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大鷲の翼は漆黒の獅子を抱く  作者: 秋月真鳥
二章 私の気持ちと回る世界

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12.罠にかける

 スーパーの青果売り場は、今日は季節の胡瓜とトマトとバナナが安い。売り場アナウンスがかかるのを呆然と聞きながら、私は籠の中に食材を入れていく。歯ごたえのあるものが好きなのか、ただの食いしん坊なのか、和己くんは野菜の好き嫌いもなく、なんでも喜んで食べる。

 ミンチは鶏にしようか、豚にしようか。

 スープに入れる肉団子のレシピを考えている私の隣りには、ぴったりとチャコールグレイのスーツの男性、志築明人が立っていた。

 擬態で『ひとならざるもの』は周囲に埋没することができると聞いていたが、これだけスーパーに似合わない長身で高級なスーツの男性がいても、誰も気にかけていないのが怖い。


「あなたとお見合いをしたいという熱烈な方がおられるんですよ。残念ながら、昨日は怖い獅子に睨まれたようですが」

「睨まれたくらいで逃げるんだったら、そのひとの気持ちも知れたものじゃないですか」

「あなたは、その獅子と付き合っているわけでも、恋人関係というわけでも、なんでもないのでしょう?」


 図星を刺されるのが、人間一番痛いという。

 ずきりと胸が痛んだ気がした。

 私は、津さんの同居人ではあるが、付き合ってもいないし、恋人でもない。


「夜臼の家に入れるとお思いで?」

「どういう意味ですか?」

「あの家は古い家ですよ。そこに嫁に入るということは、夜臼の当主を支える存在にならないといけないということ。隔世遺伝のあなたには、少し荷が重いのではないですか?」


 自覚はあったし、ずっと悩んでいたことを、ずけずけと言われると、腹が立つものだ。

 私が津さんに相応しくないなんてこと、春の終わりの親戚に声をかけられた時点で分かっている。それでも、好きでいるのは自由だと、茉莉さんは私を励ましてくれた。


「断ったら、茉莉さんになにをするつもりなんですか?」

「そうですねぇ……お店に尋ねたら、彼女は動揺してくれるでしょうか?」


 あれ?

 このひとは、何か勘違いをしていないだろうか。

 茉莉さんがこのひとを追いかけていたのは、恋愛感情があったからではなく、兄妹のような関係で、種馬として搾り取られていないかを心配してのことだった。今の茉莉さんは、すっかりとこのひとを捕まえることに執心しているのに、気付いていない。

 恐ろしい自惚れ屋だ。

 ナルシストという奴だろうか。

 一歩間違うと危険かもしれないけれど、私は私なりに、茉莉さんにはけじめをつけられるようにしてあげたかった。

 茉莉さんは十年以上、この男のせいで、苦しんだのだ。

 この男を捕まえるのは、茉莉さんでなければいけない。


「そんな……」


 頑張れ、私の演技力。

 できるだけ悲壮な感じで、私は志築明人を見上げる。茉莉さんを心配しているけれど、彼には従えない。そう苦悩しているように見えていたらいいのだが。


「茉莉も可哀想に。可愛がっている部下に裏切られるなんて」

「で、でも、私は……」


 さっさと買ったものの会計を済ませて、持ってきていたエコバッグに入れてしまう。ここからが本番だ。


「私は、あのひとのことが……」


 スーパーから走り去りながら、ちらりと後ろを見ると、志築明人は追いかけて来ていなかった。

 引っかかったかな?

