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会津先生の半切

 會津八一と云えば、ご当地にいがたでは名前を冠した記念館まで在るお人ですから、さぞかし書物に収まらないような逸話もたくさんとお有りでしょうし、先達の昔語りを代々の胸にしまっている地元っ子もいらっしゃるでしょうが、その先生のことで、私にも死んだおやじから二度や三度にきかないほど聞かされた話がありましてね。こんな話を聞いてたら年甲斐もなく自然とおやじの声を想いだしてしましまして、他人様にはお恥ずかしいが、どうぞ功徳だと思って聞いてくださいまし。

 


 會津八一と云えば、ご当地にいがたでは名前を冠した記念館まで在るお人ですから、さぞかし書物(かきもの)に収まらないような逸話もたくさんとお有りでしょうし、先達の昔語りを代々の胸にしまっている地元っ子もいらっしゃるでしょうが、その先生のことで、私にも死んだおやじから二度や三度にきかないほど聞かされた話がありましてね。こんな話を聞いてたら年甲斐もなく自然とおやじの声を想いだしてしましまして、他人様にはお恥ずかしいが、どうぞ功徳だと思って聞いてくださいまし。

 親父は左官屋を稼業にしていまして、その出来事があった時分は、ひとまわり上の長兄の下にくっついて梃子(てこ)の真似事でもやらされていたんでしょう。幼い私を連れて盆、正月と挨拶に行く頃は、穏やかな年寄り顔になっていましたが、腕が良くって顔が立って、戦後のドサくさで食えないときはヤミ屋までやってたって人ですから、実の兄とはいえそうした人の下で働いてたんでは、自分の子にも言えない苦労もあったんだと思います。

 どこで会津先生とご縁を作ったのかまでは存じませんが、そうした職人気質のおじさんですから、へそ曲がりの文人先生と馬があったんでしょう。先様で何かと用事を作ってくれて、出入りさせてもらってたようです。

「つどつど頼まれた例のもの、玄関脇に置いてあるから帰りがけに持っていきなさい」

 後片付けしてるおじさんの処にわざわざ部屋から出てきた先生からそう言われると、すぐにピーンといきたそうです。いつもなら、肝心のことづけや雑務は周りの者に言いつけて済ますばかりで、此方(こちら)が仕事の手を休め一服しているときの時候の長話か手元作業よりほか語りかけることのない先生が、こればっかりは再三痛いところを突かれた挙げ句の始末なんで、早く荷物をおろしたかった、とみえます。

 借家ながらも二間続きの新居を構えたこと、自分の知った大工3人が既に先生から「いただいている」こと、床の間が物置になってるだの天井下の漆喰壁がガラ空きだの、そんな話を二人分の替えのお茶まで持ってこさせた立ち話に放り込んでは、わかってるわかってる、きちんと気が向いたときにしておこうと、何度何度も引き出していたもんですから、先生の方でも「半切りを横に使ったので額装にして壁にかけたらよかろう、床の間の方は、まぁ気に入った軸が見つかるまで物置きにしておくより仕方あるまい」と、ていねいに留めの口上まで添えられて、こちらのお礼のご挨拶も振り切って書斎へすたすた戻らました。まだ何も触れていない巻いたまんまのまっさらなさらしに包んで(くるんで)大切に持ち帰ったんでしょうが、一番大切なのは、會津八一の書ではなく、會津八一から書をもらったことですから、開いて眺めるでも額装を言い付けるでもなく、しばらくは神棚に祀られっぱなしでした。

 先生が研究なさっていた良寛和尚と同様で、先生の書かれたものも「おねだり」する輩は多かったんでしょうが、「情熱」の傾け方で手に入るってもんでもないでしょうから、そうした連中の中には、誰それが手に入れたなんて聞きつければ面白くない嫉妬から良からぬ鎌首がもたげたることもあったっていいます。

 うちの親父もそうでしたが、おじさんも顔や気性に似合わず酒は一滴もいけない甘党で、うちうちの席じゃそんなこと億面も気にせずに楽しんでましたが、そとでは腕や顔を押し立てていた手前、職人仲間の相手では何事につけてことを起こしたら後には引かない立ち居振る舞いだったようです。末っ子の親父とは違って、早くから死んだ親代わりに兄弟五人を養ってきたのもあるんでしょう。親父もこの話を繰り出したあとあの負けず嫌いの顔が食っついているのか、しばらくは何を思い出してるのか、黙っていましたねぇ。

