8.修行開始
1歳の和己くんでも、自分の意志で鳥の雛の姿になったり、人間の姿に戻ったりできる。『ひとならざるもの』として生まれて、周囲も『ひとならざるもの』としてその子を扱って育てていれば、それは当然のことらしい。
35年間人間としてしか暮らしていない私には、その感覚が全く分からない。
獣の本性になって、人間に戻る。それだけのことが、想像もつかない。
「津が本性を見せるなんて珍しいんだよ」
和己くんのおやつの準備をしに行った佳さんはそう言っていたが、津さんが漆黒の獅子の姿を見せたのは、そうしないと私が新手の新興宗教か、啓発セミナーの詐欺だと決めつけて、通報しようとまでしたからだ。
仕方のない事故のようなものだったのだと自分に言い聞かせるけれど、ひとのいない休みの居合道場で、向き合った津さんは、漆黒の獅子の姿になっていた。
「説明が俺は得意やないんよね。いつも茉莉さんに任せてるから」
「志築さんと、仲が良いですよね?」
「あの御人には、色々助けてもらったんや」
古臭い因習に縛られて、夜臼の当主を嫌がっていた津さんと佳さんのご両親が、家を捨てて逃げるために年子で産んだ兄妹。それが、津さんと佳さんだった。
「二人もおれば充分やと思うたんやろな。でも、両親がおらんくなったとき、俺は15で、佳は14やったんや」
とても二人だけで日本で長く続く『ひとならざるもの』の一族の家系である夜臼の家を、守り通すことは難しい。実際に、その時期に夜臼の家が狙われて、遠い親戚が海外に売り飛ばされたり、酷いときには佳さんを攫いに家に押し込まれたりしたというのだ。
「佳さんは無事だったんですか!?」
「まぁ、可哀想やったのは、ブローカーの方やったんやけどな」
怪力の能力を持っている佳さんは、ブローカーをことごとく、屋敷の外に投げ捨てた。そのときに、腕や足が妙な方向に曲がっているブローカーもいたという津さんの話に、佳さんにだけは逆らわないようにしようと心に決めた。
「志築の家も、何度かうちと婚姻関係を持ってて、もう成人しとった茉莉さんが俺らが成人するまでうちに来てくれてたんや」
津さんが15歳からの5年間、志築さんはこの家で過ごした。私が借りた部屋は、そのときに志築さんの滞在のためにリフォームした部屋だった。
通りで綺麗で家具も揃っていた。
志築さんに感謝して、大事に使わせてもらおう。
「ずっとおってもええんよ?」
考えていたら、人間の姿に戻った津さんの顔が、間近にあって、私は飛び上がりそうになった。
「そ、そんなに、私、才能なさそうですか?」
ずっと修行が終わらないくらいに、見込みがないってこと!?
顔が近付いてきたのは、津さんのことだから最初に導いてくれたように、獣の本性に変わるのに巻き込んで変えてくれようとしたのだろうが、いきなり至近距離でその整った顔を見ると心臓に悪い。
肌の色が濃いので、顔が赤くなるのが目立たなくて良かったけど、白かったら真っ赤だったかもしれない。
勘違いは、致しません!
