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大鷲の翼は漆黒の獅子を抱く  作者: 秋月真鳥
一章 私の知らない私

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3.ひとならざるもの

 混乱している私の前で、夜臼さんは再び人間の姿に戻って、カウンターの席に座った。席から立ち上がって、鞄も持って、携帯電話を構えている私が、数歩歩いて、木のドアを押せば、逃げ出すことができる。


「人間の中で生きてるお仲間は、何も知らへんまま、人間と同じ時の長さで死んでいくんや。日常に帰りたいんやったら、俺はあんさんの選択を尊重するで」

「急すぎるものね。しばらく考えてもいいと思う……のだけれど、実際問題として、私たちは、今、非常に困っていてね」


 逃がしてあげるという優しい夜臼さんの声に、志築さんの難しい声が重なる。自分のことばかり考えていたが、私はようやく夜臼さんの遠い親戚が攫われたという、夜臼さんと出会ったきっかけを思い出した。


「お仲間がおるから、何か見てへんか聞いたんやけど、まさか、無自覚の覚醒遺伝とは思わへんかったし」

「津さんは観察が足りないのよ。彼女が擬態も上手にできていないことに疑問も抱かなかったの?」

「綺麗やから、見せてくれたんかと思うたんや」


 綺麗な何を夜臼さんは見たのだろう。

 羽根に翼、夜臼さんと志築さんの証言を合わせていくと、どうやら私は羽の生えている生き物のようだ。


「夜臼の家は、代々獣の本性を持つ『ひとならざるもの』の家系なんや。その遠縁で、両親は人間、子どもが『ひとならざるもの』として生まれて来た子がおった」


 『ひとならざるもの』と呼ばれる獣の本性を持つひとが多く生まれる家系なので、両親は人間でも、子どもが『ひとならざるもの』である可能性もある。知識があれば人間でも『ひとならざるもの』を育てることは不可能ではないし、子どもは両親の元で育てられる方が幸せだろうと、夜臼さんは判断したのだという。


「『ひとならざるもの』は非常に希少で、血統でしか生まれないから、その血を尊ぶ因習があるの」

「両親は、息子を売りよったんや!」


 『ひとならざるもの』の血を引く子どもを作るために、人身売買組織が高値で『ひとならざるもの』の子どもを買い上げて、血統を求めるものに売りさばいている。そのブローカーと繋ぎをとって、夜臼さんの遠縁の子は売られてしまった。


「まだ、国内にいるとは思うのだけれど、どこに運ばれたか、探し出せないでいるの」

「あんさんは、『千里眼』を持ってはる。あんさんの一族には遠くまで見通す目を持つものが多いんや。頼む、あの子を探してくれへんか?」


 スモークガラスを通しても車の中が見えたのは、私の本性に由来する『千里眼』という世界の遠くまで見通す力のせいだと夜臼さんに説明されるが、あれが本当に見えていたのか、私にはもう確証が持てない。


「私が見た鳥籠と、夜臼さんの遠縁の子に、何の関係が?」

「鳥籠に入るサイズなんや」


 鳥籠で飼うような本性を持つ遠縁の息子さん。

 それが奪われて、助けようと追いかけて前のランプを夜臼さんの妹さんが蹴り割って、それと同じ場所が破損したワゴン車の中に、私が鳥籠を見た。


「あんさんの言葉で、全てが繋がったんや」


 売られて行った子どもはまだ三歳にならないという。助けたい気持ちはやまやまなのだが、私には何をすればいいのか、何ができるのかが全く分からない。


「突然のことだし、受け入れられないのは分かるわ。でも、ごめんなさいね、私たちにも時間がないの」

「私に、何ができるんですか?」


 自分が何かを知りもしない私に何ができるのか。

 問いかけの答えは、非常に冷静なものだった。


「まず、自己紹介をしましょう? 私、まだあなたのお名前も知らないわ」


 初対面から夜臼さんは名乗っていたし、志筑さんも『ひとならざるもの』の説明を始める前に名乗ってくれた。偽名かもしれない、詐欺で私を信用させるためかもしれないと疑いはまだ完全に晴れたわけではないが、夜臼さんが漆黒の獅子になった事実は変わらない。

 手の平にはまだ、鬣の柔らかな感触が残っていた。

 カウンターのスツールに腰掛けて、鞄を膝の上に乗せて、私は名刺を取り出した。


「瀬尾蜜月……この漢字で、『みつき』って読みます」

「ハネムーンやな。ロマンチックなお名前や」

「そういうのに縁がないから、名前負けしてるんですけどね」


 高すぎる背も、濃い色の肌も、彫りの深い顔立ちも、この国ではあまり好かれなかった。誰かを好きになったことはあるけれど、それが実ったことはない。

 そんなことを笑い話に口にすると、志筑さんが「違うわよ」と穏やかに言った。


「あなたが、『違う』ことに周囲は無意識に気付いて、見ないようにあなたを埋没させていただけ。あなたは、とても魅力的な女性よ」

「もう35ですよ、将来はどこの老人ホームに入ろうかと悩んでるくらいなのに」

「蜜月さんて呼ばせてもらうな。蜜月さんは、気付いてへんかもしれへんけど、あんさん、35歳には到底見えへんで」


 『ひとならざるもの』は数が少なく、出生率が低い代わりに、個々が非常に長く生きる。人間の中で育って、自分を人間と思ったままだと、人間と同じだけの時間しか生きないが、『ひとならざるもの』として覚醒すれば、人間を遥かに超える年月を生きる。

