26、立夏(後編)――おひとりさま飯
つばきは面白い反応をする相手にちょっかいをかけるのが好きです。
玄鳥至はそれから小一時間ほど、砂時計のように光の落ちる睡蓮の葉の上で一人のびのびと下界の景色を眺めて過ごした。
やる気がないと叱る者もいるだろうが、闇雲に探すのは時間と労力の無駄だと玄鳥至は考える。地上は広い。だらだらと地面を舐めるように見たところで、いたずらに時が流れるだけである。加えて筆の特徴も「見ればわかる」それだけだ。
夏の宮の者は、なんだかんだ筆が見つかることを知っている。言わば茶番だ。梅子の異変を受け入れて、皆で付き合っているだけなのである。
――だがそのうち筆も見つからなくなるだろう。筆が見つからなければ仕事はできず、梅子は存在意義を失うことになる。すると彼女も消えるのだろうか。果たして夏の宮の何人がそのことに気づいているのだろう。
「……小暑さま」
聡明叡知なあの翁なら、気づいているのではないか。
小暑には温風至がいる。今最も危ういのは温風だ。小暑はそう遠くない未来に部下を失うかもしれぬこの状況をどう見ているのか。
思考に没頭していると、右前方の水面が何やら騒がしくなってきた。赤と緑ふたつの物体が見え、ぐんぐん浮き上がってきて、赤いきつねと緑のたぬき――ではなく、赤髪の男と緑髪の女がたて続けに姿を現した。
男のほうは玄鳥至を見るなりいやぁな顔をした。長い前髪の隙間から剣呑な光がチラチラ覗く。
「休憩だ。立夏さまはどこにおられる」
「さあ。タケの様子を見に行かれたんじゃないか」
「ふうん。そんであんたはのんきに景色を満喫してるってわけか。いいご身分だね」
「太って食べ頃のミミズを眺めていたところだ」
「ふざっけんな!」
男――蚯蚓出は荒々しく腕を振って玄鳥至の前の景色を閉じ、わなわなといかり肩を震わせた。
「今年はミミズたちに夏さま直伝のかくれんぼの極意を伝授して、あんたの大事なツバメたちを飢え死にさせてやる。一匹だって食わせてなるものか!」
「ツバメはミミズを食べないぞ。ミミズは土を食っているから腹に良くない。ツバメは飛行中に狩りをするから、ハチとかハエとか羽のある――」
「じゃあなんで食べ頃とか言うんだよ! 性格悪いな、コンチクショウ! 言っとくけどな、ボクは他の虫にも意識を通わせることができるんだぜ」
「あきらめろ、自然界のヒエラルキーというやつだ」
「あんたそれ虫啓にも言っただろ。根に持ってたぞ」
これだから嫌いなんだとミズルは憎々しげに吐き捨てた。
「兄弟でえらい違いだ」
「つばさだって似たようなものだろう」
「全然違う。あいつは好きだ。ボクのことをわかってくれる。この前も一緒にラーメン屋に入って、おひとりさま飯をした」
「すまん、何を言っているのかよくわからない」
「一緒に店に入って、別々の一人席に座ったんだよ」
玄鳥至はその光景を想像してみた。
「それは……、楽しいのか?」
「快適だった」
「俺ともするか?」
「しない」
おせっかい焼きの蛙始鳴がぴょんと二人のあいだに飛び移ってきた。
「ミズルはよくやってるんだよねー、おひとりさま飯。春季だと穀雨さまと雨水さまがお付き合いくださってねー」
え、と玄鳥至は思わず聞き返した。
「穀雨さまは理解できるが、雨水さまも?」
春霖を思わせる銀のおかっぱ髪を耳にかけ、鈴を鳴らしながら一人でラーメンをすする雨水――およそ似つかわしくない光景だ。
ミズルは鼻高々に顎を上向けた。
「お誘いするとほとんど必ず来てくださる。あちらからお声がけいただくこともある」
「俺ともするか?」
「しない」
立夏が戻ってきた。
「つばき、少しいいですか」
葉の上をぽんぽん弾みながら立夏について行った先で、途方に暮れた様子の雀の姿が見えた時、玄鳥至は既視感を覚えながら投げる物を探して辺りを見回した。ちょうどそばを手頃なウグイが通りかかったので、掴んでダーツの如く狙いを定める。鋭く放ったウグイは雀の膝でいびきをかいているタケの額に強烈なキッスを送り、タケは悲鳴を上げて、ウグイごと下層の湖に落っこちた。
「お前の膝はそんなに寝心地がいいのか?」
「おれもそう思っていたところです……」
雀は揺れる湖面をげんなり見下ろした。
次回は『小満(その1)』、5月21日(日)投稿予定です。
その前に活動報告を上げると思います。内容は小満、芒種、夏至の投稿予定日についてです。
よろしくお願いします!




