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大鷲の翼は漆黒の獅子を抱く  作者: 秋月真鳥
三章 私の世界と巡る命

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5.けじめのつけ方

 エレベーターの扉が閉まる寸前に乗り込んできたひとに、私は目を見張る。普段は事務所にいて現場にはなかなか出て来ない茉莉さんが、コートの胸を押さえて立っていた。


「茉莉さん、出るのは危険なんじゃないですか?」

「どうしても、やらなければいけないことがあるの」


 教授は茉莉さんを狙っている。希少な狼の群れを継げる血統として、教授は茉莉さんに目を付けた。群れの中で遠い親戚同士での結婚を続けて来た茉莉さんは、ほとんど純血に近い狼だ。そんなに血の濃い狼は現代においては残っていないというのが現状だと聞かされていた。

 何人もの女性を使うような『見合い』の場に、茉莉さんが出て来る。純血に近い『ひとならざるもの』で、狼の茉莉さんは、恐らく『ひとならざるもの』の出生率の高い、教授にとっては喉から手が出るほど欲しい存在だろう。

 その上、沈くんの能力にも目を付けて、沈くんの代わりとなる蝙蝠を産み出させようとしている教授が、茉莉さんを囮に沈くんをおびき寄せないはずがない。

 心配しているのは私だけではないようだった。


「茉莉さん、私たちから離れずに」

「無茶したらあかんで?」


 沈くんの両親の片方……見た感じでは男性だったから父親が、沈くんの兄弟を作って売ろうとしていることに、茉莉さんが許せない思いを抱えていても仕方がない。茉莉さんにとって、沈くんは特別に可愛い男の子なのだ。けれど、教授の用意した場所に出て来るというのは、あまりにも無謀に思えた。


「いらっしゃい。君が来てくれるとは思わなかった」


 寄せては返す波のように、追いかけても捉えどころのない笑顔で、教授が開いたエレベーターの中から出て来る茉莉さんを見つめていた。コートの胸を押さえたままで、茉莉さんは教授の横を通り過ぎようとする。


「主催者に無視は良くないんじゃないかな? 君も、『見合い』に混ざるつもり? 君だったら、もっといい相手を……例えば僕とか、用意するのに」

「結構よ。あなたに用があってきたわけじゃないから」


 引き留めようとする教授の手を払うと、茉莉さんの前に犬と熊の『ひとならざるもの』の護衛たちがすらりと並んで行く手を阻む。


「蜜月さん、ちょっと避難しとって」

「はい!」


 津さんの鬣から私が飛び降りると、津さんと佳さんが犬と熊に飛びかかって行く。熊は巨大だが、虎の牙には敵わず投げ飛ばされる。群れてくる犬を一匹ずつ遠ざけて、津さんが茉莉さんに道を開く。


「君たち、邪魔をしたいの? それとも、混ざりたいの?」


 苦笑する教授が、いつ動いたか分からなかった。掬い上げられるように私の脚が掴まれて、教授に捕えられてしまう。

 嘴で攻撃しようとしても、教授はゆらゆらと揺れる波のようで、目標が定まらない。


「蜜月さん!」


 駆け寄った漆黒の獅子の津さんが、喉を鳴らして教授を威嚇する。


「隔世遺伝だけど、使えないことはないよね。大鷲は貴重だ」

「大鷲やからやない。蜜月さんやから、大事なんや!」

「愛とか信じてるタイプ? それなら、尚更部屋の中を見てもらわなきゃ」


 扉を開けて部屋の中を見せる恍惚と教授に、私は羽ばたき、もがき、その腕から逃れようとした。鋭い鉤爪が刺さったのか、教授が私を部屋の中に投げ込む。

 日中なのに薄暗い部屋の中は異様な香りで充満して、ベッドでは一人の男性に下着姿の女性が何人も取り縋っていた。


「邪魔をしないでくれる?」

「あなたも種が欲しいの?」

「お仲間に入りたいなら順番を守って」


 口々に言う女性たちは、みんな正気だ。正気でこんなことができることこそ、狂っている。

 ハイヒールの踵を鳴らしながら近付いた茉莉さんが、女性を押しのけて、ベッドの上で裸で寝そべっている男性のすぐそばに腰かける。薬で酔わされているのか、口の端から涎を垂らし、男性が茉莉さんを見た。


「良い女じゃないか。順番を変えてやってもいい」

「それはありがとう。沈さん、どうぞ」


 ずっと胸に置いていた手を、茉莉さんが男性の方に差し伸べる。そこには小さな赤ん坊の蝙蝠の沈くんが止まっていた。素早く男の手に噛み付いた沈くんは、茉莉さんの胸に戻っていく。


