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大鷲の翼は漆黒の獅子を抱く  作者: 秋月真鳥
一章 私の知らない私
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16.忘れていたこと

 広い玄関にもお屋敷にももう慣れた、つもりでいる。

 津さんの家に帰ると、佳さんに抱っこされた和己くんが出て来た。抱っこから降りて、小さな足で歩いてきて、私の太ももをてちてちと叩く。


「みぃ?」

「うん、帰って来たよ」

「ね?」


 可愛らしく首を傾げてにこにこしている和己くんを見ているだけで、ここに帰って来てよかったのだと思えてしまうから私も単純だ。


「お昼ご飯のときに、蜜月さんが帰って来たと話すのにいないから探してて。津、帰るのが遅かったな。蜜月さんに無礼を働いてないだろうな?」

「無礼を働いたんは、盗撮男や」


 軽食を食べに行ったコーヒーショップで盗撮をされたことを話すと、佳さんは柳眉を寄せて、不快そうな表情になった。


「津と一緒にいるのにちょっかいをかけようとする輩がいるとはな」

「俺も舐められたもんやな」

「そうだ、お前が舐められてるから良くない。蜜月さんをちゃんと守れ」


 佳さん、厳しい。

 店の外で盗撮に気付いて犯人は捕まえてくれたし、調書も自分が請け負ってくれて、充分に守ってくれたはずなのに、佳さんの中では津さんが悪いことになっている。


「佳さんは、私に優しいですよね」

「蜜月さんは、和己も心許している大事な家族だ」

「家族……」


 そんな言葉を言われたのはどれくらいぶりだろう。


「この国では、ひとと違うってことは生きづらいから、私よりも祖父に似てた母は、私が大学に入学するのと同時に、父と一緒に海外に移住したんですよね」


 祖父は小さな頃に亡くなって、日本に残っていたのは祖母だけだった。学生時代は何度か祖母の家に帰っていたが、その祖母も大学を出て数年後に亡くなった。

 この国で産まれてこの国で暮らすと私は決めていたので、ずっと離れたことはなかったが、違う場所に行くという決断をした両親を特に恨んでもいない。


「佳さんに『美しい』って言われて思い出しました」


――みっちゃんは、お祖父ちゃんに姿も似てるけど、運動神経も似てて、クラスで一番脚が早いやないの


 私よりも肌の色が濃くて、小さい頃から差別されていた母は、小さな私が泣いて帰るとそう言ってくれた。肌の色も、髪の癖も、お祖父ちゃんの孫である証なのだから、少しも悪いことでも恥ずかしいことでもない。


「俺も美しいていっぱい言うた気がするんやけど」

「美形って息をするようにひとを口説くんだなって思ってました」


 素直な感想を口にすると、なぜか津さんがテーブルに突っ伏していた。

 和己くんのおやつのために蒸しパンを作る佳さんを、お手伝いする。生地を捏ねて、蒸していると、脚元におままごとセットをもってきて、和己くんも作っているつもりになっているようだった。


「可愛いですね」

「一緒にしてくれるんだ。和己は本当にいい子だろう?」

「かぁ?」

「うん、和己のことを話していたよ」


 呼ばれて和己くんが立ち上がって、よく分からない言葉でお尻を振り振り歌いだす。


「お歌も本当に上手だな」


 目を細めて聞いている佳さんの表情には、愛しさが溢れている。こんな風に大事に育てられたら、和己くんは自己肯定感いっぱいの子に育つだろう。


「沈くんは、どうしているんでしょう」


 お店もある茉莉さんは、沈くんが人間の姿に戻らないのを心配していたが、人間の姿に戻ってしまったら、沈くんの面倒を見るひとがいないのではないだろうか。

 心配していると、佳さんが蒸しあがった蒸しパンを幾つか包んでくれた。


「茉莉さんのところに行っておいでよ」

「俺が送って行くわ」

「いちいち、監視するように付き纏うな。ストーカーか?」

「俺は、蜜月さんが心配で……」

「仕事があるだろう。蜜月さん、茉莉さんに連絡を入れてから行って」


 私には優しいけれど、佳さんは津さんの物凄く厳しい気がするのは、私だけでしょうか。

 蒸しパンの入った包みを持って、私は佳さんに教えてもらった茉莉さんのお店の近くのマンションに向かった。盗撮の件があったので、尾行されていないかとか警戒はしていたのだが、誰も怪しいひとはいないように思えた。

 コンシェルジュのいる高級マンションで、茉莉さんの友人だと話をすれば、茉莉さんからも話が通っているようで、中に通してくれた。エレベーターを上がって高層階へ。

 エレベーターを降りた場所から、遠くまで街が見渡せた。


「いらっしゃい。良い場所でしょう?」


 エレベーター前の窓に張り付いていた私に、コンシェルジュから知らせがあったのか、玄関から出て来た茉莉さんが声をかけてくれた。町の中心部から少し外れているからこそ、遠くまで街が見渡せるマンション。


