14.家に帰るつもりが
私が津さんの家にお邪魔したのは、獣の姿になって元に戻るという、『ひとならざるもの』として基本的な動作を習得するためだった。念のため、もう一日様子を見て、何度か獣の姿になって、戻ってみてから、私は家に戻ることを津さんと佳さんと和己くんに告げた。
「いつまでもお邪魔しているわけにはいきませんし、目標も達成したので戻りますね」
「けー? みぃ?」
「蜜月さんはお家に帰ると言っているよ」
「遠慮せんで、ずっとおってくれてええのに」
遠慮の問題ではないのだが、人様に三食作ってもらって、自分は片付けのお手伝いくらいの生活は、非常に心地よかった。このまま居着いてしまえたらどれだけ楽だろう。佳さんは和己くんのお風呂入れを手伝って欲しいし、残って欲しいと言われたのだが、このままでは堕落まっしぐらな気がして、私は泣く泣くお断りをした。
私が家に居座っていたら、津さんもお付き合いするひとができたら、誤解されても困るだろうし。
佳さんに説明されて、私が帰ることを理解した和己くんが、床に倒れ伏して泣き出す。
「みぃ! やぁ! やぁよぉー!」
最初は怯えて佳さんの脚元から離れてくれなかったのに、今はこんなに懐いて、帰るのを惜しんでくれる。あまりに可愛くて心が揺らぎそうになったが、これはもう決めたこと。
いつまでも津さんと佳さんに甘えていてはいけない。
帰る荷物を纏めていると、ひっくひっくとしゃくり上げながら、和己くんが佳さんに抱っこされてやってくる。
「また来てね、だろう?」
「ね?」
泣き腫らした真っ赤な目で、可愛らしく首を傾げる動作。
そんな可愛い動作、誰が教えたんですか!
可愛すぎて「やっぱりここにいます」と言いかけたじゃないですか。危ない危ない。
「また来るからね」
「ん。みぃ」
「みぃ」と私の名前も覚えてくれた可愛い和己くん。仕事では佳さんと一緒だし、また会うこともあるだろうと思いながら、送ってくれるという津さんの車に荷物を乗せた。
朝のドライブは、通勤時間よりも早いので、道が空いている。
「俺は、蜜月さんがずっとうちにおってくれて構わへんのに」
「ご迷惑はかけられません」
「迷惑やて思うてへんよ。蜜月さんとおったら楽しいし、俺は、蜜月さんのことが……」
真剣な眼差しで言う津さんの肩越しに、家の近くの公園が見えた。そこには私が良く餌を上げて撫でさせてもらっている猫ちゃんの姿が見える。
「あ、津さん、ちょっと良いですか?」
「へ? 俺の話、聞いてた?」
「この公園、寄って行きたいんですけど……あれ? なんの話してましたっけ?」
猫ちゃんに気をとられて、津さんの話をあまり聞いていなかったのがばれてしまった。公園の脇に車を停めて、降りていくと、猫ちゃんは私の姿を見て「みゃう」と鳴いて近寄って来る。
可愛い灰色のサバトラの猫ちゃん。
近寄ったところで、猫ちゃんの動きが止まった。鼻をひくひくさせて、じりじりと下がって行く。
「今日はおやつ持ってないんだよね……あ、猫ちゃん?」
食べ物を持っていなくても、撫でさせてくれることが多いのだが、物凄い勢いで逃げられてしまった。今まで一度もそんなことなかったのに。
「猫ちゃん……どうして」
失恋でもしたかのようなショックに襲われる私の肩に、津さんがぽんと手を置く。
「多分、俺のせいや、ごめんな」
「津さん、猫ちゃん苛めたんですか?」
「苛めてへん。やけど、俺、獅子やろ? 俺の匂いが蜜月さんにもついてて、怖がらせてしもたんや」
つまり、津さんの側で仕事をする限り、私は猫ちゃんとは触れ合えない。
死刑宣告のようにその事実を受け止めて、しょんぼりしながら車に乗って、アパートに送ってもらった私だが、荷物を運ぶ津さんが、扉の前で鍵を出そうとする私を止めた。
「蜜月さん、触ったらあかん。妙な匂いがする」
「私の部屋、臭いんですか!?」
「そうやなくて、蜜月さんやない『ひとならざるもの』の匂いがする」
生ごみは処理して行ったはずだけれどとか考えつつ話していると、大家さんと警察が駆け付けて来た。どうやら、今朝から私のことを探していたらしい。
