第二章 三十七話
魔道具である切れ味補正のかかった包丁を買ってから色々見ていると、やはり、どうやらこれは家庭用なので少し切れ味がいいくらいの切れ味の付与であった。
母様からの資料をいろいろ見てみたけど付与についてはあまり載ってなかった。おそらく職人色が強いために公になってないことが多いからだと思う。企業秘密ってやつだ。ただ、概要みたいなのはときどき載ってあり、おおよその原理としてはその物体の魔力の波長にあわせた魔法を組み合わせて物体の特定の力を底上げすると言ったことらしい。”駆け巡る身体強化”が血管を通した魔法の発現なら、物体に流れている魔力を通して物体に干渉する魔法といった感じではないかと思った。色々あれから試してみたけど物体の波長の掴み方がよくわらない。付与の魔法自体は色々考えつくんだけど、それを別個の波長に合わせて定着させるというのがイメージが掴みにくくなんだかなあと言った感じだ。
そもそもモノっていうのは色々だから同じ家具とかの括りでも全部波長は違うだよね。うん、まあ付与魔法は趣味みたいなものだからゆっくり学んでいこう。
さて、マドワキアも肌寒くなってきて向冬の候ってやつになりました。この頃になると動物たちも冬眠の準備をし始めるから狩りにいっても中々いい感じに出会えることはできない。そうなってくると稽古までやることがなく、いつも通り部屋に引き篭もって魔法の研究に勤しむことになるが、今日はどうもやる気がでない。どうしてだろう。肌寒くなってきて布団が恋しくなるからだろうか。やる気が出なく、気づくといつの間にかぼーっとしてしまう。
まあ、こういう日だってあるよね。
僕は床にごろごろと寝転がる。うーん、なにもしないっていうのは暇だけど、こういう日も大切だ。色々考え過ぎても行き詰まることが多いからね。何もかも考えずに頭の中をすっきりさせてリフレッシュってやつだ。人間の頭ってのはよくできていて、休んでいる時に脳の中が整理され、前までできなかったことが不意にやるとできたりするようになったりする。恐らくその間に色々な知識が入ってきて、解決の糸口に結びつけられたりするんだろうけど、でもどちらにせよすごいし便利だよね。
でも、そうやってリフレッシュしても”真”には辿り着けない。改めて稽古を重ねていって、歴代の人はどうか知らないけど、”真”に至るというのは戦いの中で限界を越えることだと思った。限界の先にあるからこそ”真”なのだ。
稽古で眼は未来視へ至ったし成長はしていってる気がする。でもなぜか感じる自分のイメージとの半歩の遅れがこのまま稽古などで改善できるのだろうか。払拭できるイメージはわかない。うーん、僕はどうなってしまうのだろう?父様も出ていく回数が増えたし、父様がいない何かあった時のために父様がまだいる今のうちに”真”に至りたいものではあるが、どうしたものか。
考えても考えても答えはでない。ぼーっと何も考えずにリフレッシュしようにも今の問題点であることがどうも頭の片隅から顔を覗かせて構ってしまう。だめだだめだ、頭を空っぽにするんだああ。
そんなこんなで悶々と現実をみつつ現実逃避をしていると小鳥が窓の外にやってきた。小鳥は落ちている木の実などを食べている。そしてときに囀り気持ちよさそうに歌を歌う。いいなー鳥は。空を自由に飛んで木の上で休んで時々地上に降りてきてご飯を食べて時に歌って。とても自由な生き物だ。できれば僕だって鳥のように空を優雅に泳ぎ、世界から飛び出したように世の中の時間に縛られず悠々自適に世界を飛び回りたい。
そんな小鳥たちを眺めていると、小鳥は用がなくなったのかその小さい羽で体を楽々と飛ばして彼方に去っていった。どっかにいくのも自分の自由ってやつだ。実に優雅だね。
自然を感じるのはいいものだ。物事を難しく考えた時にふと自然に触れると、今まで蔦のように纏わりつき、絡まった糸のようにしつこかった物事が、いつの間にか忘れ去られ自然に没頭してしまえる。自然に対して人はちっぽけだなんて言うけど僕はそう思わない。自然は自然だし人は人だ。ただ自然はいつも僕たちを包み込んでくれる大きな存在である。自分はちっぽけだって思わないし、自分が直面してる問題だって自分にとっては大きなことだ。でも自然に触れるとそう言うことも忘れて一息つくことができる。その安息を与えてくれることが自然の大きさなのだ。
なんだかセンチメンタルな気持ちだ。でも、ふぅ、よし。だいぶ休まってきたぞ。気持ちもリフレッシュされれば体もリフレッシュされてくるってもんだ。さあて、午後の稽古に備えて体をほぐしていこうかな。




