21、楽しむ心(後編)
高い所がダメな人は泣いちゃう回。それではどうぞ。
エレベーターは身軽になった喜びからか、のろまが嘘のようにするすると頭上へ遠ざかっていった。
降りたのはだだっ広い板の間のフロアである。天井は高く、神社の御神木のように立派な柱が数本と、傾斜が急すぎてもはや梯子のような階段があちこちにある。等間隔に並ぶ花頭窓からは光が惜しみなく取り込まれ、室内は階段の陰までよく見える。
「エレベーターで温風さんの所までは行けないんですか?」
「夏さまがそんなお優しいお方だと?」
「……夏の宮の皆さんはほんとうに大変ですね……」
「そうでもないわよ」
涼風が軽やかに段を踏む。
「みんな何かしらの移動手段を持っているから。あたしやつばきだって、いつもこうしているわけじゃないし」
すると雀はすまなそうに足もとを見た。
「そうか、変化できるから。今はスズメになれないおれに合わせて……」
「あっ、違うの、そんなの全然気にしてないから!」
「でもお二人にご迷惑をおかけしてしまって。すみません」
「ええー? 迷惑じゃないよ!」
雀は軽く微笑んでいるが、教育係の自分にはわかる、これはしょげている。玄鳥至は大股で二人を追い越すと肩越しに言った。
「おれの案内が好きなんだろう。だったらこの状況を喜んでくれ」
ちらりと見えた雀の頬に、本物の笑顔の証ができていた。
一段踏めば五段進む階段を上り続け――これは夏の心ばかりの気遣いらしいが、それでもじゅうぶん息が切れた――途中にある階をいくつも無視して、下から数えても上から数えても現在何階にいるのかわからないほど高い所まで来た。床板をギシギシ言わせ、木がむわっと香る廊下を光に向かってひたすら歩く。ようやく外が見えてくると、遠く海のように光を弾く湖や、ピントを合わせたみたいに稜線のくっきりとした緑の山々、その上に沸き立つ入道雲に雀は歓声を上げて喜び――たちまちしぼんだ。建具のない濡れ縁を通るとわかったからだ。
「ここを通るんですか? ちょっと見晴らしが良すぎやしませんか?」
風が低く唸り声を上げている。濡れ縁は幅一メートルほどしかなく、下はよく切れる刃物で削ぎ落とされたかのような断崖絶壁で、底が見えない。見事な遠景がいやでもその高さを主張してくる。
「通るよ。平気だよ。落ちてもなんとかなるものだし」
涼風は涼しい顔できっぱり言った。
「誰か今までに落ちた人がいるんですか」
「さあ? いるんじゃない? 落ちようと思ったことのある者がいればだけど」
雀が絶句しているうちに、涼風と玄鳥至はすいすい濡れ縁の真ん中を歩いて行った。途中まで来て玄鳥至が後ろを確認すると、雀は顔面蒼白でべったりと床に張りつき、ナメクジも呆れるくらいのスピードで、いたずらな風に髪をわしゃわしゃかき混ぜられていた。
「雀、落ちないから体を離せ。そうやって歩くほうが風にからかわれるぞ」
「あんたたちはこういうのには慣れっこなんでしょうけど、おれははじめてなんですよ! いきなり高難度のものを求めないでください!」
「大丈夫だ。俺ははじめに言ったぞ、夏の宮では驚きを楽しむ心が必要だと」
雀はまだナメクジを頑張っていたが、いつまでもこうしているわけにもいかぬ。とうとう腹をくくって二本足に戻った。
あまり出ていない喉仏を大きく上下し、下を見ないよう努め、まず上半身を、次いで左手を、最後に抵抗する右手を意志の力で壁から引き剥がす。
風がいっそう強く吹きつけた。雀はそれを真正面からもろにくらい、背中から後ろに倒れそうになった――と思ったら、今度は背後から突風が来て、恐怖で凍りついた背中を強く支えた。
雀は放心しかけたが、四方八方から風に支えられ、一歩、また一歩と足を繰り出した。蝋のように真っ白だった顔に桃色の微笑が広がる。――もう大丈夫だった。
次回は5月12日(金)か13日(土)です。
よろしくお願いします。