 家に戻って、買ったものを冷蔵庫に収めると、茉莉さんに電話を掛ける。


「志築明人がそっちに行くと思います」

『なんで、あのひとが?』

「昨日の同窓会のハスキー犬の彼が、依頼したみたいで」


 手早く説明をすると、電話の向こうで茉莉さんが呆れた溜息を吐いた。


『どこにでもいるのね、勘違い男』


 あのハスキー犬の彼も勘違い男だし、志築明人も勘違い男だ。茉莉さんが自分を愛して追いかけてきていると誤解している。


「茉莉さんは、あのひとが好きなわけじゃないですよね」

『最初は心配で追いかけていたけれど、今は、一族の中から裏切り者が出たのが許せない。愛するはずなんてない』


 吐き捨てるように言った茉莉さんは凛々しかった。

 仕事の途中だと分かっているが、佳さんに声をかけ、津さんにも声をかける。

 佳さんが保育園に和己くんと沈くんを迎えに行って、津さんの車に乗せてもらって、私は茉莉さんのお店に行くことになった。


「今度こそ、捕まえよ。それで、洗いざらい吐かせるんや」

「はい……ちょっと怖かったけど……」

「蜜月さんはようやった。後は、みんなでや」


 お店では茉莉さんが警察の『ひとならざるもの』担当の犬伏さんに連絡をして、待ち構えている。

 駐車場に車を停めて店に駆け込むと、志築明人と茉莉さんが対峙していた。


「茉莉、自分の気持ちに正直になるだけでいいんだ。君はこの国の女王になれる」

「私の気持ちに正直になるっていうことは、あなたの組織を壊滅に追いやって、あなたを捕えて教授(プロフェッサー)なる人物について洗いざらい吐かせることよ」

「自分を誤魔化してるんじゃないか? 僕が好きだろう?」


 はい、勘違い男がここにいます!

 ドアを開けて入って来た私と津さんをちらりと見て、志築明人が茉莉さんの腕を握った。乱暴に引き寄せられて、男性の力には敵わないのか、茉莉さんが志築明人の腕に納まってしまう。


「取り込み中なんですよね。あなたとの交渉は後でさせていただきます」

「茉莉さんに好かれてると思うてはりますのん?」

「茉莉はずっと僕のことを想ってくれていた!」

「なんも分かってへんのですね。茉莉さんは、そんな安っぽい女やない。悪党を捕える正義感溢れる御人や!」


 凛と津さんが述べた瞬間、扉が開いて、佳さんが飛び込んできた。和己くんを抱っこしているが、沈くんの姿が見えない。


「茉莉さん、車を降りてから沈が飛んで行ってしまって」

「沈さん!? まだちゃんと飛べないのに」

「うごっ!?」


 志築明人の顎の下に、茉莉さんの拳が思い切り叩き込まれた。よろけて倒れそうになる志築明人の腕から逃れて、茉莉さんはドアを開けて外に出ようとしている。

 小さな可愛い沈くんの方が、茉莉さんにとっては、志築明人よりも重要なようだった。


「沈さん? どこに行ってしまったの? 猫に捕まえられてない? 車に轢かれてない?」


 おろおろと店の周りを探し回る茉莉さんは、店の中でよろめいている志築明人のことなど眼中にない。怒りに青白い狼の姿になって追いかけて来た志築明人だが、物陰から出て来た小さな茶色の塊に顔面に飛び付かれて、動きを止めた。

 かぷりと長い鼻先に牙を立てて、茶色の塊……沈くんはよれよれと茉莉さんの元に飛んで行った。


「沈さん! 無事だったのね!」

「なっ……うぁ……目が、回る……」


 噛まれた志築明人は明らかに様子がおかしかった。泡を吹いて人間の姿に戻って、アスファルトの上に倒れた志築明人を、待ち構えていた警官が捕える。


「すごい高熱だ……」

「なんだ、病気か?」


 蝙蝠は人間にうつる病気を持っているから、保護するときには気を付けなければいけない。

 小さな頃に小学校で、野生の蝙蝠を捕まえようとした子が先生に言われていた話を思い出す。


「沈くんが……」

「蝙蝠の能力ね……あなた、『疫病』も持っているのね」


 たった2歳の沈くんだが、茉莉さんの危機を感じ取って、必死に愛する茉莉さんを守ろうと考えたのだろう。志築明人を油断させて、噛み付くチャンスができるように、沈くんの仕掛けた罠は見事に成功した。


「心配させないで……でも、嬉しいわ。沈さん、大好きよ」


 小さな茶色のお鼻にキスをされて、沈くんは丸い目に涙を浮かべながら蝙蝠の姿のまま、茉莉さんの胸に張り付いていた。


「蝙蝠の『疫病』の能力を受けてる。治療できるか分からへんけど、『ひとならざるもの』やし、死なへんやろ」

「たっぷりと情報を吐かせてやれ。情報を吐くまでは治療を受けられると思うなよ?」


 津さんと佳さんの言葉が、白目を向いて泡を吹いているまま連れて行かれた志築明人に聞こえていたのかは分からない。

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