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大鷲の翼は漆黒の獅子を抱く  作者: 秋月真鳥
二章 私の気持ちと回る世界

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28.秋の日のコイバナ

 早朝に入った、晶さんが戻っていないという連絡のせいで、寝ぼけたまま朝ご飯も食べられずに保育園に連れて行かれて、茉莉さんの行ってらっしゃいのハグを受けられなかった沈くん。その日一日、同じくお腹を空かせて不機嫌な和己くんの後ろに隠れて、泣いていたという。

 トイレトレーニングに失敗してはへこみ、スプーンがうまく使えなくては食事を嫌がり、行ってらっしゃいのハグがなければ一日泣いている。あまりにも繊細な沈くんを、茉莉さんは無理に鍛える方針ではなかった。緊急のことで沈くんを朝ご飯も食べさせずに、行ってらっしゃいのハグもせずに保育園に送りだしたことを反省して、翌日は私が仕事が休みなのと同じく、茉莉さんもお店は藪坂さんに頼んで、お休みにしたのだ。

 ウッドデッキ仕様になった屋根のあるお砂場では、和己くんと沈くんが活き活きと遊んでいる。昨日は朝ご飯も食べていなかったが、今日はしっかりと食べたし、二人きりで誰にも邪魔されないで遊べるのが嬉しいのだろう。


「ちょーあい!」

「いーよ」


 砂のいっぱい入ったバケツを沈くんから譲ってもらって、和己くんが持ってぽてぽてと砂場の枠の中を歩く。端っこの方にお山を作りたいようなのだが、バケツが和己くんの身体に対して重すぎて、引きずる格好になるので、砂がぼろぼろと零れている。


「じーも」

「じぃ?」

「すゆ」


 二人で声を掛け合って、協力してバケツを運ぶ様子を、ウッドデッキに設置されたベンチで、茉莉さんが写真を撮って記録していた。Vネックのセーターに細身のパンツ、ミュールのようなサンダルという出で立ちでも、ベンチに座っている茉莉さんは、モデルのように様になる。

 見惚れていると、悪戯っぽく笑われて、写真を撮られてしまった。


「蜜月さんのベストショット、津さんにいくらで売れるかしら」

「俺も写ってたんやったら、言い値で買いますわ」

「うわっ!? 津さん!?」


 縁側でウッドデッキの方を見ていた私の後ろには、いつの間にか津さんが来ていた。猫科は気配を消して、音を立てずに獲物に近寄るのが得意だと言うけれど、全く気付いていなかった。


「水分補給にフルーツティーのお届けやで。仕事行く前に寄ったけど、沈も立ち直ったみたいやなぁ」

「大人の都合で昨日は振り回しちゃったんだもの。埋め合わせはしないとね」


 オレンジにミックスベリーと桃の漬かった、手作りのフルーツティーの入ったボトルと、コップを人数分乗せたお盆を、津さんが縁側に置く。


「お手手を洗いに行きましょうか」

「まー、らっこ」

「あーい!」


 元気にお返事をする和己くんと、茉莉さんに抱っこを求める沈くん。学年は同じだが、春の生まれの沈くんと、早生まれで冬の生まれの和己くんは、一年近く誕生日が違う。それでも、たっぷり食べて、活動的な和己くんが、沈くんを引っ張っているような形になっている。

 手を洗って戻って来た茉莉さんと沈くんと和己くんは、縁側に座ってフルーツティーを飲む。和己くんは中に入っているフルーツに興味津々だった。


「紅茶の渋みを吸ってまろやかにしてるから、食べたら渋いかもしれへんで」

「ちぃ?」

「美味しくないて。食べてみるか?」

「ん!」


 かぱっと大きな口を開ける和己くんに、津さんがお箸を持ってきて、ボトルの中のフルーツを摘まんで口に入れた。しっかりと咀嚼して飲み込んで、和己くんはもう一度口を開ける。


