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大鷲の翼は漆黒の獅子を抱く  作者: 秋月真鳥
一章 私の知らない私
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18.ツーリングはピクニックに

 ツーリングの約束をして、楽しみにしていたのだが、茉莉さんが私がお世話になっている津さんの家に訪ねて来て、話が大きく変わりつつあった。


「沈さんなんだけどね、抱っこが大好きなのよ」

「甘えたやなぁ」

「甘えて安心して、もう一度胎児からやり直してるのかなぁと思っているから、抱っこすることは構わないのだけれどね、問題は食事なの」


 スリングの中にいるのが安心で、その中でほとんど一日中じっとしている沈くん。実の両親に売られるという恐ろしい体験をしたのだから、周囲が信じられなくなって、信じられるのは茉莉さんだけで、少しでも離れるのが不安というのは仕方がないのかもしれない。

 まだ生まれてから二年しか経っていないのに、それまでの生活でも、恐らくは沈くんは大切にされていた様子もない。そんな沈くんが、初めて自分を受け止めて、大事にしてくれる相手と出会ったのだ、離れたくもないだろう。


「食べることは一生続く、生きるために必要なことでしょう? それが抱っこされたいから必死に口に詰め込んで頑張るなんて、悲しすぎると思うの。もっと食べることが楽しいと思って欲しい」


 毎日佳さんの作ったご飯をモリモリ食べて、ほっぺたを叩いて「ちっ!」と美味しいサインを出す和己くん。そんな風に沈くんも健康的に楽しんで食事をして欲しいと、茉莉さんは相談に来たのだった。


「環境を変えてみるのもいいかもしれないね」

「それで……せっかくのデートに申し訳ないのだけれど、ご一緒できないかと」


 デート?

 ツーリングは私が大鷲になって飛ぶ練習をするために、広い場所に行くつもりだったので、ピクニックには春でちょうどいい。


「デートなんて、そんなんじゃないから、みんな一緒の方が楽しいですよ。津さんもそうですよね?」

「ま、まぁ、そうやな!」


 美しい津さんのお顔が微妙に歪んでいる気がするのだけれど、その理由が分からない。

 佳さんとも話し合った結果、ツーリングはみんなでのピクニックに変わったのだった。

 これから同じ職場で働く仲間なのだから、懇親会にもなる。


「せやったら、蜜月さんの歓迎会も兼ねて、腕を振るわせてもらいますわ」

「私もお手伝いします」

「蜜月さんは歓迎される方だから、沈さんと和己さんを見てて。どうせ、佳さんは和己さんの分を別に作らなければいけないし、私も沈さんの分は別に作らないといけないし」


 まだ離乳食の和己くんは、奥歯も生えていないので、メニューが大人とは別になる。離乳自体が遅れていた様子の沈くんは、なんでも噛まずに丸のみしてしまうので、食事に配慮が必要だった。

 ピクニックのお弁当の準備のために、津さんと佳さんと茉莉さんがキッチンで作業をしているのを見ると、広いお屋敷のキッチンだが、大人三人が入るとさすがに狭く見える。そこに私まで入ったら、狭くて作業どころではなかったから、子守を頼まれたのは良かったかもしれない。


「うお? あ?」

「沈くんだよ、和己くん」

「じぃ?」

「そう」


 興味津々の和己くんが近付いても、沈くんは涙目で固まったまま、動くことができない様子だった。茉莉さんの胸から引き離されて、必死に涙を堪えているが、すぐに泣き出しそうになってしまう。


「ふぇ……まー……まー」

「いこ、いこ」


 弱弱しく茉莉さんを呼ぶ沈くんの頭を、手を伸ばして和己くんが一生懸命に撫でている。沈くんは背は一歳児の和己くんよりも、二歳児らしく高さはあるが、身体は細くて、一杯食べて丸くむちっとした和己くんよりも細かった。

 ひょろひょろの手足で、身体も細くて、食べるのは丸のみならば茉莉さんも心配するというものだ。脇の下に手を入れて引き寄せて抱っこすると、胸に顔を埋めて来る。じんわりと胸が濡れる感触がして、沈くんが声を殺して泣いているのが分かった。

