5.沈くんの能力
結論。
話をしながら走るなんて、無理でした。
初めて運動公園を走る私は、息切れで茉莉さんについていくのが精いっぱいで、話をするなんてできなかった。運動公園の外周は2キロちょっと、それを一周走り終えて、お水を飲んで、茉莉さんが私の様子を伺う。
「今日はこのくらいにしときましょうか?」
「ま、つり、さんは、もうちょっと、走り、たいんじゃ、ないですか?」
「沈さんも心配だし、一度帰るわ」
息が切れて汗だくの私と違って、茉莉さんは気持ちよく汗をかいている印象だった。事務仕事の人間がいきなり走るとこうなるものなのか。
「最後に半周、ウォーキングをしましょうか」
走る前に軽い準備体操をして、最後のウォーキングを整理体操にするようだ。ゆっくり歩いていると、脹脛がじんじんと痛むのが分かった。
私、走るのに向いてない。
動きやすい革風に見えるシューズも、本格的に走るのならば、ランニングシューズに替えた方がいいだろう。
「茉莉さん、体力あるんですね」
「そういう種族だから」
瞬発力の猫科と違って、群れで何キロも走る犬科。狼の一族なので間違いなく本性は狼であろう茉莉さんは、その本性を見せたことはないが、走る能力はあるようだった。
「鼻もね、実は津さんよりも利くのよ」
「初耳です。あ、聞きたいことがあったんですけど、いいですか?」
「どうぞ?」
「『結界』の能力者がいるって、前回言ってたじゃないですか。言われた通り、霞がかかったみたいに部屋の中は私の『千里眼』でも見えなかったんですが、他にもあるんですか?」
知っている限りでは、津さんの『嗅覚』と『居合』、佳さんの『怪力』と『聴覚』、茉莉さんには走ることにまつわる能力と『嗅覚』の能力があって、私には『千里眼』がある。そんな風に、『ひとならざるもの』はみんな能力を持っているのだろうか。
私の疑問に、ウォーキングをしながら茉莉さんが答えてくれる。
「色んな能力があるわよ。強いものだと『遠隔監視』なんてのもあるし……でも、能力が使えるのは一部の力の強い『ひとならざるもの』だけで、他は種類の特徴はあっても、秀でた能力はないわ」
「あの『結界』を張っていたのは、ジャーマンシェパードの女性ですか?」
「恐らくはね。それだけ強くて長く生きているからこそ、あんな商売に手を染めたのかもしれないわ」
『ひとならざるもの』は強いものほど能力を持っていて、長く生きる。
私の『ひとならざるもの』知識がまた増えて行った。
「つい、蜜月さんも知ってると思って話しちゃうのよね。私も津さんも佳さんも、生まれながらに『ひとならざるもの』の仲間しかいないから。これからも疑問があったら、後からでも聞いてちょうだい」
「はい、よろしくお願いします」
その場では緊迫しているので聞いている場合ではないかもしれないが、後から聞かれたらちゃんと説明してくれる。約束してくれる茉莉さんに、私は胸を撫で下ろす。
『ひとならざるもの』としては初心者で、上級者の津さんや佳さんや茉莉さんの会話には、分からないことが良く入って来た。その場で聞ける雰囲気なら良いのだが、聞けないことがほとんどだ。
「希少種って嫌な言葉を使う、みたいなことを津さんが前に言ってたんですが、差別用語なんですか?」
「希少種は、希少じゃない種類を貶めて、特別な種類だけを優遇するような場面で使われることが多い言葉なのよ。だから、津さんは嫌いね。私も好きではないけれど、大型の肉食獣や猛禽類が数が少なくて、珍しいという事実は変えられないわ」
「沈くんや、和己くんは?」
「沈さんはフルーツバットで珍しくないし、和己さんは鳥の種類は分からないけれど、小鳥だから強くはないのは予測できるのよね」
ウォーキングを終えて、駐車場まで歩いて行って、茉莉さんの車に乗り込みながらも、話は続いた。聞いておけることは聞いておけるときに聞いておかないと。私はまだまだ勉強が足りないのだから。
「本当に希少なのは、海洋生物なんだけどね」
「海洋生物……え!? 海洋生物の『ひとならざるもの』もいるんですか!?」
想像したのは、マグロの解体ショー。どでんと台の上に乗せられたマグロ。それが『ひとならざるもの』の本性だったとか、怖すぎる。
知ってますか、マグロって、漁の最中に群れの中に落ちると、ひとが死んじゃうんですよ!?
