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大鷲の翼は漆黒の獅子を抱く  作者: 秋月真鳥
二章 私の気持ちと回る世界

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20.波の向こう側

 朝は交代で朝ご飯を作って食べて、保育園に沈くんを送って来た茉莉さんと、運動公園で待ち合わせをして、ランニングをする。帰って来てからシャワーを浴びて、津さんの仕事の日は仕事の時間まで一緒に寛ぐ。佳さんも津さんも日本舞踊の教室と居合道場があるので、昼ご飯は休みの日でない限りは、大抵私が作る。

 ご飯を食べて、食後のひと時、津さんと寛ぐ。仕事に行く津さんを見送ってから、夕飯の買い物や下拵えをして、早い夕飯を軽く食べて、仕事に向かう。

 春先に出会った頃には考えられなかったが、秋になって、津さんと両思いだと分かってから、一緒に過ごす時間が増えた。


「修行ついでに買い物に行かへん?」


 昼食後に誘われて、津さんの運転する車に乗せてもらって、お店のある賑やかな大通りに出る。移動中は大抵、『千里眼』の修行もしていた。


「あのひと……」

「気付いたか?」

「かなり大型の犬科ですね」


 探偵事務所に勤め始めてから、私が揃えたのは、犬、猫、鳥、ハムスター、狐、狸、熊などの動物図鑑だった。犬科、猫科、鳥類、という大雑把な括りは分かっても、細かな種類までは有名なものしか分からない。

 これでは佳さんに修行に連れ出してもらっても、津さんに修行に連れ出してもらっても、答え合わせがあやふやになってしまうのだ。

 かなり覚えたつもりだが、とにかく、種類が多すぎて、有名な種類はともかく、鳥などまだまだ覚えるところが多かった。

 日本だからといって、日本原産の動物が多いのは確かなのだが、津さんや佳さんみたいに物凄い例外もあるし、『ひとならざるもの』は血統のために海外から『お見合い』で子どもを作ったりするので、全然見たことのない種類もいる。


「なんですっけ……コリーじゃなくて……足が長くて、すらっとした」

「ボルゾイやな」

「そう、それ!」


 ボルゾイなんて珍しい犬種がいたものだと目を凝らすと、その人物は人ごみの中に消えて行った。

 津さんは百貨店の駐車場に車を停めて、中に入って行く。私の目当ては文房具だったりする。


「このボールペンの替え芯と、バインダーも欲しかったんですよね」

「仕事のことばかりやな」

「万年筆、見ても良いですか?」

「蜜月さん、万年筆が好きなんか?」


 そうなのです、私は文房具が大好きなのです。

 文房具を拘って仕事に使えるから事務という仕事を選んだというのも、実のところあったりするのだ。経費で大好きな文房具に囲まれるって素晴らしくないですか?

 事務所のボールペンも安い使い捨てのものではなくて、書きやすい替え芯のあるものに徐々に取り換えているのに、気付いているのはきっと茉莉さんだけ。ハサミもドイツ製の切れ味のいいものに買い替えていくつもりだし、バインダーやファイルもちょっと格好のつく拘りのものに変えていく。

