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大鷲の翼は漆黒の獅子を抱く  作者: 秋月真鳥
一章 私の知らない私
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12.ママの荒療治

 大鷲の姿になったら、戻れなくなった。

 和己くんがお風呂で溺れそうになって、それを助けるためにそのときは戻れたけれど、今度は大鷲になろうとしてもなれなくなった。

 春キャベツとベーコンのパスタを食べながら修業の成果を聞いた志築さんは、胸の蝙蝠の赤ん坊を撫でながら、私に優しく語り掛けた。


「怖かったのね」

「怖かった……?」

「そう、大鷲になって、戻れなかったのが、凄く嫌で、怖かったんでしょう。だから、今度は津さんが変化するのに巻き込まれて、大鷲になるのを防衛できるようになった。物凄い進歩だと思うわ」


 これから先、『ひとならざるもの』と触れ合って仕事していく中で、近くで獣の姿になったものがいるたびに、私も巻き込まれて大鷲の姿になっていたら、仕事にならない。巻き込まれるのを防衛する力がついたのは進歩だと言われて、落ち込んでいた気持ちが少し浮上する。


「でも、なれなかったら、戻る練習もできませんよ?」

「まだ修行を初めて一日しか経っていないのでしょう? 焦ることはないんじゃない?」

「でも、二週間しか時間がないんです」

「あなたが『ひとならざるもの』として生きていく年月は、百年やそこらじゃないのよ。事務所に就職しても、最初は修行中でも全然構わないわ」

「でも……」

「『でも』はもう言わなくていい。今日はお休みにしましょ。はい、佳さんは和己さんが眠そうだから帰って、津さんも仕事だから帰ってね」


 あっさりと今日の修行は休みだと決められて、私は拍子抜けしてしまった。追い出すように佳さんと和己くんと津さんは店から追い出されてしまう。

 残された私は、食器の片付けを手伝わされていた。

 自分が作らずとも美味しいご飯が出てくるのだから、片付けくらいは当然手伝って構わないのだが、問題は、私の胸にある。志築さんほどではないが、そこそこ豊かな胸に、ぺったりとへばりついているのは、蝙蝠の赤ん坊。

 嫌がるのを志築さんが鉤爪を外して胸から外して、私の胸に預けたのだ。


「名前は(じん)くんよ。沈丁花の沈と、茉莉花の茉莉で、お揃いみたいでしょ?」

「小さいですね。それに、凄く軽い」


 安心できる場所である志築さんの胸から引き剥がされて、私の胸に張り付いた蝙蝠の赤ん坊、沈くんは大きな目を見開いて、震えていた。自分の意志でしがみついているというより、怖くて動けないだけな気がする。

 私は大鷲で、沈くんはフルーツバットという小動物。どちらかと言えば、私が捕食者で、沈くんは獲物の関係になる。本能で分かっているのだろう、和己くんが最初私を怖がっていた以上に怯えている。


「お皿を洗うのはいいんですけど、沈くん、怖がってません?」

「蜜月さんは優しいひとだから、すぐに慣れるわ。たまには荒療治もしないとね」

「物凄く震えてるんですけど」


 シャツの上から震えが分かるほどに、ぶるぶると沈くんは震えている。可愛そうなので志築さんの胸に戻してあげたいが、志築さんは受け入れを拒否しているし、鉤爪を外そうとしたら折ってしまいそうな小ささで、怖くて触れない。


「夜臼の家には色んな血が混じってるから、色んな動物が出るけど、蝙蝠は余り喜ばれないのよね」

「なんでですか?」

「強くないから、かしら」


 単純な話として、『ひとならざるもの』は食物連鎖の頂点にいるようなもの、また大型の獣が希少で重んじられる。小型でも『ひとならざるもの』なので、血統を繋ぐためには役に立つが、実際に優秀な血統かと言われれば、疑問が残る。


「本当は、獅子も鷲も蝙蝠も、優劣なんてないのに、人間社会に混じって生きるようになってから、数が少ないものが貴重で、数が多い弱いものはいらないなんて、人間の悪いところだけ学ぶんだから、それで価値を計られる方はたまったもんじゃないわよね」

