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大鷲の翼は漆黒の獅子を抱く  作者: 秋月真鳥
三章 私の世界と巡る命

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10.現れた教授

 お弁当を持って、津さんと歩いて仕事に行く途中で、道を塞ぐように立っている相手に、私たちは足を止めざるを得なかった。津さんも日本人にしては長身の部類で、私は更に大きいのだが、目の前にいるのは成人女性の平均くらいの背丈の細身の男性。少年のようなあどけない顔立ちと、老成した表情がアンバランスだ。


「君と話がしたかった」

「蜜月さん、気にせず行くで」

「待ってよ、無視しないで。夜臼の当主の妻となった君にとって、悪い話ではないから」


 仕掛けてきたのなら受けてやろうと、波に阻まれる向こう側を見ようとするが、相手がこちらに注意を向けているので難しい。気付かれていない、警戒されていないときならともかく、真正面から争うには、この教授という男性は危険すぎた。

 正体の居場所を見抜こうとしているのがばれたら、危害を加えられるかもしれない。津さんと二人きりのときでなく、佳さんや茉莉さんもいる場の方が注意を反らせるかもしれないと、今回は諦めて、教授と対峙する。

 特に取り巻きも、護衛も連れていない一人きりの教授は、津さんに見えない刃で切りかかられたら、『現身』を被せている別の相手を捨てて逃げるつもりなのだろう。


「志築の狼の彼女こそ、この国の女王に相応しいと思っていたけれど、夜臼の当主を落とす君でも構わないんじゃないかと思ってね」


 この国の『ひとならざるもの』の頂点に立つ存在になれ。

 彼はそう言っているのだと理解して、私は津さんの手を縋るように握った。夜臼というこの国の『ひとならざるもの』の中で有数の名家の当主と結婚すれば、こういう誘いもあるだろうと覚悟はしていたものの、ここまで露骨にされるとは思わなかったのだ。

 手を伸べる教授は恍惚とした表情を浮かべている。


「夜臼の次期当主を産む君なら、この国の頂点に立てる」

「どうして、そんなに『ひとならざるもの』に拘るんですか?」


 『ひとならざるもの』として生まれたのなら当然のことなのかもしれないが、人間として生まれて、人間として育った私にとっては、『ひとならざるもの』が人間に畏れられて、敬われて、君臨する世界が良いものに思えないのだ。

 茉莉さんは言っていた。人間と比べて数の少ない『ひとならざるもの』は、世界の大多数を占める人間の仕事によって生活を支えられている。茉莉さんのお店の入っているビルを作ったのだって人間だろうし、お店の備品も、出すお酒や食材も、全て一般の人間の手を経てあの場所にある。

 そのことを通じて、茉莉さんは『ひとならざるもの』であることに奢るなと教授に言っていたように、私には感じられたのだ。人間の暮らしがあってこそ、『ひとならざるもの』もそこに紛れて生きられる。

 かつては神や妖として畏怖されたのかもしれないが、そんな時代は終わったのだと、教授は気付いていないのだ。


「僕の一族は血統主義で、強いものだけを重んじた。当然、僕は次の一族を継ぐものとして育てられた。僕に兄がいると知ったのは、僕が成人した後だった」


 語りだす教授の声が、水に反響するようで、聞きとるためにはかなりの集中力が必要だった。それだけ教授が感情的になっているのが伝わるようで、私は目の前の教授が怖くてたまらない。

 言葉も紡げず津さんの手を強く握ると、握り返してくれた。


「ただの犬として生まれた兄を、一族は要らないと判断して、人間の元に捨てたんだよ。僕が見つけ出したときにはもう遅くて、兄は人間として生きて、老いて、認知症で僕が何を話しかけても分からなくなっていた」


 全ての『ひとならざるもの』が珍重される世の中であれば、兄は捨てられることはなかったかもしれない。その考えが教授を動かしているようだった。

 なんて勝手な考え。

 津さんに手を握ってもらえているという状態が、私に勇気を与える。


「あなたは、想像力が、ないんですね」

「は? 僕に向かって何を言っているか分かってるの?」

「お兄さんが不幸だったかどうかなんて、分からないじゃないですか。人間としての生を全うして、幸せだったかもしれない。それなのに、あなたは世界を憎んでいる」

「僕は、『ひとならざるもの』を重んじない世界が悪いと言っているんだ」

「違うでしょう? 本当は分かってるんじゃないですか?」


 全く見当違いのものを憎むことによって、彼は人身売買組織を作り上げて、そのネットワークを世界中に広げたのかもしれないが、それも全て、彼の一族の思う壺な気がしてならない。