「良い場所ですね」


 この高さに羽が広がるような気がして、うずうずしながら振り返ると、茉莉さんはスリングを身に着けていた。その中に沈くんが頭まですっぽりと隠れてしまっている。


「こんにちは、沈くん」

「やぁや……」


 挨拶をしたのに、蚊の鳴くような声で拒否されてしまった。


「人間の姿になってくれたのはいいんだけど、食事とお風呂のとき以外は、ずっとここにいないと落ち着かないみたいなのよ」


 スリングの中に沈くんを入れて抱っこしている茉莉さんも、苦笑している。体がまだ小さいからすっぽりと入れるが、大きくなってきたらはみ出してしまうのではないだろうか。


「蒸しパンを佳さんと作ったんですよ」

「それはありがたいわ。いただくわね」


 蒸しパンを温め直して、茉莉さんがスリングから沈くんを子ども用の椅子に座らせて、蒸しパンと牛乳を出す。抱っこから降ろされた沈くんは、既に涙目になっていた。


「やぁや……まー、らっこ」

「おやつを食べたら、抱っこしましょうね」

「まー……」


 すんすんと洟を啜りながら、沈くんが蒸しパンを齧る。ミルクを飲んで、少しずつ食べている様子を見ながら、茉莉さんにロイヤルミルクティーを淹れてもらって、私と茉莉さんも蒸しパンを食べた。

 ジャムとバターを持ってきた茉莉さんが、にやりと笑う。


「イケないこと、しちゃう?」

「カロリーが跳ね上がるじゃないですか。でも、しちゃいます」


 二人で笑いながら、蒸しパンにバターとジャムをたっぷりつけて、沈くんの蒸しパンにもバターとジャムをトッピングして、豪華に食べる。

 私、津さんのお家でお世話になってから太ったんじゃないだろうか。


「太って飛べなくなったら、茉莉さんのせいですからね」

「飛んでみたの?」

「まだ、そこまでは」


 獣の姿になって、人間の姿に戻るという変化は身に着けたが、私はまだ初めて飛んだとき以来飛んだことがない。飛ぶのならば居合道場くらいのスペースではとても足りないし、目立たないように郊外に行かなければいけない。

 そこまで考えて、思い至ったのは、私が津さんにツーリングに誘われたことだった。


「津さん、ツーリングって、飛びに行こうってことだったんだ」

「ツーリングに誘われたの? 津さん、バイク好きだものね」

「私もバイク、好きなんですよ……あ、バイク、平気だったかな」


 空き巣に入られて部屋の中は確認したけれど、月極駐車場に止めてあるバイクのことは、すっかり忘れていた。あれも、移動させなければいけない。


「美味しい蒸しパンのお礼に、車で送りましょうか?」

「良いんですか?」

「沈さん、今、チャイルドシートの練習をしてるから、見てくれるひとがいると安心だわ」


 抱っこから離れるのをものすごく怖がる沈くんは、チャイルドシートに乗せるのも一苦労なのだという。食べ終わって沈くんの着替えも終わると、茉莉さんと駐車場に降りて行った。

 スリングから外されて、チャイルドシートに乗せられると、両手で顔を覆ってしくしくと沈くんが泣く。大声で泣かないのは、茉莉さんがチャイルドシートを必要なものと教え込んだおかげらしいが、分かってはいても、どうしても涙が出てしまうようだ。


「沈さん、練習しましょうね。とても上手よ。とてもいい子」


 歌うように言って、茉莉さんがチャイルドシートに繋がれている沈くんの額にキスを落とす。すんと洟を啜って、泣き顔のまま沈くんは必死に耐えていた。


「蜜月さんのおかげで、沈さんは人間に戻れたし、人間のご飯が食べられるようになったの。蝙蝠の姿のままで、言葉も発しなかったから、あのまま放っておいたら、人間の部分が衰弱死して、蝙蝠として生きて行かなければいけなかったかもしれないわ。本当にありがとう」

「人間の部分が衰弱死してって、人間の姿と蝙蝠の姿って、別なんですか?」

「『ひとならざるもの』の本性と擬態は、ある意味別物なのよ」


 上手くは説明できないけれど、全くの別次元の問題のようだ。理解はできないが、佳さんが言っていたように、大鷲の姿になっても、私の服は脱げていないし、元に戻ったら服も着ている、そういうことなのだろう。


「隔世遺伝の私が、大鷲の姿にならなかったら、人間と同じ時間しか生きなかったというのも、大鷲の私が衰弱死してたってことなんですか?」

「そう考えてもらって構わないわ」


 大鷲の姿にそれほど馴染みがあるわけではないが、今ではきちんと自分の姿だと理解はしている。その自分の半分が、知らなければ死んでいたという事実は、どこか恐ろしく私の中に響いた。


「その方が幸せなひともたくさんいるのでしょうけれどね」


 人間として生まれ育って、人間の中で生きて、人間として死んでいく。そうなるはずだった私は、もう『ひとならざるもの』としての道を選んでしまった。

 選ばれなかった過去に戻ることはできないが、後悔はしていない。

 茉莉さんにお礼を言って、私はバイクで津さんの家まで戻った。


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