「この子は、価値がないから売られたんですか?」

「そうよ。厳しいけれど、それが現実なの。夜臼の家の中でも、津さんのような強いものは当主になって大事にされるけれど、沈くんのように小さくて力ないものは、血統に入れる価値もないと判断されて売られてしまうの」


 私は、『ひとならざるもの』の社会を全く知らない。

 その世界に足を踏み入れたのも、沈くんと和己くんを助けた事件の日で、まだ浅い。

 私が日本人離れした肌の色や顔立ちや体格で、差別されていたように、沈くんは蝙蝠という種族に産まれただけで差別されて、両親に必要ないものと判断されて売られてしまった。


「許せない……」


 法律事務所を辞めたのも、『ひとならざるもの』の世界に足を踏み入れたのも、そうしなければいけなかったからであって、ある意味、なし崩しに入ってしまったところがあった。

 私の胸で震えている小さな蝙蝠の赤ん坊は、生まれたときからそうで、自分で決められないことで差別されて、命を軽んじられて売られそうになってしまった。

 そんなこと、絶対に許されない。


「あなたは、幸せにならないといけない」

「ぴゃ!?」

「日本国憲法に書いてあるのよ。ひとは最低限の幸福で文化的な生活を送ることが保証されてるって。あなたは、『ひとならざるもの』かもしれないけど、この国で産まれた子どもだもの」


 胸にへばりつく沈くんに語り掛けると、その茶色の目が大きく見開かれる。


「日本国憲法、ねぇ。蜜月さんらしいわ」

「志築さん、私、もっと頑張ります。沈くんみたいな子が増えるなんて、絶対に許せない!」


 探偵事務所で働いて、大鷲になれるようになって、自在に戻れるようになれば、私は志築さんや津さんや佳さんの役に立てる。そのことが、沈くんや和己くんのように、命を軽んじられて売られていく子どもを守るかもしれない。

 具体的に何をすればいいのかは分からないけれど、決意を新たにしていると、胸からぽろりと沈くんが外れた。慌てて手で受け止めると、沈くんはオムツを履いた裸の幼児になっていた。


「まー、らっこ……」

「あらあら、やっと人間の姿を見せてくれたわね」


 ほろほろと涙を零しながら、志築さんの方に手を伸ばして抱っこを強請る沈くんを、志築さんが受け取って、胸に抱きしめる。


「あなたが人間の姿になってくれないから、お洋服も着せられなかったのよ? 思ったより大きかったわね。お洋服を着たら、新しい服を買いに行きましょうか?」

「まー」


 洟を垂らして泣く沈くんの顔を拭いて、いつでも着せられるようにとバッグに入れていたという服を着せて、志築さんが抱っこする。


「ありがとう、蜜月さん。あなたが戻してくれたのよ?」

「私が?」

「言っていることは分からなかったかもしれないけれど、あなたの気持ちが沈くんに通じたんだと思うわ」


 修行は進まなかったが、その日は、沈くんを人間の姿に戻すことができた。

 沈くんを抱っこして買い物に行く志築さんに、津さんの家に戻ることを告げると、ついでのように言われる。


「津さんのことは名前で呼んでいるんでしょう? 私のことも、名前で呼んで?」

「茉莉さん?」

「ありがとう」


 同僚になるのだから親しくしたい。

 何より、沈くんのことを大事に思ってくれていることが嬉しい。

 お礼を言われて、私は何もしていないのにと恐縮してしまう。沈くんは沈くんの力で人間の姿に戻ったのだ。それが、私の胸にくっ付いているタイミングだっただけ。

 むしろ、私の胸から逃れたくて、怖くて、茉莉さんに抱っこして欲しくて、必死に戻ったのかもしれない。


「荒療治って、そういうこと?」


 呟きながら帰り道に、津さんと初めて出会った桜並木を歩いた。すっかりと葉桜になっている桜並木が、まだ満開だった頃に、津さんと出会って、私は人間ではなくなった。

 もう私の背中に羽は見えていないのだろうか。

 それくらいには成長できていればいいのだが。


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