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大鷲の翼は漆黒の獅子を抱く  作者: 秋月真鳥
一章 私の知らない私
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17.志築茉莉というひと

藪坂(やぶさか)と申します。どうぞ、サンドバッグにしてくださいませ」


 はい、意味が分かりません!

 空き巣事件や盗撮事件を受けて、私が狙われていることは分かっていたので、身を守るための方法を津さんに習うことにした。居合道場の師範代なので武術を教えてくれるかと思いきや、津さんは全然別のことを考えていたようだった。

 茉莉さんに連絡を取って、呼ばれたのが、この藪坂さん。『ひとならざるもの』である感じはしているのだが、種類が何かはよく分からない。ねっとりと絡み付くような視線で、長い黒い前髪の後ろから私を見つめている青白い顔の男性。


「茉莉さんだけやと店が回せへんときに、マスターやっとるひとや。茉莉さんにお願いして、借りて来た」

「津様に借りていただけるとは、幸せに御座います。どうぞ、この藪坂めを、踏みつけてくださいませ」

「ちょっと、変態やけど、無害やから心配せんで、ええ、かな?」


 若干疑問形の津さん。

 なんというか、藪坂さんは言動が怪しい。

 それもそのはず、藪坂さんは、元々、茉莉さんと敵対するブローカー側の『ひとならざるもの』だったのだ。それが、茉莉さんに掴まって、蹴りを入れられて以来、茉莉さんに絶対服従を誓って、完全に悪事から脚を洗い、組織のことを全て話して、そのおかげで執行猶予がついて、茉莉さんのところで働いている。

 私が茉莉さんのお店に通っていた間いなかったのは、こういう『ひとならざるもの』を先に見てしまうと、私が誤解してしまうかもしれないという茉莉さんの配慮からだった。


「蹴られてわたくしは天啓を受けたのです。本能がわたくしに語り掛けてきました。『ひとならざるもの』として、自分より強い茉莉様に服従せよと。それこそがわたくしの幸せなのだと」


 熱く語られても、気持ち悪いだけだ。


「変態、なんですね」

「一応、無害な変態や」


 津さんのお墨付きはあっても、近寄りたくないタイプではある。しかし、そんなことを言ってはいられない。剣道の胴や小手や面を付けた藪坂さんは、戦うように構えていた。


「正攻法では蜜月さんは女性やし、敵わへんこともあると思う。一番、簡単で分かりやすいのが、獣の姿になってしまうことや」

「失礼いたします」


 小手を付けた手で藪坂さんが私の手首を握る。


「ぎゃ!?」


 何このひと、手がやたらと冷たいんですけど。

 思わず悲鳴を上げてしまったけれど、それが藪坂さんは嬉しいようにはぁはぁと面の中で息をしている。


「獣の姿になって、顔面を蹴飛ばして」

「遠慮なさらなくて良いのです。さぁ、来てくださいませ!」


 蹴られるのが嬉しいタイプなんでしょうか。

 ちょっと蹴りたくないけれど、津さんも津さんなりに考えてこの特訓をしてくれているのだからと、私は大鷲の姿になった。体長が1メートルを超すので、その脚も太く、蹴りはかなりの威力がある。

 大鷲になった時点で手は外れていたので、軽く羽ばたいて顔面に蹴りを入れると、藪坂さんが仰け反って、後ろに倒れて行った。その間に、人間の姿に戻って、津さんの後ろに逃げた。隠れてしまったのは、反射的だったが、はみ出ていることに気付いて、ちょっと落ち込む。

