13、穀雨(その3)――第2の傘生
チーム穀雨勢ぞろい。それではどうぞ〜。
さらさらと絹が鳴っている。早朝の小雨の中を歩んでいるようだ。
穀雨の部屋に向かう途中、ちゃっかり雀と手をつないだ苗が皆を置いてぐんぐん進み、その後ろに穀雨、しんがりを玄鳥至と牡丹で務めていた。
「サプライズだって?」
「そうじゃなくなったけどね」
牡丹はベージュの春物コートのポケットに手を突っ込み、やれやれと気怠そうに瞳を閉じた。紫のアイシャドウが大人の色香を漂わせる。
牡丹は穀雨と同年代で、女性にしては身長があり、視線の高さは玄鳥至とたいして変わらない。スタイル抜群、着物をリメイクしたトップスとジーンズを楽に着こなし、その時代の流行を取り入れた化粧を楽しむハイセンスな姉御である。
「まさか、暦全員が集まるのか」
「さすがにそれはないわよ。春季のメンバーだけ。雨水さまが、『彼も今日会った暦だけのほうが安心するだろうから』っておっしゃったのよ。ちなみに歓迎会の言い出しっぺは立春さまね」
「助かる。雀は繊細なんだ」
「あら、ちゃんと気にかけてるのね。あなたの弟が知ったら嫉妬しちゃうんじゃない?」
「するか」
兄さんって他人の面倒を見られるんだね――小憎らしいことを言う弟の姿を容易に想像できる。玄鳥至が軽く鼻を鳴らすと、牡丹は華やかな笑い声を立てた。ぱっと雀が振り返ったが、よそ見したことを苗に咎められ、しぶしぶ顔を前に戻した。
「ねえ、つばき、少し襟足が伸びてきたんじゃない? 今度また切らせてよ。あなたの紺色の髪、艶があってアタシのお気に入りなの」
「ああ、俺の任期が終わったらすぐに頼む」
「アタシの任期は気にしないって? わがままな子!」
笑いながら牡丹が玄鳥至の髪に指を絡ませる。好きなようにさせていると、ちょうど部屋の前に着いてこちらを気にした雀がそれを目撃し、みるみる赤面して硬直していた。子どもには刺激が強かったようだ。
蔵のような重厚な造りの扉の前に来て、「五分だ」と穀雨が手のひらを見せた。
「五分ですべて説明する。あとは時間が来るまで各々自由に過ごす。ただしこの部屋を出ることは許されない。なぜなら、うっかりサプラ――あれを準備している者と出くわしたら、非常に良くないからだ。異論はないな」
「開き直っちゃったわね」
牡丹が玄鳥至の耳もとでささやいた。
穀雨の部屋は土壁がしっかりとした二階建てである。床は板張り、天井にはオレンジ色のレトロなランプ、手前にガラスのローテーブルと硬めの一人掛けソファ四つが置かれ、奥は各人のスペースが屏風で好き勝手に仕切られている。
左奥に発泡スチロールでできた高さ一メートルの姫路城があり、穀雨はそこに向かって大声で呼びかけた。
「葭! 紹介するから準備しておけと言っただろう!」
「はーい、あとちょっとでーす」
声はすれども姿は見えず――頬をひくひく痙攣させる穀雨が怒鳴り散らす一歩手前で、ようやく声の主が城の裏からもそもそ出てきた。
「穀雨さま、直しましたよ。なんの問題もなく使えると思う」
「よくやった。だが今はここへ来い」
穀雨は部下を並べ、矢継ぎ早に示していった。
「初候、葭始生【あしはじめてしょうず】、四月二十日から二十四日頃。葦は今でこそ雑草扱いだが、昔は茅葺き屋根や和紙に使用し、生活に欠かせない植物だった。それが芽吹き始める喜ばしい候だ。次候、霜止出苗【しもやみてなえいずる】。四月二十五日から二十九日あたりだ。暖かくなってきて朝晩に霜が降りなくなると、田植えの準備の合図になる。皆が待ち望む候だろう。末候、牡丹華【ぼたんはなさく】、四月三十日から五月四日頃。百花の王――別名〈花王〉と呼ばれる牡丹はこの頃に花開く。春季を締める候が百花の王とは鼻が高い。春こそ四季で最も良い季節だからな。以上、何か質問は?」
