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つばめきたる  作者: 月島金魚
【夏】
25/93

23、亥神の一発芸(後編)



十一年前の新年の宴の席で亥神が披露した芸とは。





「おれは知りません」

「腹踊りだ」

「はっ?」


 当時を思い返して目を瞑る。哀れ亥神(いのかみ)の痴態は、事件の翌日には暦中を駆け巡った。


「もちろん、ただの腹踊りではない。亥神さまは巨体でいらっしゃるが、それを術でさらに膨張させ、弾むように舞って見せたのだ。大ウケしたが、酒に酔った他の十二支神が『そんなに大きくなっては酒も足りぬだろう』と、亥神さまの盃に見境なしに酒を注いだ。亥神さまは勧められるままにそれを呷った。芸の前にもかなりの量を飲んでいたため、玉羊羹のようにまんまるに膨らんだ腹は限界を迎え、パーンと術が解けて弾けた。その衝撃で――嗚呼、おいたわしや――亥神さまは酒臭い、濃霧のような屁をこいた。正気に戻った亥神さまは、羞恥に耐えられず宴から逃亡、滅茶苦茶に走り回った挙げ句、俺たちの宴会場に突っ込んだ」


 (すずめ)はその時の屁のにおいでも嗅いだような顔をした。


「それのどこが被害者ですか。酒を飲まされたってところですか?」

「違う。そもそもなぜ亥神さまが腹踊りをなさったのか。大のあがり症で、大勢の前で芸をするなどとうていできっこないお方なのに。――はじまりは二十三年前、子神(ねのかみ)さまが突然、『その年の年神が一発芸をして、一年の始めを盛り上げよう!』とおっしゃった。ノリで始まったものだが途中でやめようと言う方もおらず、あっという間に亥神さまの番がきてしまった」


 玄鳥至(つばめきたる)はちょうど縁側に現れた小鳥を見た。小鳥は茶色い頭をかしげてチュンと鳴く。


「何の一発芸を披露したものか、亥神さまはかなり頭を悩ませていたらしい。そんな時に――」

「暦の一人が、助言したのだ……。それが雀始巣(すずめはじめてすくう)だった」


 苦しい息の下、そう繋いだのは病臥に沈んだ男であった。


温風(あつかぜ)、起きていたのか」


 熱でうるんだ瞳をうっすらと覗かせ、温風はゆっくり、ゆっくり、言葉を紡いだ。


「あの時、オレもそばにいた……。亥神さまはたいそうお困りで、オレとあいつに――ああ、あいつをなんと呼んでいたのか思い出せない――あいつは亥神さまにこう申し上げたんだ。『ふくら雀という言葉があります。寒さをしのぐためにスズメが羽根を膨らませている姿のことです。あれは縁起物です。亥神さまもふくら雀のようになってみせるのはいかがでしょう。そのお体なら、さぞ見応えがありましょう』」


 縁側のスズメがまたチュンと一鳴きして飛び去った。温風は見えているのかいないのか、うつろな目でそれを見送った。


「まさかあんなことになるなんて、あいつだって想像もしなかっただろう。あいつはただ亥神さまをお慰めするつもりで言っていたし、事件の後に目を覚ましてからは、自分のせいだとひどく心を痛めていた。亥神さまも、あいつに申し訳ないことをしたと非常に気にされて、何度も見舞いにいらしたそうだ。……そうだったろう、つばき。……そうだったよな?」


 玄鳥至はゆるく頭を振った。


「憶えていないのだ。俺はもう、雀始巣のことをほとんど忘れてしまった」

「わたしもよ。たしかに存在していたということはわかるのだけど……」


 (れん)に続いて涼風(すずかぜ)もうなずく。


「あたしも。びっくりしてるんだけど、兄さんはかなり憶えているほうよ。上司の春分(しゅんぶん)さまや同僚である桜と発でさえ、記憶がおぼろげになってしまっているのに」


 温風は焦点の合わない目で自分の横に並ぶ面々を順繰りに見つめ、高い空に吸い寄せられるように顔を背けた。


「そうか……。忘れるのも、忘れられるのも、おそろしいものだな……」


 そしてそのまま深い寝息を立て始めた。





明日、また更新します。よろしくお願いします。



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