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大鷲の翼は漆黒の獅子を抱く  作者: 秋月真鳥
二章 私の気持ちと回る世界

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4.事件の後始末

 獣の姿になると一時的に体力や筋力が上がるが、その反動は来る。

 大鷲になって長距離を飛んだ今回の事件の後に、肩こりが酷かったり、腕が筋肉痛だったりするのを相談したら、津さんがズバリと答えてくれた。


「蜜月さんは一般の人間で、仕事も事務仕事やったやろ? 飛ぶっていうのは相当に体力を使うことなんや。獣の本性は筋力や体力が上がってるから気付かへんかもしれへんけど、人間に戻るとその反動が出るんかもしれへん」


 生まれたときから『ひとならざるもの』としての自覚があって、そうやって育てられてきた津さんと違って、私は『ひとならざるもの』の本性と人間の姿に乖離がある。その分、大鷲の姿で無理が効くのが、人間の姿で反動で出てしまうのかもしれないという見解だった。


「肩凝り、酷いんか? マッサージしよか?」

「ま、まままま、マッサージ!?」

「はい、津、セクハラ!」


 マッサージとか物凄く密着するじゃないですか!?

 そんなことされたら、ただでさえ脆い平常心が、崩れ落ちて、不審者になっちゃう!

 事務所で和己くんにおやつを食べさせながら今回の反省をしていた佳さんが、容赦なく津さんの頭に手刀(しゅとう)を入れる。叩かれて、津さんは頭を押さえていた。


「下心やなんて、あるわけ……あるけど……俺かて、健全な成人男性や!」

「あるんじゃないか!」

「落ち着いて、二人とも。今回の件でジャーマンシェパードのご両親から、違約金や迷惑料なんかが来るかもしれないわ。そういうのが来たら、私に回してくれる?」


 息子が同意していないのに、勝手に種付けの契約をして女性を呼び寄せたのだから、それは両親の自己責任というやつだが、大金が動いていただけに、納得ができない点もあるのだろう。

 人間の感覚からすれば、薬を使って無理やりに興奮させて行為に及ぶなんて、違法行為に思えてならないのだけれど、『ひとならざるもの』の世界では横行していると聞くとぞっとする。

 津さんが、佳さんが、茉莉さんが、そんな目に遭ったら。

 津さんが薬で興奮しているかもしれない状況に、私は入って行けるだろうか。


「私は仕事に戻るが、蜜月さん、大丈夫か?」

「あ、はい。今回の報告書を纏めておきます」


 ジャーマンシェパードの彼の両親から苦情が来たときのために、今回の事件の依頼者の言い分、ジャーマンシェパードの彼の言い分など含めて、纏めておかなければいけない。

 海外から種付けだけのために来た彼女から、既に両親への報告は行っているだろう。


「手伝おか?」

「津さんも、お仕事途中で抜けて来たんでしょう? 戻ってください」


 声をかけてくれるのは嬉しかったが、しばらく津さんの顔を見ないで考えたいことがあった。おやつを食べ終わった和己くんは、朝からビニールプールで遊んで、お昼は部屋で遊んで疲れ切っていたのか、佳さんに簡単な歯磨きをされると、事務所のソファでバスタオルをお腹にかけて眠り始めていた。

 お屋敷でおやつを食べていた沈くんはお腹が空いていないのか、赤ちゃん煎餅に手を付けていなかったが、茉莉さんの膝の上で抱っこされて、こくりこくりと頭が眠そうに上下している。


「お休みなさい、沈さん、良い夢を」


 額にキスをして、茉莉さんが沈くんを和己くんの隣りに寝かせた。

 書類作りを茉莉さんに習いながら、仕上げていく。


「今日は夜の出勤はなしでいいわ」

「そうしてもらえると助かります。腕が痛くて」

「蜜月さん、津さんに鍛えてもらってはいないの?」


 問いかけられて、私は首を振った。

 狸の隔世遺伝の女性が攫われた事件で無茶をしてから、私は『千里眼』を鍛える修行はしたが、肉体的に鍛えることはしなかった。


「荒っぽいことをするよりも、危険なことをしないように気を付けてくれた方が良いって、津さんが言ってて」

「それは確かだわ。それはそうとして、体力作りは必要かもしれないわね」


 長時間飛ぶためには、やはり体力や筋力はある程度必要なものに違いなかった。毎日飛んでいるわけではないから、物凄く必要というわけではないが、最低限はあった方がいいのだろう。


「簡単なのはランニングね。一人でもできるし」

「茉莉さんもやってるんですか?」

「私もランニングはやってるわよ。沈さんを預けられるまでは休んでたけど、預けられるようになってからは再開したし」

「ご一緒しても、いいですか?」

「いいわよ」


 快く了承してもらって、茉莉さんが毎朝走っている運動公園の場所を教えてもらって、明日から待ち合わせをする。夏休みの間、沈くんが保育園の日は沈くんが保育園に行った帰り、それ以外の日は、藪坂さんか夜臼邸に沈くんを預けてから茉莉さんは走っているようだった。


