1.夏の事件
桜の季節に津さんと出会って、私が『ひとならざるもの』として覚醒して、季節は移り変わって夏になっていた。詫び寂びとか口を突いて出そうな日本家屋の日本庭園では、和己くんと沈くんが、ビニールプールを膨らませてもらって水遊びをするようになった。
水に濡れても大丈夫なオムツがあるそうだ。それを二人とも履いて、それ以外は裸で遊んでいる。生まれが早いので、年は沈くんの方が上で背も高いのだが、遊びは和己くん主導のようだった。
象さんの如雨露にお水を入れて、コップに注いだり、コップで乾杯をしたり、木々の作る日陰で楽しそうに遊んでいる二人を見守るのは、私の心を癒してくれた。
恋心を自覚した春の終わりの日から、私と津さんの関係は全く変わっていない。ちょっと私が挙動不審になっているだけで、一つ屋根の下に一緒に住んでいるのも、変わりない。
「じゃー」
「ちめたっ!」
コップに入れるつもりが、和己くんの如雨露の水が頭からかかってしまって、沈くんがころころと笑っている。春には泣いて茉莉さんから離れられなかった沈くんも、夏になって変わって来た。
保育園でも和己くんの後ろに隠れていることが多いが、和己くんとは遊んでいるようだった。
「お茶にしましょうか。沈さん、和己さん、麦茶よー。蜜月さんも、見ててくれてありがとう、どうぞ?」
「いただきます」
麦茶の入ったグラスを受け取って、ビニールプールから出て来た和己くんと沈くんをバスタオルで拭く。バスタオルを身体に巻き付けると、縁側に座って、茉莉さんと和己くんと沈くんと私で、麦茶を飲み始めた。ついでにおやつのカステラを食べる。
保育園も夏休みに入っていて、預かってはくれるのだが、休める日にはできるだけ休んで欲しいとは言われていた。今日は茉莉さんがお店に行くまでの間、保育園はお休みにして、庭でビニールプールで遊ぶことにしたのだ。
茉莉さんと私で交代で遊んでいる様子を見て、交代でキッチンに立って、夕ご飯の準備をする。沈さんの分は茉莉さんは別にお弁当を作っているので、作りためがあると楽だということで、夜臼邸のキッチンで料理していた。
「体が冷えちゃったわね。お洋服に着替えてしばらくお部屋で遊びましょうか」
「う!」
「あい」
麦茶を飲み終えて、カステラを口の周りに付けた和己くんと沈くんの口を吹いて、茉莉さんが着替えさせる。グラスとお皿の乗ったお盆を、私はキッチンに片付けに行って、茉莉さんと交代した。
リビングを通るときに、津さんの姿を見かける。道着姿なので、道場の生徒さんが帰ったタイミングで休憩をとりに来たのだろう。
「麦茶飲みますか?」
「あぁ、ありがたいわぁ。いただくわ」
冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを取り出してグラスに注ぐと、津さんの前に置いた。白い肌がうっすらと汗ばんで、美形が増している気がする。
誰が誰を好きになっても構わないという話を茉莉さんはしてくれたが、こんなひとを好きになるのは大それたことのような気がして、妙な居心地の悪さがずっと付き纏っていた。それは私に津さんには吊り合わないという劣等感があるからかもしれない。
肌の色が濃くて、顔立ちも彫りが深くて、津さんよりも背が高くて、津さんの隣りに立つと見劣りしてしまうとどうしても考えてしまう。それに、津さんよりも私は年上なのだ。
うじうじと考えていると、それが顔に出ていたのか、麦茶を飲み終わった津さんが、ソファに座ったままでお代わりを注ぐ私を見上げていた。
「蜜月さん、掘り返すようで悪いけど、まだ気にしてはるの?」
「何を、ですか?」
津さんのことはやたらと意識しているがそういう話ではないようだ。
「茉莉さんに間に入ってもらったけど、俺の親戚の言うたこと……蜜月さんは気にせんで、そのまんまでおって欲しい」
「気にしてないですよ」
「俺のこと、避けてるのは、俺の自意識過剰やろか?」
ずばりと核心を突かれて、私は口ごもってしまう。
気まずい空気がリビングに流れようとした瞬間、茉莉さんが和己くんと沈くんを小脇に抱えて、リビングに入って来た。
「事件みたいなのよ」
携帯電話を持っている茉莉さんは、電話で知らせを受けたようだった。話を聞けば、依頼人は『ひとならざるもの』で、恋人がいなくなったということだった。
「依頼人が事務所に来るわ。時間がないかもしれない」
拐われてしまったのだったら、それからの時間経過が本人を無事取り返せるかにかかってくると、海外ドラマでも言っていた気がする。午後の仕事を休む連絡をして慌ただしく着替えにいく津さんに、和己くんと沈くんにお出かけの準備をさせる茉莉さん。俄かに家は慌ただしくなった。
