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多分に静か

死者の部屋

作者: 桜田咲

 賃貸アパート二階の角、陽光が差し込む部屋で俺は首を括る。世の中が悪いのか、自分が悪いのか、仕事を失い、相談する相手もいない俺には自殺という手段しか残されていなかった。


 いや、もしかしたら他にも手段はあったのかもしれないが昔から鈍臭いと言われ続けてきた俺には思いつかなかった。


 俺は梁に吊るしたロープに首を通すと足下の台を蹴飛ばす。


「あっ」


 声が漏れる。苦しい。俺は死に物狂いで身体を捩った。全身が酸素を欲した。体重のかけ方が悪かったせいか上手く失神できなかったみたいだ。


 けれども今更、後戻りができるはずもなく俺はバタバタと身体を動かし続けた。全く俺は最後の最後まで鈍臭かった。


 段々と身体に力が入らなくなっていく。それと共に燃えるような痛みも引いていく。夢見ごごちだった。俺はもうすぐ死ぬのだろう。あらゆる痛みが消えるというのならばやはり死は救いだった。


 俺は生の苦しみから解放されることを思って安堵し、静かに目を閉じた。




 ハッと目を覚ます。気がつくと俺は()()()()の体を見下ろしていた。一体、どうなっている。俺は吊るされた身体に向かって手を伸ばす。


 そして悟る。俺は幽霊となっていた。伸ばした手が光を通過して青白く見えた。俺は恐る恐る自身の死体に触れる。


「……触れた」


 先程まで俺のものであったはずの身体は、徐々に熱を失っていき持ち主である俺を拒んでいるようであった。俺はその身体をギュッと抱きしめた。


 それから俺は改めて今の自分を見る。全身は透明で光を通過することで青白い輪郭を浮かび上がらせている。そして死体が着ているのと同じ、ぼろぼろのシャツとチノパンを身につけていた。


「幽霊なんて今まで一度も見たこと無かったのにな」


 まさか、自分が幽霊になるとは思わなかった。俺はこれからどうすればいいのだろうか。俺はぐるりと部屋を一周する。ふわふわと浮遊しているせいか、視点がいつもより高く、まるで自分の部屋に思えなかった。


 俺はとりあえず外に出ようとドアノブに手を触れる。そして扉を開けると外に出る。


「あれ?」


 次は窓を開けて飛び出す。


「おかしい」


 何度も外に出ようと試みたがその度に俺は部屋の中に戻っていた。


「地縛霊ってやつかな」


 俺はアパートの自室に閉じ込められたのだ。俺は途方にくれた。この世に特に未練も無いのに地縛霊になってしまうなんて己の鈍臭さは死んでも直らないのだろうか。

 

 俺はとりあえず、吊るされたままだった死体を下そうと近づく。そこで俺は糞尿が僅かにズボンに染みを作っていることに気づく。ここ最近、ろくに食事もできていなかった俺の最後の生命活動の証だ。


 俺は何とかロープを外して死体を床に寝かせる。結構な重労働だったけれど幽霊である自分は汗一つかかなかった。ただ、光を通して青白く輝くだけ。そういえばお腹も減っていない。


 手持ち無沙汰になった俺はふわりと横になる。側には自分の死体が並ぶ。幽霊になったせいなのか眠くなることは無かった。俺は手を光に透かして、手の甲越しに見える景色を眺めたり、天井の板目を数えたりして時間を潰した。




 死体が朽ち果てていく。肉が割れ、蛆が蝕み、独特な甘い匂いが立ち込める。骨が見え、崩れた肉が床に滲みを作った。


 俺はそれを黙って見ていた。部屋の中央を陣取る死体をもはや俺は動かすことが出来なくなっていた。俺が長年、親しんできた身体は最早、俺のものでは無くなっていた。


 部屋全体が死体に侵食されていくのを感じた。この部屋はもう俺のものではない。崩れた肉体の為に部屋はあった。


 肉はジクジクとその領域を広げていく。俺の精神を絡めとっていく。


 俺は逃げ出そうとした。何度も何度も。しかし、やはりこの部屋は俺を捕らえて離さないのだった。


 死体は徐々に蒸発してその体積を減らしていく。部屋を死体が埋め尽くしていく。


 俺はニチャニチャと死体が笑う音を聞いた。ーー悍ましい。苦しい。何なんだ、この恐ろしいものは。


「そうだ、死のう」


 死ねば、全ての苦痛から解放される。


 俺は、ロープで首を括る。窓の外からは陽光が差し込んでいる。


「あれ、おかしいな、死ねない」


 何度も何度も首で括った。でも死は一向に訪れなかった。一体、誰の意地悪だろう。


 俺は窓の外を見た。太陽が笑いかけてくるのが目に入った。俺はゾッとする。太陽、生命の源、あれはああも疎ましい表情をしていたものだろうか。


 ずっと太陽は俺のことを見ていた。そういえば、俺はもうずっと夜を体験していなかった。


「ここは、何処なんだ?」


 ここは初めから俺の部屋じゃ無かった。


「お願いだ、俺をここから出してくれ」


 何の返事も無かった。


「おかしいな、おかしいな」


 無性に笑みが込み上げてきて、ゲラゲラと笑った。もう、ここから逃げられはしないのだ。これが望みの死だったのだ。


 肉がこそげ落ち、骨が露出する死体を抱き上げた。





 きっと、俺は生に捕らわれたのだ。死んで、生から逃れるなんて鈍臭い俺には無理な話だったのだ。


 俺は手を伸ばす。陽光に反射して腕の輪郭が青白く浮かび上がる。


 俺は窓の外に太陽を見た。俺は僅かに笑みを浮かべる。太陽はいつだって生きとし生けるものを照らしていた。


 そして気まぐれのように、この死者の部屋にも生命の源を降り注いでいた。

 



 


 

 

 


 

 


 





 

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