「お隣りの部屋のひとから連絡があって、扉が少し開いてるみたいだって言われて、警察のひとを呼んで、見に行ったら、部屋が荒らされてて、瀬尾さんがいないでしょう? 攫われたんじゃないかって、警察に届け出てたところだったのよ」
「私の部屋、荒らされてたんですか?」
「この部屋の住人の瀬尾蜜月さんですね。昨夜はどうされていましたか?」
「友人の……」
「夜臼津いいます。俺と妹が住んでる家に泊まりに来てました」
素早く夜臼さんが間に入ってくれて、警察官に事情を話す。
その間に、私は別の警察官と、部屋の中でなくなっているものはないかを確認したのだが、貴重品は全部津さんの家に持って行っていたし、クローゼットが開けられて服が荒らされたりしているだけで、特に盗まれたものはなかった。
「『ひとならざるもの』専門のひとに来てもらうようにお願いしとる。俺も行くから、蜜月さん、落ち着いて」
「は、はい」
「妙齢の女性が、オートロックもない部屋に暮らしているのは、不用心ですね」
「誰がどこに住んだかて、自由やろ?」
警察官の言葉に、冷ややかな目で津さんが言ってくれるが、確かに不用心だったのは否めない。学生時代からずっと住んでいる部屋なので、安くて古くて、安全管理がきちんとできていなかったのは確かだった。
警察署に連れて行かれて、話を聞く警察官が変わって、津さんがそのひとを紹介する。
「この辺の『ひとならざるもの』の事件でよく手を貸して貰ってる、犬伏さんや。瀬尾蜜月さんは、最近『ひとならざるもの』に覚醒した隔世遺伝の御人で、前の俺の親戚が攫われた事件で手伝ってもらってたんやけど」
「どうも、犬伏です。名前の通り、本性は犬の『ひとならざるもの』なんですけど。前の事件で目を付けられて、攫おうとした可能性がありますね」
沈くんと和己くんが攫われた事件で、私は大鷲の姿になって、二人の入った鳥籠を探した。そのときに、私に目を付けてた『ひとならざるもの』がいたようなのだ。
「珍しい種類の『ひとならざるもの』ですから、隔世遺伝なのをいいことに、攫って売り飛ばそうと考えられても仕方ないですね」
「いつも後手や。攫われてからしか、警察は動かへん」
「事件が起きないと動けないのが警察ですから」
不満そうな津さんに、犬伏さんが厳しい仕事用の顔から、ちょっと表情を緩める。
「お綺麗な方ですね。夜臼の当主もついにお相手を決めたってことですか?」
「ま、まだや。まだそんなんやないけど……まぁ、そのうち、な」
何の話かよく分からないけれど、津さんに恋人でもできるのだろうか。そうならば、私は早いところ津さんから離れて独り立ちしなければいけないはずなのだが。
「このまま蜜月さんの家には戻されんし、蜜月さんの部屋は場所を知られてるから危険や」
鍵を開ける技術のある相手が忍び込んで来たら、私自身どうなるか分からない。ぞっとしていると、津さんは快く私を受け入れてくれるという。
津さんに恋人ができないとか、付き合うひとができるんだったら邪魔だとか、色んな理由はあったけれど、とにかく、身の危険を感じたので、私は津さんにお願いすることにした。
「やっぱり、しばらくお邪魔していていいですか?」
「お邪魔やないし、しばらくやなくて、当分の間がええと思う。蜜月さんは大鷲になれるけど、戦う術は持ってないやろ」
そう言われればその通りだ。
大鷲として、探し物をするだけで役に立てると思っていたが、私は自分の身を守る術を持たない。佳さんは怪力だし、津さんは居合道場の師範代で、身を守れるのに、私は探偵事務所に入ることも、『ひとならざるもの』になることも軽く考えていて、自分が標的にされることは想定していなかった。
「修行のやり直しですね。私に、身を守れるように、教えてくれますか?」
私のお願いに、津さんは快く「はい」と返事をしてくれた。
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