雀は大急ぎで開いた暦入門書の穀雨のページを見ながらうんうんうなずいていたが、質問と言われて遠慮がちに手を挙げた。
「えっと、じゃあ、穀雨【こくう】はどういう意味なんですか?」
「そこに書いてある」
「えっ、あっ、すみません……。『二十四節気、六番目、穀雨。百穀を潤し育てる恵みの雨』――なるほど……」
あえなく撃沈した雀に葭が近づいた。
「雀って呼んでいいか? オレはみんなには〈葭〉って呼ばれてる。でも〈兄貴〉って呼んでくれて構わないぜ」
「兄貴……?」
葭は健康的な肌色の細面に黒縁めがねをかけ、髪は上が赤褐色、下が淡黄色のツーブロック、服装は緑の線の入った黒ジャージで、まるで休みの日に近所をぶらつく大学生だ。一見して男のようで、うっすら確認できる胸の膨らみは女のそれだし、声も低めではあるが声変わりしたように思えない。
瞬時に理解した雀はこだわりなくうなずいた。
「はい。ええっと――葭兄さん」
葭はたちまち笑顔になって穀雨を振り向いた。
「穀雨さま、天地視書を開きましょう! 雀に見せてやりましょうよ。これもちゃんと使えるか試したいですし」
手に持っているのは汚れたビニール傘だ。葭は愛し気にそれを検分する。
「地上で拾ったんだ。折れたから捨てたのか、台風か何かで吹っ飛んだのか。天地視書を見ていたら道路を転がっていたから、回収したんだ。こいつ、身も心もボロボロの状態だったけど、ずいぶん綺麗になっただろ? こいつはここで生まれ変わるんだ」
穀雨に呼ばれ、皆で部屋の奥へと進んだ。
牡丹や苗の趣味であろう、外国人男優のポスターで埋め尽くされた屏風をどかすと、踏みならされて色の濃い木の階段が現れた。かなりの急勾配で、ほとんど四つん這いになりながら上りきると、視野の利かない暗闇に出た。
「我は春季が二十四節気、穀雨也。我が望みしものを現せ。《天地視書》」
ポツ、ポツ、雨の雫が落ちるように色とりどりの明かりが灯る。光の雨はやがて土砂降りとなって形をつくり、穀雨の天地視書が姿を現す。
「傘だ」
雀がつぶやいた。
「ものすごい数だ……!」
無数の傘はどれも開かれ、高い天井からぶら下がったりその辺に転がったりと、無造作に放置されている。それらすべての内や外に下界の景色が映し出され、地上の喧噪が聞こえてくるかのようだ。
苗がそのうちの一本を開いて頭上に差した。傘に清水が流れ、いとけない紅顔に涼しげな影を落とす。
葭は前へ出ると、直したばかりのビニール傘を開いて言った。
「お行き。お前は新たな生を得た」
傘は喜びで身を震わせると、突風に攫われたかの如く宙へと舞い上がった。しばし右へ左へ迷う様子を見せて、最後は呼ばれたかのように黒い年寄り傘の隣に収まった。
「終了だ」
と、穀雨がパチンと指を鳴らした。
「もういいだろう」
一瞬にして川や街や田園風景が消え、ごちゃごちゃした傘置き場になった。苗の傘もピンクの小花柄に戻り、少女は餅みたいにぷくーっと頬を膨らませた。
「穀雨さまのケチ。もう少しいいじゃないですかぁ」
「ケチでけっこう」
穀雨は青いシャツの袖をめくって腕時計を確認した。
「二分過ぎてしまったな……」
次回で穀雨は終わり。
明日更新します。よろしくお願いします。




