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大鷲の翼は漆黒の獅子を抱く  作者: 秋月真鳥
二章 私の気持ちと回る世界

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19.バナナのケーキで遅れた誕生日

 出会って約半年。

 お付き合いをするようになったけれど、私は津さんについて知らないことがあまりにもたくさんありすぎる。なんでも知っているのが良いとは言い切れないのだが、知っておきたいこともやはりあった。

 お互いの質問に答えるという条件で、二人で話をするのは楽しいが、たまに感覚の違いを知ることもある。


「津さん、お誕生日はいつですか?」

「八月や」

「夏生まれなんですね……え!? てことは、29歳に?」

「なってしもたなぁ」


 はい、誕生日を知らなかったので、完全にスルーしてしまいました。

 もっと早くに聞いておけばよかったのだろうけれど、誕生日を祝わない家庭があるという感覚が、私にはなかった。


「言ってくれたら、お誕生日お祝いとか、ケーキとか準備したのに」

「あぁ、そうか。誕生日ってそんなもんか」


 14歳の佳さんと、15歳のときに置いて行かれた二人きりの夜臼邸での生活。途中茉莉さんが成人までを見守ってくれていたけれど、基本的に津さんは誕生日を祝われたことがないようだった。


「誕生会とか、テレビの中の別世界のもんやと思ってたわ」

「ってことは、佳さんも?」

「佳も九月生まれやけど、過ぎてしもたなぁ」


 なんということでしょう。

 これでは、佳さんに育てられている和己くんのお誕生日も危ういかもしれない。

 和己くんの誕生日は一月と聞いていたので、そのときには盛大に祝うことにして、津さんと佳さんの誕生日も来年からは祝いたい。


「ケーキを作って、ろうそくを吹き消してとか、津さんはしたことないんですね」

「そういう家庭やなかったからな」

「茉莉さんがいたときもですか?」

「そういえば、八月と九月に一回ずつケーキ買ってきてたけど、あれ、誕生日やったんか」


 沈さんが両親に虐待を受けていたとか、和己くんが両親から売られたとか、そういう話を聞いて心を痛めていたけれど、私の目の前の津さんも、両親から捨てられた張本人だった。15歳の息子と14歳の娘を置いて海外に逃げるような両親だ、それまでも愛されていなかった、普通の養育はされていなかったと考えるのが普通なのに、私はあまりにも認識が甘かった。


「ケーキ、作ります」

「唐突やな!?」

「遅れたけど、佳さんと津さんの誕生日お祝い、しましょ!」


 まだ1歳で食べるものに制限のある和己くんのために、ケーキは手作りの方がいいだろう。津さんの部屋から移動して、キッチンで材料を揃える。普段から佳さんが和己くんのおやつを手作りしていたりするので、薄力粉やお砂糖はあった。


「今の季節だと果物は何がいいですかね? 津さんは果物は何が好きですか?」

「十月近いやろ……桃とか、柑橘系ならあるやろか」

「バナナ……和己くん、バナナ大好きじゃないですか」

「バナナか。バナナのケーキもええなぁ」


 見栄えのいい苺は季節ではないので買えないし、葡萄は皮と種があるので和己くんには難易度が高い。ナッツ系のケーキも、和己くんはよく噛めないので得意ではないはずだった。


「バナナをキャラメルで煮て、冷やして飾りましょう」

「お洒落で美味しそうやな」


 スーパーで夕食の買い物をするついでにバナナを買って、エコバックに入れる。青果売り場の横を通ると、全く場違いだった高級なスーツ姿の志築明人を思い出した。


「あのひと、ここに立ってたんですよ。誰も騒いでなかったから、擬態してたんですかね」

「埋没するのが上手な個体もおるんや。狼は犬のふりをすることが多いしな」

「私もずっと埋没してたんですね」

「今は俺が見つけ出した、俺の宝物や」


 息をするように口説いてくる。

 これだから美形は、と思うけれど、以前と違うのは、これが本気だと分かっていることだ。津さんは誰にでもこんなことを言っているのではなくて、私に向かってだけ甘い台詞を吐くのだ。

