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大鷲の翼は漆黒の獅子を抱く  作者: 秋月真鳥
一章 私の知らない私

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2.崩れる常識

 一体何を見せられるのか。

 警戒しながらも、名刺の裏に書いてあったバーに行ってしまったのは、好奇心が勝ったからだった。守秘義務があるとかで、私はどんな事件が起きたのかを知らされていない。

 ワゴン車の中の鳥籠と、夜臼さんの攫われた遠い親戚。それがどう繋がるのか分からないが、聞き違いでなければ、夜臼さんは妹が車の前のランプを蹴って壊したと言っていた。

 車の前のランプが壊れていたのは私もはっきりと覚えているので、同じ車であることは間違いないのだろう。

 車って人が蹴ったくらいで壊れるものだったっけ?

 自分の中の常識がおかしくなりそうで、それでも一歩を踏み出したのは、自分がずっと違和感を覚えていたことを夜臼さんの言葉で思い出させられたからだ。

 肌の色は濃いし、背は高すぎるが、ごくごく平凡な自分が、肌の外は人間なのに、ふとした瞬間、何か違うものに思えるときがある。道の角を曲がってショーウィンドウのガラスに映った自分の姿に、違和感を覚える。そんな出来事が、過去に何度もあった。

 私が私でなくなるような、恐ろしさもあったが、真実を知りたいという気持ちが脚を動かした。

 裏通りの人気のないひっそりとした通りに、そのバーはあった。

 『茉莉花』と店の名前が控えめに重厚な木のドアにかけてあるだけで、それがなければ見落としてしまいそうな密やかなお店。重いドアを押し開けると、からんからんと木のドアベルが鳴った。


「いらっしゃい、初めてのお客様ね」


 中に客はおらず、カウンターの中で青白い髪を長く伸ばした長身の豊満な女性が、振り向く。染めているにしては自然な色合いの髪に、輝くような薄水色の目が、よく似合っている。身長は私と変わらないくらいだが、女性らしさとでもいうのだろうか、色気のあるドレス姿の彼女と、パンツスーツに髪もひっ詰めた私とは、全く種類が違う生き物のような気がした。

 青っぽい照明に照らされる店内は、深海に潜っていくような気分になる。

 カウンター席を勧められて、おっかなびっくり座る。この高い椅子はスツールというものではないだろうか。


「あの……これ」


 注文するお洒落なカクテルの一つも知らない私は、無駄に広い肩幅を小さくしながら、良く磨かれたカウンターの上に名刺を置いた。

 夜臼津。

 今日一日見つめすぎて、完全に覚えてしまった名前。


「津さんのご紹介なのね。通りで、素敵な翼だと思ったわ」

「翼……?」

「あら、ごめんなさい。本性は隠して人間社会に溶け込んでる派なの?」


 翼だの、本性だの、意味が分からない。

 私は翼は背負っていないし、ショーに出られるスターでもない。


「夜臼さん……この方も同じようなことを言ってましたけど、私、何かあるんですか?」

「あらぁ……嘘。自覚がない?」


 自覚と言われても、35年生きてきて、社会人としても13年以上やってきて、税金も納めているし、立派な日本国民という自覚程度しか、私にはない。ひとり暮らしも大学に入ってからずっとしているので、大人としての自覚もあるかもしれない。

 しかし、彼女が言っているのはそういうことではなさそうだ。


「人間に二種類あるのを、ご存じ?」


 あ、なんだか雲行きが怪しいぞ。

 啓発セミナーや、宗教、そういう香りを感じ取って、私は身構える。お金を搾り取ろうとしても私はそんなに持っていないし、結婚もしないで一人で老後を過ごさなければいけないのだから、財布の紐は緩めない。


「そういうの、ちょっと……」


 なんとか逃げ出そうとしたところで、ドアベルが鳴って夜臼さんが店に入って来た。前にはバーのママの美しい彼女、後ろは夜臼さんに塞がれて、逃げ場がない。

 携帯電話を取り出して、いつでも通報できるように構えた私に、夜臼さんがバーのママに視線を向ける。


「こないに怯えさせて、なにを話してはったんです?」

「彼女、自覚がないみたいだから、説明しようと思ったのだけれど……」

「人間として生きて来たんやったら、急に話されても、理解できひんでしょう」


 二人が何を話しているのか分からない。

 まるで、夜臼さんとバーのママが人間ではないようなことを言っている。守護霊がなんとかとか、オーラがなんとかとか、スピリチュアルな話でお金をだまし取られたという相談が、法律事務所には少なくない数来ている。

 自分が騙されるはずはないという者ほど騙されるのだと、弁護士の先生が言っていたのも聞いたことがある。

 絶対に騙されない。

 気合を入れて、携帯電話を構える。


「帰ります、通してください」

「ちょっと待って。落ち着いて。絶対にあんさんのためにならんことはせぇへんから」


 出た!