避けてるわけじゃない。
35年も生きてきて初めての感情をどうしていいか分からなくて、私も戸惑っているのだ。
口に出せなかった言葉を飲み込んで、私も出かけられる格好に着替えた。
事務所で依頼人の対応をしてくれていたのは藪坂さんだった。ねっとりとした視線を感じて、そっと目を反らす。藪坂さんも『ひとならざるもの』のようだが、本性はなんなのだろう。気になるが、真正面から聞くわけにはいかない。
日本舞踊の教室の途中で出られなかった佳さんを覗いて、津さん、茉莉さん、私が事務所に揃うと、ソファに女性が座っていた。目を凝らしてみると、猫の耳と尻尾が見える。
「初めまして……恋人がいなくなってしまったんです」
警察に相談しても埒が明かないと、この探偵事務所に来たという彼女。
茉莉さんが穏やかに話を聞いていく。
「どういう状況だったの? 『ひとならざるもの』が関係していると思ったのはなぜ?」
『ひとならざるもの』の関係しない、普通の失踪ならば、警察に届けるのが一番だ。女性は緩々と首を振って、警察では無理だと告げる。
「彼はジャーマンシェパードの家系で、彼自身も強いから、大抵のひとには負けないと思うんです」
「ジャーマンシェパードなのね」
「血統書付きのジャーマンシェパードの家系で、親からジャーマンシェパードの嫁を貰えと言われてて、私はラグドールで、猫の中では大型だけど、ジャーマンシェパードでないから反対されてて」
いなくなる前に、その女性の恋人は言っていたという。
「両親が見合いをしろってうるさいんだ。ダメなら種付けだけでもとか言い出して、時代錯誤も甚だしい」
一緒に住んでいる部屋に帰って来なかったのは昨夜のこと。今朝になっても携帯は繋がらず、いなくなってしまってから、ジャーマンシェパードの本性を持つ男性の両親に連絡を取ると、冷たく「知らない」と切られてしまったのだという。
「いなくなったと聞けば、心配するだろうに……あのひとたちは、何か知ってるんです。種付けの件で、嫌な予感しかしなくて」
「分かったわ、探してみるわね。そのひとの匂いのついたものと写真を貸してくれる?」
写真は携帯からデータを送ってもらって、男性の服を借りて、依頼者には見つかったらすぐに知らせるからと帰ってもらった。
話の内容がいまいち飲み込めていない私のために、津さんが説明してくれる。
「お見合いと称して、排卵を促進する薬と、興奮剤を使って、決めた相手に種付けをして、子どもを産んでもらうビジネスがあるんや」
「種付けのために、組織が男性の『ひとならざるもの』を飼っているという話は聞きました」
「それを、両親が頼んで、拘りのある相手……例えば、同種とか、珍しい種類の獣とかを選んで、無理やりに閉じ込めて……その、既成事実をやな……」
最後の方を濁してくれたのは、あまりに生々しいからだろう。閉じ込めて、子どもを作るためだけの行為をさせる。あわよくば、そのことが原因で恋人と別れたら良いとか思っているのかもしれない。
「それは、合法なんですか?」
「あくまでも、『見合い』で、合意の上でされることやから、警察は手を出せんことが多い」
男性は薬で操られて襲ってしまったとなれば、男性の方が罪に問われるかもしれない。それを利用して、結婚まで持ち込もうとしているのだったら、その両親の良識を疑う。
「津さんの親戚でも思いましたけど……『ひとならざるもの』ってそういうひとたちが多いんですか?」
「蜜月さんには嫌なところを見せてしもたし、この仕事を続ける限り見せ続けるやろけど、そういう感覚の奴がおって、それをビジネスにしてる奴がおるのは確かや」
「ビジネスにって……」
「種付けるのがビジネスになるみたいに、子どもを産むのをビジネスにしてる女性もおるってことや」
自分のお腹を痛めて産んだ子どもを、売り渡す。私は無意識のうちにお腹に手を当てていた。
好きでもない相手の子どもを、10か月以上お腹で育てて、産んで、産んだ後は相手か、相手の両親に売り渡してしまう。子どもを妊娠している期間の生活が保障されていて、産んだ後には大金がもらえるとしても、そんなことをビジネスにできるのだろうか。
「無理やり、ってことはないんですか?」
女性が脅されてそれをさせられている。その可能性がないか、私は津さんに問いかけていた。
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