 照れても赤面の目立たない肌の色で良かったと思う。帰り道に手を伸ばしたら、津さんが手を繋いでくれた。

 遅く始まった初恋は、進み方もゆっくりでいい。津さんが焦らせないでくれるから、私はゆっくりと津さんと歩いていける。

 タルト生地を焼いて、冷まして、中にバナナのキャラメル煮をぎっしりと詰めて、冷蔵庫で冷やしてから、最後に生クリームでコーティングする。バナナのキャラメル煮が甘いので、生クリームは砂糖控えめにした。

 バターの香りがリビングに広がって、保育園から帰って来た和己くんが、何事かとキッチンに押しかけてくる。


「みぃ? んま?」

「晩ご飯のときに見せてあげるね」

「んま?」

「あぁ、待って、まだなのよ」


 保育園の着替えからスタイを取り出して、装着すると、わくわくと子ども椅子に座る和己くん。もう食べる気満々の和己くんに、後から追いかけて来た佳さんが苦笑していた。


「美味しい匂いがするな。お腹が空いたのか」

「けー! みぃ、んまっ! ちょーあい!」


 両手をお皿のようにして「ちょうだい」と欲しがる和己くんを、佳さんが抱き上げた。


「ちょっとだけ卵ボーロをあげようね。その前に可愛いお手手を洗わないと」

「ちゃぷちゃぷ!」

「そう、お水ちゃぷちゃぷだぞ」


 洗面所に連れて行かれて、綺麗に手を洗ってスタイも保育園で使ったものではない新しいものに替えて戻って来た和己くんは、お手手のお皿の上に、卵ボーロを入れてもらっていた。

 小さな指先で摘まんで、涎を垂らしながらもちゅもちゅと食べる姿が可愛い。


「今日は何を作ったんだ?」

「誕生日ケーキを」

「誰か、誕生日だったのか? 蜜月さん、誕生日?」

「いえ、私は十二月ですけど、佳さんと津さんのお誕生日をしていなかったので、合同でしようと思って」

「それで、ケーキか」


 誕生日にケーキを食べる習慣は、やはり夜臼家にはなかったようだ。驚いた様子の佳さんに、和己くんが卵ボーロのお代わりを求めて、手を差し出す。小さなお手手に卵ボーロを乗せてやりながら、佳さんは柔らかく微笑んでいた。


「そうか……津にそういうことをしてくれる相手がなぁ……。本当に良かったな。絶対蜜月さんを呆れさせて振られるんじゃないぞ?」

「佳の誕生日でもあるんやで」

「お前がしっかりしていれば問題ないんだ」


 感慨深そうな佳さんは、茉莉さんがいた頃にケーキを買ってきた意味を、津さんとは違って気付いていたのかもしれない。

 晩ご飯の後に、ケーキを冷蔵庫から取り出すと、和己くんの目が光った。待ちきれず子ども椅子から立ち上がって、テーブルの上に登ろうとする和己くんを、佳さんが膝の上に抱っこする。


「ちょーあい! ちょーあい!」

「今切るからね。遅れたけど、津さん、佳さん、お誕生日おめでとうございます」


 お祝いを述べて、大興奮している和己くんを待たせないために、ケーキを切って行く。小さな一切れだが、お皿に乗ると、和己くんは顔から突っ込んで食べていた。顔中が生クリームとバナナのキャラメル煮だらけになるけれど、全く気にしていない。

 佳さんと津さんは、フォークでさくりとタルト生地を切り分けて食べる。


「和己の大好きなバナナだな。良かったな」

「今の季節のフルーツが難しくて……」

「和己が喜んでるし、俺も嬉しいし、ええんやないかな。蜜月さん、ありがとう」


 お礼を言われてしまって、少しくすぐったいような気持になった。

 こんな些細な日常も津さんにも、佳さんにもなかった。二人が経験していないことだから、和己くんにも教えなければなかったかもしれない。

 一般の人間として育ってきた私にも、津さんにできることがある。

 15歳で夜臼の当主にならなければいけなかった津さんには、子ども時代などなかったのかもしれない。それが取り戻していけたらと願わずにはいられなかった。

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