 詐欺の常套句!


「警察に連絡しますよ?」

「ほなら、その前に、俺を見てて?」


 催眠術でもかけるつもりなのか。

 警戒して夜臼さんを見つめていると、その姿が陽炎のように揺らいだ。瞬きをする間に、夜臼さんの姿は漆黒の(たてがみ)に漆黒の毛皮の獅子(ライオン)になっていた。


「え? 黒い、猫? 大きい?」

「獅子や。ライオン。撫でてもええで?」

「喋った!?」


 普通の獅子はこんな色をしていないし、喋れない。その獅子の声帯からは、夜臼さんの声が出て来る。薬でもキメられて、幻覚を見ているのだろうか。

 店に入ってから、何も口にしていないが、幻覚剤の入ったお香でも炊かれていたのかもしれない。


「俺が、獅子に見えるんやったら、あんさんもお仲間や」

「どういう……」

「お仲間やなかったら、俺の本性は見られへんのや」


 誰かこの状況を説明して。

 情報量が多すぎて纏めきれずに頭がパンクしそうになっている私をもう一度座らせて、バーのママが初めからやり直しをしてくれた。


「私は志築(しづき)茉莉(まつり)。お店の名前の茉莉花は、私の名前からとったの。ここは津さんみたいな、獣の本性を持つひと限定のバーで、獣の本性を持たなければ、ここの存在に気付くこともなく、入ることもできないのよ」


 獣の本性。

 夜臼さんが漆黒の獅子であるように、バーのママ、志築さんも何かの獣であるということで。


「私、も?」


 いやいやいや、ないないない。

 獣の本性なんて持ってないし、生まれてからずっと人間女性で生きて来たし、一度も姿が変わったことなんてない。何かの間違いだと言いたいが、夜臼さんが目の前で姿が変わったのは、覆すことができない。

 恐る恐る手を伸ばすと、夜臼さんはふさふさの鬣を手に擦り付けて来る。

 もふもふ、気持ちいい。

 現実逃避している場合ではないが、どうしても自分が人間でないなんて受け入れられない。


「私は普通の人間ですよ。両親だってそうだったし、身内にそんな、獣になるひとなんていなかったし……志築さんも、本性があるんですか?」

「あるわよぉ? あなた、私の髪と目が何色に見えてる?」

「髪は青白くて、目は薄い青……」

「普通の人間には、黒髪に黒い目に見えてるはずなのよ。そういう風に、擬態して、私たちは生きているの」


 黒髪に黒い目。

 そういう志築さんの緩やかに波打つ髪は青白くライトの光を浴びて輝いているし、目は薄い青にしか見えない。


「それじゃあ、私も、お二人には違うように見えてるってことですか?」


 常識が足元からガラガラと崩れていく音がする。

 目の前で美形男性が獅子の姿になった。それだけでも手品かと思うのに、自分までその仲間だと言われている。


「隔世遺伝なんやないかなぁ」

「そうねぇ。擬態があまり上手じゃなくて、翼が見え隠れしているものね」

「俺は、あんさんを信用させるために本性を見せたけど、本来は、俺たちは本性を気軽に見せたりせぇへんのや。自分の手の内を知られるやなんて、冗談やないからな」


 隠している本性を見せてまで、私に真実を伝えようとしている夜臼さんの姿は、確かにかっこいいのだが、どうしても理解が付いて行かない。


「混乱しているのも分かるわ。人間には、理解できない、見えないようになっているものだから、あなたはまだ人間の殻を破れていないから、理解ができないのよ」


 通常の人間には、見えない、理解ができない領域として処理される事象なのだと説明されて、それならばなぜ私に見えているのかという疑問がわく。

 その答えはもう出ていた。

 私は、彼らの仲間なのだ。

 理屈としては理解できなくもないが、実際に獣の本性とやらになったことがないので、実感がわかない。

 私は何の獣なのだろう。

 私はまだ、私が何かを知らない。

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