しっかりと誓って、修行に集中する。
「コツさえ掴めば、蜜月さんは上達が早そうやけど」
「役に、立ちたいです」
平々凡々と暮らしていて、事件に巻き込まれることがなければ、私は何も知らなかった。世の中に『ひとならざるもの』という人間とは違うけれど、人間の姿に擬態して暮らしている人々がいる。そのひとたちの中は血統を重視するあまり、幼い子どもを売り買いしようとするひともいる。
幼い子どもだけでなく、能力の制御ができない隔世遺伝の『ひとならざるもの』も売り払われることがあるというのだから、私にとっては、あの事件は他人ごとではなかった。
何よりも、保護されてずっと怯え続けて志築さんの胸に張り付いている蝙蝠の赤ん坊と、佳さんがそばにいないと安心できない鳥の雛の幼児がいる。
そういうひとたちを減らすために、私が役に立つのならば使って欲しい。
「本当は、物凄く怖いし、自分が自分でなくなるのは、まだ実感がわきません。でも、私、役に立てますよね?」
必死に津さんに訴えかければ、黒目がちの目が、ふっと優しく緩む。
「そういうところや……蜜月さんは、ほんまに、心も姿も、全部美しい」
美しい。
そんな言葉を私にかけてくれるのは、津さんだけだ。
好きかと佳さんに問われて、分からないと答えたが、好きになりかけていることには違いなかった。けれど、津さんは自分の好きな相手としか恋愛をしない。それならば、津さんの側で、仕事のパートナーとして津さんを支えられればそれでいい。
陽炎のように津さんの姿が揺らいで、漆黒の獅子になる。
それに巻き込まれて、私も大鷲の姿になったようだった。
「ここまではええな?」
「はい、自分の大きさがよく分かってなくて、どう動いたらいいか分からないんですけど」
「そのために、ここに来たんや」
天井も高くて、広い居合道場は、大鷲の私が羽を広げても平気なくらいのスペースがあった。人間の姿に戻った津さんが、私に腕を差し出してくる。
「怪我をさせるかもしれません」
「あぁ、せやった。ちょっと待って」
高匠のテレビ番組を見たことがあるが、鷹を操るひとは皮のグローブのようなものを着けていた記憶がある。首を捻って見下ろす私の脚には、尖った鉤爪が付いていた。これでは、津さんの着ているシャツくらい、簡単に貫通してしまう。
戻って来た津さんは、革のジャケットを来て、革の手袋を付けていた。
「バイクに乗られるんですか?」
「これがライダージャケットやってよう分かったね」
「私も、バイク、好きなので」
そんな場合ではないと分かっていても、大鷲になった私は意外と図太いようで、津さんと普通に会話ができる。
「蜜月さんもバイク乗らはるんやったら、ツーリングに行こか?」
通勤にはバイクは使っていないが、休日にだけ楽しめるように、大型のバイクを駐車場に置いているのだとか、そんな世間話をしながらも、私は津さんの腕に止まって羽根を伸ばしてみる。
「あぁ、ほんまに大鷲なんやな。見事な翼や」
広げた翼は、人間のときに両腕を広げたのと感覚的には同じなのだが、長さが全く違う。人間が両腕を広げた長さは、身長とほとんど同じと言われているが、それだったら、恐らく私が両腕を広げたら180センチ程度になるはずだ。
「これ、どれくらいありますか?」
「2メートル半あるやろか?」
羽根で、鳥類なので骨の中も空洞で軽いのだが、広げた羽は2メートル半。頭から尾羽の先までは1メートル近くあった。
「人間の姿も大きいのに、鷲の姿も大きいとか……」
「『ひとならざるもの』は本性が大型の獣の方が数が少なくて、貴重なんや」
自然界でも、大型の動物の方が数が少なく、草食獣よりも肉食獣の方が数が少ない。そうでないと食物連鎖が成り立たない。
漆黒の獅子は、猫科の大型獣であるし、津さんも非常に珍しいのだろう。
「正直、鳥類は物凄く数が少ないんや。人間に飼われてる猫や犬が本性のひとは、人間社会に溶け込みやすいから、数が多いんやけど、鳥でも小鳥はおっても、こんなに大きいのは、俺も初めて見たわ」
初めて大鷲になったときには、自体が切迫していて津さんはじっくりと観察できなかったし、私もこの状態をじっくりと味わうことができていなかった。
私、本当に大鷲なんだ。
じわじわと実感が沸いてきたのは、その日の収穫とも言えたのだが、問題はその後だった。
「どうやったら、戻れるんでしょう」
「うーん……俺が獅子になるから、一緒に戻ってみる?」
津さんに獅子になってもらって、人間の姿に戻ってもらっても、なったときと同じように、巻き込まれて戻ることはない。
もしかして、戻れない!?
大鷲の姿のままで立ち尽くす私の修行一日目は、なかなか厳しいものがあった。
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