「私は種族的に走るのが得意なのよ。蜜月さんは本当は上半身を鍛えた方がいいのかもしれないけれど、とりあえずは体力づくりからね」


 『ひとならざるもの』の本性になれるように修行、次は戻れるように修行、なって戻れるようになったら、大鷲の姿で蹴りが放てるように修行、その次は『千里眼』の修行、今度は体力づくりの修行。

 『ひとならざるもの』初心者、瀬尾蜜月の修行は終わらないようです。


「茉莉さん……お話してもいいですか?」

「どうぞ。今回の件は、蜜月さんにはショックだっただろうし、自分から話してくれるのは嬉しいわ」


 『ひとならざるもの』の種付けだけの愛のない『お見合い』のこと、それを商売にしているひとがいること。時間がなかったので深く考えることができなかったが、世界の違いを感じて、私は今更ながらに戸惑っていた。


「津さんや、佳さんにも、そういう『お見合い』がたくさん来たんでしょうか?」

「私が夜臼の保護者をやってた時期からだから、未成年なのにそういうことをさせようという輩がたくさんいたのは確かよ」

「やっぱり……お二人は大丈夫だったんですか?」


 茉莉さんがいて大丈夫でなかったことはないだろうが、まだ15歳やそこらの津さんや佳さんに、今日のような出来事が起きていたらと考えると、血の気が失せる。


「事前に話を私のところで止めていたし、津さんも、佳さんも、自分の身は守れるから」


 佳さんを攫おうとして、逆に敷地内から投げ出されたひとたちがいたのを、津さんから聞いたことがある。そのひとたちの手足が、あらぬ方向に曲がっていたりしたという話も、自業自得なのだが、佳さんの抵抗のすさまじさを感じさせた。


「津さんが気になるのね」


 はっきりと聞かれて、私は頬が熱くなるのを感じる。

 肌の色が濃いので赤くなっているのには気付かれないが、心臓がばくばくと鳴って、うるさいくらいだった。


「津さんは、美形だし、すごくモテそうだし、優しいし、紳士だし……いいひとがいたんじゃないかって」

「津さんはロマンチストなのよ。運命の恋を信じてる。その運命が叶わないなら、夜臼の家も、『ひとならざるもの』の世界も、どうなってもいいって思うくらい、激しくね」

「運命の、恋」


 『ひとならざるもの』の本能のように、一目で心惹かれる相手というのがいるらしい。出会えるかどうかは分からないのだが、そんな一生に一度の恋を夢見ているという津さん。

 運命の恋の相手に私などがなれるはずがないと落ち込んでしまうのも、仕方がない。

 あんなに大きなお屋敷を持つ名門の出の上品で、美形で、紳士で、優しい津さんが私を選ぶはずがない。


「私、今回のことで、考えたんです」


 性的に興奮する薬が充満した部屋の中に、津さんが下着姿の女性と閉じ込められていて、津さんが動けない状態だったら、私はどうしていたか。


「私、後先考えず津さんのところに行って、津さんの拘束を解いて、逃がしちゃうなと……それで津さんとなにかあっても、それは事故だし……」

「津さんは、幸せものね」

「幸せ者、ですか?」


 迷惑じゃないの?

 後先考えず押しかけた私と間違いがあってしまったら、津さんは悔やむだろうし、運命の恋しか受け入れないのであれば、そういう事故すらも厭うのではないだろうか。

 実際に、あのドアの前で津さんは躊躇っていた。自信家で、強い津さんが、薬に心乱されるのを恐れていた。


「それだけ蜜月さんが想ってくれるのは、幸せだと思うわ。だから、蜜月さんは、もう少し、津さんの言葉を聞いて、態度を見た方がいいんじゃないかな?」

「津さんの言葉は、聞いてるつもりですよ」


 聞いてるし、紳士的な態度に勘違いしないように一生懸命歯止めはかけているつもりなのだと主張すると、茉莉さんは困ったように笑っていた。

 家に戻ってから、明日から茉莉さんとランニングを始めると津さんに報告すると、賛成してくれた。


「ええんやないかな。茉莉さんと一緒やったら、安心やし。俺も、蜜月さんを鍛えなあかんて思うてたんやけど、方法が見つからへんで」

「考えてくれてたんですね」

「明日から、時間教えてくれたら、それに合わせて、朝ご飯にしよ」


 ランニングに行くのは、ついて行けるか心配もあるが、茉莉さんの穏やかな気持ちに触れて、話ができるかもしれないと、そのときの私は、期待もしていたのだった。


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