 こうして、徐々に事務所が乗っ取られていることに、経費の領収書を受け取っている茉莉さん以外は気付いていない、はず。


「万年筆は自分用です。字を書くのは、できるだけ書きやすい方が手が楽だから」


 インクの色もたくさんあって、万年筆の世界も広いのです。

 熱く語っていると、津さんは「知らんかった」と私に並んでショーケースの中の万年筆を眺めてくれた。お高いものは変えないけれど、身分相応のものを揃えていく。


「次は俺の買い物、ええか?」

「はい、ご一緒します」


 階は変わって、津さんが向かったのは、アロマセラピーの用品の売り場だった。幾つかのアロマオイルを私も嗅がせてもらう。


「これ、どない?」

「オレンジの香りが落ち着きますね」

「これは?」

「ラベンダーかな? よく眠れそうです」


 津さんがアロマセラピーに興味があったなんて知らなかった。

 驚いていると、ちょっと恥ずかしそうに津さんが言う。


「蜜月さんが頻繁に俺の部屋に来てくれるようになったやろ? 男臭いかも知れへんし、ちょっとはこういうのも、な」

「全然、男臭くなんてないですよ」

「ええ匂いがしたら、心地よく過ごせるんやないやろか」


 ムードのあるランプ型のアロマディフューザーに、リラックスする香りのアロマオイル。

 これは、もしかして、ロマンチックの予感ではないでしょうか。

 これまでが全然ロマンチックではなかった分、津さんは取り戻そうとしているのかもしれない。それならば、私もできる限り協力したい。


「サンダルウッド、って、これちょっと好きかもしれません」

「こっちは?」


 嗅がされたのは、とろりとするような甘い香り。

 何かの花の香だろうが、色気のある匂いに、どきりとする。


「イランイランやけど」

「へぇ……甘い、ですね」


 こんな甘い香りの中二人きりとか、照れてしまわないだろうか。

 私の心配をよそに、津さんは買い込んでレジに並んでいた。

 百貨店での買い物が終わると、帰りにスーパーに寄って晩ご飯の買い物もして、津さんは仕事に行き、私は早めの晩ご飯の準備をする。仕事が終わったら、今日は津さんが事務所に出勤する日なので、晩御飯は津さんの分も作りおいて、軽く食べてから事務所に行った。

 帰りは津さんに車で送ってもらうのだろうか。

 浮かれていた私は、事務所に来て、ソファに寝かされている沈くんに、すぐに気付かなかった。お店から茉莉さんが上がってきて、沈くんの様子を見に来てやっと気付く。


「沈くん、どうしたんですか?」

「お熱みたいなのよ。食欲もなくて、保育園から連絡が入ったから迎えに行ったのだけれど、苦しいのかしら、ずっと寝ているのよね」


 お布団に頭まで隠れていたので、ソファに沈くんがいたのに気付かなかった私。顔を覗き込んでみると、ほっぺたが真っ赤になっている。


「様子を見ながら仕事をしてもらえるかしら?」

「分かりました。何かあったら、すぐに行きますね」


 お店に戻っていく茉莉さんを見送って、志築明人の吐いた情報と、そこに踏み込んだ警察の結果とを合わせてバインダーに纏めて、どれくらいの組織の人員が捕まったかを計算していく。

 志築明人の話では、日本中に組織は散らばっているという話で、その全ての検挙まで、まだまだ警察の手は足りていなかった。

 『ひとならざるもの』の専門の課でないと、『ひとならざるもの』の組織の人員は捕まえられない。人手不足で、私でもいいから頼りたくなった津さんの気持ちが、今になってよく分かる。

 資料を纏めていると、けほけほとソファで沈くんが咳き込むのに気付いた。

 駆け寄ると、真っ赤な顔で身体を起こしている。

 預けてもらった体温計で熱を測ると、37.8度だった。小さい子は体温が高いけれど、これは普段よりも明らかに高い。


「お水、飲める?」

「ん」


 ペットボトルからストロー付きの容器に入れて渡すと、少しだけ水を飲んで、沈くんはくしゃりと泣き顔になってしまった。


「まー……まー……」

「茉莉さんがいいよね……あら、ほっぺがカサカサ」


 熱のせいか、ほっぺたがカサカサになっていて、痒そうにそこを小さなお手手で掻いているのが気になる。茉莉さんが置いている、沈くんの荷物を探したけれど、保湿剤はなさそうだった。


「茉莉さんのところに行こうか?」

「ん、らっこ」


 両手を広げて抱っこを求める沈くんを抱くと、明らかに熱いのが分かる。階段を降りて店に入ると、妙な気配がしていた。店のカウンターに明るいグレーに水色のストライプのスーツを着た男性……というよりも、青年といった方が良いような若さの人物が座っているのだが、その姿が妙なのだ。

 この店「茉莉花」は、『ひとならざるもの』にしか存在が分からず、『ひとならざるもの』のお客しか来ない。それなのに、私の『千里眼』を以てしても、その客の正体が少しも見えない。

 感じるのは、その客の正体を見ようとすると、ゆらゆらと揺れる波間に飲まれてしまいそうになることだけ。


「彼が執着したのも分かるな。物凄い美人で、物凄い能力を秘めている。恋は盲目なんていうけど、本当に、感情なんて邪魔なものに左右される気持ちは分からない」


 声変わり途中の少年のような中途半端な高さの声に、沈くんがびくりと体を震わせた。

 目の前にいるのは、恐ろしいものだと、私だけでなく、沈くんも感じているようだった。

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