本で読んだことがあるけれど、マグロしか想像できなかった私に、茉莉さんが車のエンジンをかけながら笑い出した。
「残念ながら、『ひとならざるもの』は哺乳類か鳥類に限られるみたいなのよ。だから、イルカやクジラ、シャチやアザラシなんだけど、地上で暮らすのが非常に難しいから、数はとても少ないわ」
その代わりに、能力は非常に高いのだと言われて、マグロからイメージが離れない私は、想像もつかない領域だった。
今後、海洋生物の『ひとならざるもの』と出会うことがあるのだろうか。その能力はどれほどのものなのだろう。
考えている間に夜臼邸について、玄関を開けると、玄関がおままごと遊びの場になっていた。
「まー」
「沈が、茉莉さんが帰って来るのをここで待ってるって動かないから、和己と遊ばせてたんだ」
「待たせちゃったみたいね、ただいま」
「まー。 ちぃ、じぇた」
「あら、おしっこ? 今からシャワーを浴びるから、沈さんもすっきりしましょうか」
抱っこされて連れて行かれて、茉莉さんが先にシャワーを浴びることになった。和己くんは小さな木のおもちゃのフライパンを振り回し、独創的にお料理を作っている。
「けー」
「上手にできたな。和己もオムツを見ようか」
「ん!」
抱っこのために両腕を上げる和己くんは、佳さんを信頼しきっている。沈さんも茉莉さんを信頼して、出かけるときには泣かずに帰りを待っていることができるようになった。
必ず自分のところに帰って来ることが分かれば、子どもは帰りを待つことができるようになると、保育園の説明会の資料に書いてあった。保育園のお迎えは、茉莉さんも佳さんも忙しいときには、私が行くかもしれないので、説明会に一緒に出席したのだ。
なぜか、津さんについては、お迎えを手伝っても良いと申し出ていたのだが、和己くんも沈くんも泣いて抵抗していた。あんなに優しいひとだけれど、この年代の子どもには、女性の方が良いのかもしれない。
「シャワー、次どうぞ」
「ありがとうございます。和己くん、大丈夫です?」
「おしっこだけだから平気だよ」
和己くんのオムツ替えの様子を確認してから、私は着替えを持って、風呂場に行った。汗だくだったので温めのお湯で髪も洗ってしまうと、すっきりする。髪を乾かして出て来ると、茉莉さんに公園に誘われた。
「お昼は津さんが作ってくれるみたいだから、それまで、沈さんと和己さんと、公園で遊ばない?」
「良いですよ。和己くん、お砂場セット持っていく?」
「う!」
日本庭園の夜臼邸の庭は広いのだが、整えられているため、気軽に掘り返したりできない。保育園でも砂場で遊ぶのが大好きな和己くんは、公園の砂場に夢中だった。
「けー!」
「行ってらっしゃい」
仕事の日本舞踊の教室の準備をする佳さんに手を振って「行ってきます」をして、和己くんが砂場セットの入ったビニールのバッグを手に歩き出す。バケツにシャベルにカップにコップ……たくさん入ったビニールバッグは大きすぎて、和己さんが持つと引きずってしまうのだが、抱っこしようとしても首を振るし、ビニールバッグを持とうとしても拒否される。手を繋ぐのを嫌がらないのは助かるのだけれど。
きっと、自分でしたい年頃になってきているのだ。
ずるずると引きずられるビニールバッグが破けないか心配だったが、屋敷の裏手にある小さな公園に無事歩いて着くことができた。ちなみに、沈くんは茉莉さんにしっかりと抱っこされていた。
茉莉さんと私が交代で砂場で遊ぶ沈くんと和己くんを見る。カップに確りと砂を固めて、ひっくり返すと、カップの形に砂が出来上がって、和己くんと沈くんから歓声が上がる。
「おー!」
「たらきまちゅ」
「まちゅ」
「いただきます」と手を合わせて、食べるふりをするはずが、和己くんは本当に口に入れようとする。止めていると、茉莉さんの方から声が上がった。
「下がりなさい。私の格が違うのは分かっているでしょう?」
「格は違っても、この人数に勝てるかな?」
公園に乱入して来た男性たちは、身なりは普通だが、纏う空気が全く違う。『ひとならざるもの』だ。種類の名前まではよく分からないが、大型の犬科の動物が多い。
囲まれる茉莉さんに、和己くんと沈くんの安全を守らなければと、抱き締めようとした腕をすり抜けて、沈くんが茉莉さんの方に駆けていく。
「ダメ、沈くん!」
「沈さん!」
私も茉莉さんも慌てたが、沈くんは表情を引き締めて、大きく口を開けた。
「びゃああああああああ!」
物凄い音声と共に、空気の振動が伝わって来る。近くにガラスコップがあったら割れていたのではないだろうか。
恐ろしい声に、聞かされた男たちが耳を押さえている間に、茉莉さんは囲みから抜けて、沈くんを抱っこして、私に視線を投げた。心得ているとばかりに、ビニールバッグに素早くお砂場セットを詰めて、私も和己くんを抱えて走り出す。
今朝走ったので足が痛かったが、こういうときのために鍛えているのだと痛感した。
夜臼邸に戻って来た私たちに、津さんがキッチンから身を乗り出す。
「すごい声が聞こえたけど……誰や?」
「沈さんよ。沈さん、ずっと大きな声で泣かないと思ったら、あなた、『超音波』の能力者だったのね」
蝙蝠の種族には多いという『超音波』の使い手。それが沈くんだったようなのだ。
「よう茉莉さんと蜜月さんと和己を守ったな」
「ふぇ……」
「ここで、泣いたら台無しやないか」
怖かったのか茉莉さんの胸にしがみ付いて泣き出す沈くん。沈くんの能力に驚いて、私は怖がることも忘れていた。今更ながらに手が震えて、津さんの声に安堵する。
沈くんもまた、間違いなく『ひとならざるもの』だった。
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