「な、なに、を……」

「おたふく風邪ってご存じ? 流行性耳下腺炎というのだけれど、大人の男性が罹ると、稀に不妊になることがあるの」

「もしかして……」

「残念ながら、沈さんの『疫病』では確率は十割、間違いないのよ。さぁ、お嬢さん方、種無しの男と寝る必要があるかしら?」

「くそっ! なんてことしやがる!」


 コートの胸の中に隠れてしまった沈くんをむしり取ろうとする男性の股間を、茉莉さんがヒールで踏み潰す。


「使えない場所なんて、必要ないでしょう?」


 悶絶する男性を放って踵を返した茉莉さんは、エレベーターの方に歩いて行った。人間の姿に戻った津さんが、私を保護して抱え上げ、佳さんが虎の姿のまま唸り声をあげて威嚇しながらエレベーターに戻る。


「どうぞ、『お見合い』でもなんでも続けたらいいわ。続けられるものならばね」


 穏やかに言い捨ててエレベーターが閉じる瞬間、教授がもうこの場所には興味がないとばかりに水に溶けて消えていくのが私の目には見えていた。


「えっぐいことするなぁ……」

「沈さんにはそれくらいの権利があるわ。自分は売られて、自分勝手に売るための兄弟を作られるなんて、冗談じゃないわよね」

「やぁや……」

「もう平気よ。あのひととも二度と会う必要はないわ」


 コートの胸に隠れている沈くんに優しく語り掛ける茉莉さんに、沈くんが囁くような声で答える。その声が怒りを含んでいても、沈くんが受けて来た扱いを考えれば、当然のことだろう。

 あの後、沈くんの父親がどうなったのか知らないが、報酬が支払われたことはないだろう。

 事務所に戻ると、沈くんは人間の姿に戻って、茉莉さんにぎゅっと抱き付いていた。私も人間の姿に戻って、デスクに着く。


「沈の父親は、自分の子をブローカーに売った罪で、捕まえられていたはずじゃなかったのか?」

「教授が保釈金を払ったみたいなのよ。母親の方はそのまま捕えられてるから、外に出さないように警察に連絡はしたけれど」

「金、か。結局、金か。警察かて、あてにならへん」


 吐き捨てるように言う津さんに、茉莉さんが胸にしがみ付く沈くんの髪を撫でる。


「まー……」

「怖かったわね。歯磨きをして、うがいをしないと」

「はぎまぎ?」

「そうよ、変なのを噛んじゃったでしょう?」


 いっ! と歯を見せる沈くんに、茉莉さんが幼児用の小さな歯ブラシを持ってきて、手早くシャカシャカと磨いてしまう。洗面所にうがいに行った沈くんは、もう茉莉さんから離れて歩いて行けるようになっていた。


「なんか、縁起が悪いような気がする。蜜月さん、誕生日は別の場所にしよか」

「それだったら、お家で、津さんとお料理を作るってどうですか?」

「家で? ええの? ロマンチックに高級レストランで誕生日と思うてたのに」


 あのホテルには嫌な記憶が残ってしまったので、別の場所にしようという津さんに私は答えた。あの家で一緒に暮らすことから始まったのだ。それならば誕生日も、構えずにあの家で過ごしたい。


「その日は私は出勤だから、お邪魔しないよ」

「け、佳さん」

「それにしても、津のどこが良いのか……」


 しみじみ言われて、私は力説する。


「強引じゃないところです」

「優しいところってことやろか?」

「いくら格好良くても、美形でも、グイグイ来られたら身の危険を感じるし、気持ち悪いじゃないですか。津さんはそんなことなくて、優しくて、私が寝ちゃってもそっとしておいてくれて、身の危険を感じないんです。側にいて、一番安心できる相手というか」


 説明していると、戻って来た茉莉さんが微笑んでいるのが分かった。


「男性は側にいて安心できるひとが一番だって言ってたわね。熟睡できる相手じゃないと、長続きしないって。津さん、下手に格好つけなくて、そのままのあなたを、蜜月さんは好きでいてくれるのよ」

「このままの、俺を……どないしよ。めちゃくちゃ嬉しい。誕生日にはご馳走作るわ!」


 かっこ悪くたって、情けなくたって、構わない。

 私を一番大事にしてくれる津さんを、私も一番大事にしたいと思っていた。

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