 その片鱗が私に現れていて、35歳に見えないと言われても、お世辞かな、としか思わない。人種の違いがあるのか、肌の色の濃さと顔の彫りの深さで、年齢が分かりづらいとはよく言われていた気がするが、あまり本気にしていなかった。


「夜臼さんはお世辞が上手ですね」


 そういえば、夜臼さんのような喋り方をするひとは、実は皮肉が多くて、褒められているような風に貶すことがあるとか、ネットで得た知識に思い至る。やっぱり、お世辞は本気にとってはいけない。


「お世辞やないんやけどなぁ……蜜月さん、神秘的で美しいし」


 お世辞お世辞。

 私を親戚を助けるために利用したいだけのお世辞だとしても、ちょっと嬉しいのは隠せない。


「国外に出る前に、売り手を探すかもしれない。その間、潜伏している場所が分かれば取り返すのは簡単なのだけれど」


 話を元に戻す志筑さん。どうやって探せば良いのか。具体的な方法が浮かばないでいる私の背中に、なんだか視線を感じる。

 ゴミでもついていただろうか。

 背中に手をやっても、スーツの生地の感触しかしないのだが、志筑さんと夜臼さんの目には、何かが見えているらしい。


「まだるっこしいのは苦手なんです。空気読めとか言われても、分かんないし。言ってください、私は、なんなんですか?」


 ついにはっきりと聞いてしまった。

 答えにしばらく迷ってから、夜臼さんが口を開いた。


「多分、猛禽類や。目が良いのも、そのせいで、詳しい種類は本性を見てみらな分からへん」


 猛禽類。

 彫りが深いと思っていたけれど、これは、つまり、嘴なわけですか?

 もうちょっと可愛い小鳥とかそういう想像を打ち破る、空のハンターの名前を出されて、さすがの私も顔が引きつる。

 美しいとか、素敵とか言われたけど、猛禽類って、全然可愛くなくないですか?

 可愛げのある性格でも体格でも顔でもないという自覚があったけれど、ショックは隠しきれない。


「あ、でも、飛べば上空から場所が探れるかも」


 ショックを受けながらも、不意に思い付けるあたり、私は逞しいのかもしれない。


「飛べばって、あなた、飛べるの?」

「飛んだことないです」


 それ以前に、詳細のよく分からない猛禽類の姿にもなったことはない。夜臼さんは漆黒の獅子になれるというのは受け入れられてきたが、自分が猛禽類になれる気がしないのは、人間として35年生きてきたのだから仕方がないと思いません?

 ただ、そんな甘えたことを言っている間に、3歳にならない幼い子どもが、海外に売り払われるかもしれないという現実に変わりはないわけで。


「夜臼さん、どうすれば、本性になれるんですか?」

「協力してくれはるのは嬉しいけど……本当にええの?」


 躊躇っている夜臼さんに、そんな事態ではないと言おうとしたら、それより先に志筑さんが口を開いた。


「一度、なってしまったら、あなた、戻れないかもしれないのよ?」


 人間としての生活を捨てる。

 『ひとならざるもの』として一度覚醒してしまったら、元には戻れない。

 人間よりもずっと長い時間を生きなければいけない。

 それがどういうことなのか、そのときの私にはまだ分かっていなかった。自分が人間ではないと知ったのがその日で、『ひとならざるもの』の世界も、生態も、全く理解していない。

 踏み出せば戻れない常識の枠外に、足を踏み入れる。

 それは平々凡々と暮らしてきた私にとっては、物凄い恐怖ではあった。


「でも、夜臼さんの親戚の子が」


 時間はない。人手もない。


「警察組織の中にも『ひとならざるもの』が混じっていて、協力はしてくれるのだけれど、どうしても、私たちを完全に理解はできないから、最終的に頼りになるのは同族だけなのよね」


 正直なところ、と志筑が話し出す。


「あなたが仲間になってくれるのならば、それ以上に心強いことはないし、私たちは生涯を通じての友になれるわ。でも、あなたは今まで生きてきた『人間』としての自分を捨てなくてはいけない」


 今までお世話になっていた法律事務所も、そのうちに私が老いないことに気付いて辞めなければいけなくなるだろうし、家族や友人とも違う、長い時間を生きていかなければいけない。


「その覚悟があるの?」


 冷静な志筑さんの問いかけに、私は「分からない」としか答えられなかった。


「分からないけど、目の前に困ってるひとがいて、どこかに売られようとしている子どもがいると聞いて、それを助けられたかもしれないのに、放って元の生活に、戻れますか?」


 そっちの方が私には苦しい。

 何も聞かなかったことにして、このバーを出ていけば、それで終わりというわけではない。私は私の知らない自分を垣間見てしまったし、何より、目の前で困っている夜臼さんと、売られていく子どもの話を聞いてしまった。

 これで、日常に戻れという方が酷だ。


「蜜月さんは、ほんまに、勇気があって、心の美しいひとや」


 ありがとうと手を取る夜臼さんに頭を下げられて、私はこれから起きることに身構えつつも、その手の冷たさに、どれだけ夜臼さんが追い詰められていたかを知った。


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