 まだこんなに小さいのに、泣くのを堪えて、声を殺さなければいけない。それが沈くんのこれまでの育成環境を物語っている気がした。

 お弁当の準備が終わると、明日、津さんと佳さんがそれを仕上げて、集合場所に持っていく約束をして、ようやく沈くんは茉莉さんの胸のスリングの中に納まった。


「長い時間よく我慢したわね。とても偉いわよ。本当に沈さんは頑張り屋さんだわ」


 スリングの中からはみ出る小さな茶色い頭にキスを降らせる茉莉さんは、お母さんのようだった。


「茉莉さんって聖母みたいですね」

「あらぁ、知らなかったの? 私はみんなの『ママ』なのよ」


 バーのママで、沈さんのママで、一時期は津さんと佳さんの保護者でもあった茉莉さん。


――茉莉さんは、自分に興味がないんやないかと思うんや。他人のために生きられたらいい、自分のことは棚上げで構わへん


 津さんの言葉がふと頭を過った。


「誰か、一人のものにならないんですか?」


 口を突いて出てしまった疑問に、茉莉さんが困ったように笑うのに、私はいけないことを聞いてしまったのだと気付いた。『ひとならざるもの』として、多分私よりも長く生きている茉莉さんには、色々な事情があるのだろう。


「うちは代々続く家系だから、面倒くさいの。そういう面倒くささから、自由になりたくて、家を出て店を持ったんだけど、難しいわね」


 嫌なことを聞かれたかもしれないのに、茉莉さんは少しも怒ったりせずに、穏やかにそう言って沈くんを抱っこして帰って行った。

 残された私が立ち尽くしていると、和己くんがてちてちと脚を叩く。


「みぃ?」

「私、無神経だったみたい」

「いこ、いこよ?」


 反省する私に、「良い子」だと言ってくれる和己くん。届かないので脛の辺りを撫でられたが、それでも嬉しくて、しゃがみ込んでぎゅーっと抱き締めると、甘くていい匂いがした。


「和己はお昼寝をしようか」

「あい!」


 お手手を上げて返事をして、和己くんが佳さんのところにてちてちと歩いていく。抱っこされて私に手を振ってから、お部屋に入って行くのも可愛い。

 和己くんの存在が佳さんの大事なものになったように、沈くんの存在が茉莉さんに変化をもたらすと良いのだがと考えずにいられない。

 手を振って和己くんを見送ったら、津さんが隣りに来た。


「蜜月さんは、マイク付きのイヤホンとか持ってはる?」

「携帯を買ったときについてきたやつがあったような気はするんですけど……どこにやったかな」

「ワイヤレスの方が使いやすいし、仕事にも必要になるから、買いに行かへん?」


 そうだった、私は探偵事務所に就職するのだ。

 具体的に何をするのか全然分かっていないけれど、通信機器が必要なのは間違いないだろう。前回は津さんが匂いで追いかけて来てくれたが、携帯の位置情報や、通話で場所を伝えられたら、もっと遠い場所でも分かりやすく案内できる。

 初めてだったので前回は勝手が分からず、突っ込んでしまったが、本来ならば、場所を伝えた後は私は隠れていなければいけなかったかもしれないのだ。そのあたりの指示も、通信機器があれば正確に受けられる。

 津さんが車を出してくれて、電気屋さんに行って、ワイヤレスイヤホンを探す。耳から外れにくくて、充電の長持ちするものとなると、かなり値段が高かった。


「周囲の音も聞こえた方がええやろ」

「音漏れしませんかね?」

「どうやろ?」


 試しに付けさせてもらって、長時間つけても耳が痛くならなくて、外れにくいものを探す。支払いは津さんがカードでしてくれた。


「いいんですか、かなり高かったですよ?」

「事務所の経費や。カード使うとポイント溜まるし」


 あれだけ大きなお屋敷に住んでいて、お金にも困っていなさそうなのに、津さんは食事といい、経済感覚といい、庶民的である。だからこそ、私もあの家で居心地よくすごせているのかもしれないが。

 買ったイヤホンを耳につけて、携帯と接続して、津さんの携帯と話をする。津さんも自分に合うワイヤレス式のイヤホンを持っていた。


「周囲の音も聞こえるし、津さんの声も聞こえます」

「それなら良かったわ。こまめに充電してな」

「はい、ありがとうございます」

「充電池がダメになったら、買い替えるから遠慮なく言うてな」


 事務所の経費だから遠慮はいらないと言われても、値段を考えると、軽くは買い替えられない気がする。できるだけ壊さないように、大事に使おうと誓った。


「明日のピクニックで、使ってみような」

「明日のピクニックで?」

「行ってからのお楽しみや」


 このワイヤレス式イヤホンに、明日のピクニックで活躍する場面があるらしい。バイクを運転しているときだろうか。バイクを運転しているときや、車を運転しているときに通話をするのは法律で禁止されていたような気がするのだが。

 疑問を抱いたままで、私は翌日のピクニックに臨んだ。 



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