「食い助やなぁ」

「ん! ちっ!」

「美味しかったんかい」


 酸っぱいベリーに顔を顰めても、和己くんの探求心と食いしん坊は止まらない。その様子に、おずおずと沈くんもボトルを指さす。


「まー……こえ」

「食べてみたいの?」

「あい」


 茉莉さんもお箸を持ってきてボトルの中のフルーツを摘まみだし、最終的にフルーツティーの中身は空っぽになってしまった。


「今日は食欲もあるみたいね。良かった」

「まー、おしゅな」

「良いわよ、遊んでいらっしゃい」


 水分補給とフルーツを食べるのが終わると、また沈くんは和己くんと砂場に入って行った。

 ボトルとグラスを片付けて、津さんは仕事に行く。手を振って見送っていると、茉莉さんが隣りに座っていた。


「津さんと、どうなの?」

「お互いにいい関係だと思います」

「具体的には?」

「茉莉さん、コイバナとか、好きなタイプですか?」


 意外だと目を丸くすれば、色気たっぷりの笑顔で答えられる。


「私の周囲には蜜月さんと津さんくらいしか、本当に恋愛してる相手なんていないもの……まぁ、うちの両親は、小さい頃から許嫁だったけど、お互い物凄く愛し合ってるみたいだけど」

「茉莉さんのご両親の話、初めて聞きました」

「狼の血統を守る群れだから、一番血の遠い親戚と結婚するのが生まれたときから決まってるようなものなのよね。両親はそうやって許嫁にされたけど、お互いのことをものすごく愛してて、運命だって言ってたわ」


 そういう両親を見て来たからこそ、茉莉さんは群れの誰かと結婚することに疑問を覚えてしまった。運命ならばいいのだが、口説いてくる相手にどうしても、運命を感じられなかったのだ。

 その相手が志築明人ならば、あの勘違いぶりからすれば仕方ないような気がする。


「津さん、私のこと大事にしてくれて……私も焦らなくていいかなぁって思ってるんです」

「焦らなくてって……」

「その、関係を進めるの、私が一昨日は寝ちゃって、昨日は津さんが寝ちゃって……で、でも、同じベッドにいて、安心して寝られるって、すごく大事なことじゃないですか!」


 力説してみたが、なぜか茉莉さんは肩を震わせて、笑いを堪えている。

 同じベッドで一緒に寝て、お互いに安心してぐっすり眠れる。そういう相手じゃないと、私は長続きしないような気がするのだけれど。


「良いと思うわ。凄く良いと思う。津さん、昔から眠りが浅くて、周囲を警戒してたから、ぐっすり眠れる場所ができたというのは、いいことだわ」

「眠りが浅かったんですか?」

「沈さんは周囲が怖くて眠りが浅いみたいなんだけど、津さんは佳さんが攫われかけたり、自分自身も襲われかけたりしたことがあったから、警戒心が強いのよね」


 何もせずただ抱き締め合って眠った昨夜、津さんはぐっすりと眠れていたように見えた。


「ひとの心音を聞くと安心するって言うでしょう? 沈さんも抱っこするとよく眠るのよね。津さんも、蜜月さんの心音に安心したんじゃないかしら」

「私も、津さんの体温とか香りに安心して、一昨日はぐっすりでした。津さんも疲れがとれたなら良かったって言ってくれたし」

「でも、ちょっと、残念だったんじゃない?」


 図星を突かれて、私は口ごもってしまう。

 女性として生まれて35年、そういうことに縁はなかったし、好きでもないひととそういうことをしようと思ったことはないけれど、興味がないわけがない。特に、今は好きな相手がいて、触れ合える距離にいるのだ。


「津さんと、もっと身近になれますかね?」

「私も経験がないから何とも言えないけれど、津さんが望んでて、蜜月さんも受け入れるつもりがあるのなら、誰にはばかることなく、大人なんだから、自分の意志でしていいことだと思うわ」


 この年で初めてとか、津さんも手を出しにくいんじゃないかと口に出そうとして、茉莉さんも経験がないのかと気付く。他人を拒んできたという佳さんも、きっと経験がない。

 本当に好きになったひと以外に、そういう行為を求める必要はないのだと、茉莉さんは体現してくれているようだった。


「赤ちゃん、欲しいって言ってくれたんです」

「そう。津さんも積極的ね」

「結婚したら……結婚!?」


 そうだ、結婚しないと赤ちゃんなんて考えちゃいけない。

 私の中の常識が思考を止めさせた。

 付き合い始めたばかりで、体の関係もない。体の相性がどうなのかも分からないし、付き合っていくうちに価値観の違いも見えてくるかもしれない。

 それを乗り越えた上で、お互いに合意があって、プロポーズされて、結婚に至るはずだ。


「言われてない……」


 好きは言われたけれど、私は津さんに「愛してる」とは言われたことがない。

 これはまだ、結婚を考えるには早すぎるということなのだろう。

 私は空くんと陸くんのことで一足飛びになりかけていた軌道を、修正した。

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