 津さんより背が高くて、体格も良い女を、どうして津さんが美しいとか、それ以外にも口説かれていると勘違いしそうなことを言うのか分からない。

 立ち上がった藪坂さんは、恍惚と微笑んでいた。


「素晴らしい蹴りでしたが、躊躇いがありましたね。もう一度」

「もう一度させようとすな。相手も本性を見せて追いかけて来るかもしれへんから、今みたいに人間に戻らずに、大鷲のまま飛び去った方がええかもしれへん」

「はい、その辺は臨機応変に……できるかなぁ」


 急に腕を掴まれたりしたら、パニックで叫んでしまうかもしれないし、大鷲の姿になれないかもしれない。


「叫ぶんやったら、それでも構わへんけど、相手が『ひとならざるもの』の擬態を解いてたら、一般人には見えへんから、助けてもらえんかもしれんのや」


 大鷲の姿の私が普通の人間には見えないように、擬態を解いた敵の姿は、普通の人間には見えない。


「そのためにも、もう一度練習を」

「わざと蹴られようとせんでええ。危険のないように、できるだけ俺が送り迎えするけど……」

「津さん?」

「俺のこと、ストーカーみたいに思うてる?」


 急に自信のない声が津さんから出て、私は驚いてしまった。綺麗で優しくて、津さんは堂々としていて、自信を失うことなどなにもないと思っていた。


「佳さんの言葉、気にしてたんですね。ストーカーなんて思ってないです」

「そうか、俺のこと……」

「立派な上司で、ホワイトな職場だと思ってます」

「えぇ……」


 最上級の誉め言葉を口にしたはずなのに、津さんは肩を落とす。


「新手のご褒美ですね」

「あんさんと一緒にすな」


 頷いてしみじみとしている藪坂さんに肩を叩かれて、津さんは不本意な様子だった。

 その後も、藪坂さんに強請られたからではないが、訓練のために後ろから肩を掴まれたとき、鞄を引っ張られたときなど、色んなヴァリエーションで、藪坂さんを蹴る。面を付けているので、遠慮なく蹴っているが、そのたびに後ろに倒れる藪坂さんが嬉しそうなのが、とても気持ち悪い。


「茉莉さん、なんでこんなひと……」

「これで、めちゃくちゃ優秀なんや。バーでは品行方正にしてて、かっこいいてモテてるんやで?」

「うわぁ……」


 見ちゃいけない世界を見てしまった気分だった。

 私が津さんを蹴るのは抵抗があるだろうと藪坂さんを呼んでくれたのだが、ある意味それでよかったと思う。津さんの綺麗な顔を蹴るなんて、私にはとてもできなかったから。


「ツーリングの件ですけど……」

「今度の休みに行こか?」

「私が飛べる場所に連れて行ってくれようと考えてくれたんですよね。ありがとうございます。まだ一回しか飛んだことがなかったから、不安だったんです」


 練習のためにツーリングまで付き合ってくれる上司。本当にいい職場だと思うのだが、津さんは微妙な表情をしていた。

 人気のない高原なら、飛ぶのに最適だ。


「お二人とも、お楽しみくださいませ」


 存在をすっかり忘れていた藪坂さんは、挨拶をして帰って行った。お礼も言わなかったのに気付いて追いかけようとすると、津さんに止められる。


「お礼は、もうしたんとちゃうかな」

「あぁ……」


 蹴ったのがお礼なんて、私とは世界が違い過ぎる。

 沈くんのことも受け入れて、一時期は津さんと佳さんとも暮らして、藪坂さんのようなひとも雇用する茉莉さん。どれだけ凄いひとなのだろうと思っていると、津さんは違う意見のようだった。


「茉莉さんは、自分に興味がないんやないかと思うんや。他人のために生きられたらいい、自分のことは棚上げで構わへん」


 沈くんに対する愛情も、津さんや佳さんのいる夜臼の家に対する献身も、店での優しい態度も、藪坂さんのように利用できるひとを使う狡猾さも、全て、自分を棚上げして、自分の幸せはないものと思って、他人のためだけに生きているのだとしたら、茉莉さんはすごく悲しいひとではないのだろうか。

 津さんや佳さんを支えたというのだから、年上なのだろうが、茉莉さんの年も、本性も、私は知らない。これだけ親切にされていながら、私は藪坂さんのことも知らなかったし、茉莉さんという人格を全く知らないような気になって来た。


「茉莉さんは、幸せなんでしょうか?」

「分からへんけど、沈が来て、変わってくれたら良いと思うてる」


 他人に興味のない佳さんが、和己くんが来てから変わったように、沈くんにただひたすらに愛されて、求められて茉莉さんも変わるのかもしれない。変われるのかもしれない。

 私にとっては優しく包容力のあるひと、茉莉さん。

 彼女の幸せを願わずにはいられなかった。

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