23、亥神の一発芸(後編)
十一年前の新年の宴の席で亥神が披露した芸とは。
「おれは知りません」
「腹踊りだ」
「はっ?」
当時を思い返して目を瞑る。哀れ亥神の痴態は、事件の翌日には暦中を駆け巡った。
「もちろん、ただの腹踊りではない。亥神さまは巨体でいらっしゃるが、それを術でさらに膨張させ、弾むように舞って見せたのだ。大ウケしたが、酒に酔った他の十二支神が『そんなに大きくなっては酒も足りぬだろう』と、亥神さまの盃に見境なしに酒を注いだ。亥神さまは勧められるままにそれを呷った。芸の前にもかなりの量を飲んでいたため、玉羊羹のようにまんまるに膨らんだ腹は限界を迎え、パーンと術が解けて弾けた。その衝撃で――嗚呼、おいたわしや――亥神さまは酒臭い、濃霧のような屁をこいた。正気に戻った亥神さまは、羞恥に耐えられず宴から逃亡、滅茶苦茶に走り回った挙げ句、俺たちの宴会場に突っ込んだ」
雀はその時の屁のにおいでも嗅いだような顔をした。
「それのどこが被害者ですか。酒を飲まされたってところですか?」
「違う。そもそもなぜ亥神さまが腹踊りをなさったのか。大のあがり症で、大勢の前で芸をするなどとうていできっこないお方なのに。――はじまりは二十三年前、子神さまが突然、『その年の年神が一発芸をして、一年の始めを盛り上げよう!』とおっしゃった。ノリで始まったものだが途中でやめようと言う方もおらず、あっという間に亥神さまの番がきてしまった」
玄鳥至はちょうど縁側に現れた小鳥を見た。小鳥は茶色い頭をかしげてチュンと鳴く。
「何の一発芸を披露したものか、亥神さまはかなり頭を悩ませていたらしい。そんな時に――」
「暦の一人が、助言したのだ……。それが雀始巣だった」
苦しい息の下、そう繋いだのは病臥に沈んだ男であった。
「温風、起きていたのか」
熱でうるんだ瞳をうっすらと覗かせ、温風はゆっくり、ゆっくり、言葉を紡いだ。
「あの時、オレもそばにいた……。亥神さまはたいそうお困りで、オレとあいつに――ああ、あいつをなんと呼んでいたのか思い出せない――あいつは亥神さまにこう申し上げたんだ。『ふくら雀という言葉があります。寒さをしのぐためにスズメが羽根を膨らませている姿のことです。あれは縁起物です。亥神さまもふくら雀のようになってみせるのはいかがでしょう。そのお体なら、さぞ見応えがありましょう』」
縁側のスズメがまたチュンと一鳴きして飛び去った。温風は見えているのかいないのか、うつろな目でそれを見送った。
「まさかあんなことになるなんて、あいつだって想像もしなかっただろう。あいつはただ亥神さまをお慰めするつもりで言っていたし、事件の後に目を覚ましてからは、自分のせいだとひどく心を痛めていた。亥神さまも、あいつに申し訳ないことをしたと非常に気にされて、何度も見舞いにいらしたそうだ。……そうだったろう、つばき。……そうだったよな?」
玄鳥至はゆるく頭を振った。
「憶えていないのだ。俺はもう、雀始巣のことをほとんど忘れてしまった」
「わたしもよ。たしかに存在していたということはわかるのだけど……」
蓮に続いて涼風もうなずく。
「あたしも。びっくりしてるんだけど、兄さんはかなり憶えているほうよ。上司の春分さまや同僚である桜と発でさえ、記憶がおぼろげになってしまっているのに」
温風は焦点の合わない目で自分の横に並ぶ面々を順繰りに見つめ、高い空に吸い寄せられるように顔を背けた。
「そうか……。忘れるのも、忘れられるのも、おそろしいものだな……」
そしてそのまま深い寝息を立て始めた。
明日、また更新します。よろしくお願いします。




