使用していたカップや、バタークッキーのかごや薔薇の花瓶が、見栄えなんて気にせず適当に置かれていたが、整えられすぎたテラスのお茶会よりも現実味があり、客人たちはやっと肩の力を抜くことができた。
芒種は渋くなった紅茶で喉を潤してから話し始めた。
「梅子は自制が効かなくなるとかんしゃくを起こしちゃうのよ。ここ二、三年で特にひどくなったわ。はじめは思いどおりにならないと機嫌を悪くする程度だったのだけど、最近はちょっと気にくわないことがあるとキレちゃって……」
「プレッシャーですかね」
珍しく雀が相手の話を遮った。
「どんなに気をつけていても筆を落としてしまって、それをみんなが探してくれるから、梅子さんはつらいんじゃないですか」
鴻がからからと笑い飛ばした。
「あいつはそんな繊細な娘じゃねえよ」
「そんなのわかりませんよ」
「わかるさ。オレたちゃ付き合いが長いんだぜ」
「長くても見えないものはあります。すべてをオープンにしている人なんていませんよ」
「そりゃそうだろうが……あれは亥神さまにはねられたことが原因なんだろうって、そう言いたいんだよ、オレは」
「でも――」
「理由は何にせよ」
チンチン、と芒種がスプーンでカップを鳴らした。
「ずいぶん気難しくなってしまって。大勢いる前では見せないのだけど、アタシたち相手だと抑えられないみたいなの。あの子が望むままに、完璧にしてあげないと、あの子は我慢がならないのね。キリショウには感謝しているわ。梅子のかんしゃくを苦に思わないんですって。じゃなけりゃ、先にアタシが参っちまうところだったわよ」
レースカーテンがバサバサとはためいた。ほたるが芒種の隣に立っている。
「芒種さま、そんなふうにおっしゃらないでください」
「そうね。ごめんなさいね」
芒種は辟易したようにわざと音を立ててテーブルにスプーンを置いた。
「仲間の愚痴なんて聞きたかないわね。アタシがすっかりおかしくなっちまってから聞いてもらおうかしら」
「ええ。その時はお付き合いします」
寒い。真冬日より寒い。玄鳥至は当初の予定である時短滞在を行動に移そうと心に決めた。今なら雀だって文句は言うまい。
「このことは、夏の宮の皆さんもご存知なんですか」
教育係の心、生徒知らず――。雀は問いながらクッキーのかごに手を伸ばし、一枚パクッと口に放り込んだ。雀としては緊張をごまかすためであったが、周囲の目にはそれがとても大胆に映った。
芒種は可笑しそうに、クッキーのかごを雀の前に押し出してやった。
「ちょっと怒りっぽくなったってくらいならね。梅子はもともと気が長いほうじゃなかったから、みんなたいして気にしていないわよ。もちろん夏さまには、ここ数年の悪化を逐一ご報告しているけれど」
「夏さまは助けてくださらないんですか」
雀はまたひとつクッキーを取る。芒種はうっとりと目を細めた。
「あの方にはお考えがあるの」
「それはいったいどのような……」
「きっとすぐにわかるわ」
――ああ、これだから夏の宮は油断ならない。
玄鳥至は冷えたカップの中身を一息で飲み干すと立ち上がった。
「ごちそうさまでした。俺たちはそろそろお暇させていただきます」
「それがいいわね。困ったちゃんがいない今のうちにアタシたちもお仕事しないと。あなたの言うように、地上は芒種ですからね」
ほたるが両目をギラギラ光らせて見送りに出た。行きとは違い彼女は床を睨んで黙りこくっていたが、洋館の前で別れる際に、ようやく玄鳥至の顔を見た。いつもの熱いまなざしではなく、不安に揺れる瞳が潤んでいた。
「不快な思いをさせてしまってごめんなさい。今日は来てくれてありがとう。雀くんも、お仕事を見せられなくてごめんなさい」
「いえ、おれはいいんです。それよりも梅子さんが心配ですね」
「梅ちゃんだけじゃないわ。芒種さまは本来なら、あんなにいやな態度をとるようなお方ではないのよ。キリショウだって、無理していないわけがないの。わたしと梅ちゃんをいつもちやほやしてくれるけど、前は今みたいな気の遣い方じゃなかったわ。芒種さまだってそれはわかっていらっしゃるはずなのに……。みんな限界が近いんだわ。そりゃそうよ、わたしですら大好きな梅ちゃんをわずらわしく思うことが増えたもの。芒種さまのことを言えた義理じゃない。きっとわたしがいちばん、梅ちゃんを……」
ほたるはそっと浴衣の袖で目もとを覆い、鼻をすする音を忍ばせた。玄鳥至は空に目をやり、人差し指を軽く曲げて高く掲げた。
「ほたる」
袖から目だけを出したほたるの前に指を差し出すと、ほたるは驚いて雫を散らした。一羽のツバメが小首をかしげ、パッと翼を広げてほたるの袖に飛び移った。
「そいつをお前に預ける。何かあれば俺に言え」
「何かって? 芒種さまの許可なく余計なことは言えないわ」
「俺が噂を嫌うことは知っているだろう。誰かに漏らすことなどありえない。つらくなったらそいつを送って知らせてくれ。聞くことくらいならできる」
ほたるの濡れた瞳がキラキラ光った。
「……ありがとう、つばき」
鴻の頬の筋肉がひくついていた。
「つばき、お前、そういうところだぞ……」
次回で芒種はラスト!
6月18日(日)更新です。よろしくお願いします!