 本当に彼が憎むべきは、「兄を捨てた自分の一族」であり『ひとならざるもの』であるはずなのに、論点がずれてしまっている。


「煩い……説教は受け付けてないんだ。僕に協力するか、しないか、それだけの話だ。君がダメなら、志築の狼の彼女のところに行くよ」

「蜜月さんの言う通りや。こいつも勘違い男やな」


 繋いでいた手を外して、脚を前後に広げて刀を抜く動作をする津さんに、教授は飛び退った。


「切られてやるつもりはない」


 踵を返して歩き去っていく教授を、追いかける気は全くなかった。緊迫感のある会話の後で、息を吐いていると、津さんが心配そうに私の顔を見上げてくる。


「大丈夫やったか?」

「はい、津さんがいたので。やっぱり、送り迎え、ありがたいです」

「俺も蜜月さん一人にせんで良かったと思うたわ。これからも一緒に行こうな」


 歩きながら、私は教授のことを考えていた。

 自分の兄を捨てたのは自分の一族なのに、『ひとならざるもの』全てを敬わない人間が悪いと逆恨みしている彼には、お兄さんが人間として生涯を終えたことが不幸にしか感じられないのだろう。人間として生きて来た私にしてみれば、彼のお兄さんがどんな人生を送って来たか分からないけれど、絶対に不幸だったと言い切れない気がするのだ。

 老いて認知症になるまで生きられたのだから、最低限の医療は受けられたはずだ。家族がいたのかは分からないけれど、人間と家族を持てなかったと彼は言っていない。


「人間として生きることが、不幸だとは思いません」

「俺もそう思う。俺の周囲にも一般の人間はたくさんおるけど、それぞれに精一杯生きてる。『ひとならざるもの』として長く生きるからって、幸せとは限らへん」

「あの……見えなかったんです」


 自分の意見を告げてから、私は正直に津さんに白状した。


「波の間から向こう側……本体のいる場所が見えるかもしれないと思ったけど、怖くて、よく見えなかったんです」

「見ようとしてくれたんか?」

「はい……見えそうな気はしたんですけど、見ようとしていることが相手にばれたら、どんなことをされるだろうと思ったら、怖くて……」


 見ることを躊躇してしまった私を、津さんは責めたりしなかった。それどころか、抱き締めて髪を撫でて、称賛してくれた。


「ほんまに蜜月さんは勇気のあるひとや。あの男にも怖じずに言い返して、格好良かったで。あの言葉は、隔世遺伝の蜜月さんやないと言えへんことや」

「でも、見えなかったんです」

「それに関しては、まず事務所に行こ」


 周囲を警戒しながらも津さんと歩いて事務所に行く。冬の夕方は風も冷たくて、歩くには最適とは言い難いが、マフラーとコートが役に立った。事務所に辿り着くと、津さんが茉莉さんを読んで来てくれる。


「教授が蜜月さんを狙って現れたんや」

「平気だった? 津さんが一緒で良かったわ」


 津さんには一度切られているので、教授も警戒している。一緒でなくて一人で会っていたらと思うと、脚が寒さではなく震えて来た。ソファに座って、津さんが梅昆布茶を入れてくれた。

 暖かな梅昆布茶を飲んでいると、気分が落ち着いてくる。


「見えるかもと、思ったんです」

「どういうこと?」

「前に津さんと海に行ったときに気付いたんですよ。波って水だから透明じゃないですか。私の『千里眼』でその向こう側が見えないかって」


 教授の『現身』は全部、潮の香りがして、目を凝らすと波に包まれているようだった。正体を暴こうとしても、波間に紛れて見えなくなる。

 そのことを話すと、茉莉さんが身を乗り出してきた。


「その話、もう少し詳しく聞かせてくれる?」

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