 酒を飲まないおじさんですから頼まれた仲裁でもなければ銭湯にいって夕餉を終えて、骨太の大きな身体をもてあましてた、きっとそんな晩だんでしょう。あまり評判の良くない仕事仲間が無沙汰を侘びながら、ふいっと顔を出します。はじめは少し怪訝をつくった顔も、律儀に下出から話を勧めていけば器量の狭いところナんぞ見せられませんから、相手の連られるまま出かけたんだそうです。きっと、「昼すぎの一服にオレたちが陰でコソコソっとしてるのを、親方が眉ひそめながら過ぎていったのは十分承知した上で、お頼みしてるんです。ただねぇ、人が足りないんですよ。オレじゃねえ、場持ちのアニキが恥をかくことになるんで、急にこんなことを持ち込んで申し訳ないんだが、人助けだと思って、行ったら黙って座っててくれるだけでいいんです。重しのある顔が座ってさえいてくれりゃ場がもつんでぇ。どうかよろしくお願いします」なんてみちみち触れながらさっささっさ運んでいったんでしょう。ものの一時間も経たないうちに、たったひとり静かに帰ってくると、家の誰とも目を合わせず、黙って真っすぐ神棚までいって、おろしたてのさらしに巻いたまんまの、頂いた半切りの書を持っていったっていいます。

 その晩は、兄弟みんな寝静まるまでは帰ってはきませんでしたが、次の朝はいつもどおり一番に起きて飯を炊き、ガシガシ洗うゆすぎの音で全員が目を覚ますと、そのままスッと仕事に行ったそうです。

 そこから先は、一本立ちしたおやじが古書店の店主から聞いた話です。屋敷が三番町だったんで、久しぶりに生まれ育った路地までウロウロ顔を出してると、未だそこの通りで営んでいる店主に掴まえられ、「びっくりしたよ、あの時分の顔が急に出てくるもんだから。ほんと、兄さんと本当に瓜二つの顔になって」と、根掘り葉掘りの近況を聞かれて、つい正直に「いろいろ無理がたたったんでしょうか。大した怪我でもないのに、その怪我のせいで早めの隠居生活を強いられまして」とポロッと出たのが呼び水になって、ついつい向こうも長話になってしまったとしんみり零していました。

 此方もねぇ、ご当地の古本屋ですから先生の書もいくつか置いてましたよ。えー散歩ついでによくお見えになって、お茶を差し上げてる間に、お見せしようと奥にあるものを引っ張り出しますと、お手にとってご覧になることもしばしばありました。書のほうですかぁ、入れば店の棚に飾ってましたから否応でも目についたはずですが、表具の好みなんぞに(くちばし)を入れるような野暮な御仁じゃございませんでしたからね。それが、あの書だけは見つけた途端に、何時(いつ)手に入れたのか誰が持ち込んだのかと、矢継ぎ早に攻めたてられまして。その勢いに押されて思案する暇なく正直に申し上げましたら、「買値に二割増して後で持ってこさせる」とだけお云いになって、額ごと風呂敷に包ませてもって帰られました。

 あまりのせっかちに、こっちがよっぽど豆鉄砲でも食らったような顔をしてたんでしょう。間を置かずに、先生自らご自分のおっしゃってた金子(きんす)とそれとは別に侘び料を包んでお持ちになりました。乱暴な真似をして済まなかったと、あの蓬髪をペコンと下げると此方が怪訝な顔をしてるわけでもないのに一部始終話してくれましたよ。きっと、心根を聞いてもらいたかったんでしょうね。

 使いを出したら、すぐに飛んできたそうです。あんな義理を欠いては出入り禁止の言い渡しを受けるのは承知と、職人の短いあたまを更に刈り上げて、何時でも呼び出しを受けてもいいようこざっぱりとした身繕いを用意してきた顔で勝手口に直立不動でずっと突っ立ていたそうです。「此方が呼びつけたんだから、会ってやらないわけにはいくまい」と、顔を真赤にしてる書生をなだめて、先生一人で勝手口に行っても、あなたの兄さんはただ黙ったままでした。そのまま生涯そうしてるんじゃないかの一途さが塊になって見えてきたんで、「まー聞こうじゃないか」と、話を向けてやっと口を開けさせました。

 先生の書をいただいたことをあちこち吹聴していたら、どこぞの擦れ枯らしの「機嫌に刺さった」こと。周到な仕掛けまで拵えられて、玄人も入った札付き連中から博打で巻き上げられ、先方では最初っから先生の書が質札に上がっていたこと。「先生のご厚意にこんな形で義理を欠いて、本当にわたしは大バカもんです。無教養の大恥さらしです」と一気に腰を直角に曲げて頭を下げると、あなたのお兄さんは、今度は本当に、生きてる人でなく達磨さんのようにずっとその姿勢のまま固まってしまったそうです。砂が降るような重い時間がたっても先生も何も言わない、双方無言の静寂だけが支配していました。先生はずっとお兄さんの後ろ頭だけを見ていたそうです、若い若いと思っていたのに白いものの混じった後ろ頭を。それをじっと見続けていたら、「なんだか段々と、疝気の虫が引っ込んでいくのが自分でも分かったよ」と。

 その時の感慨を実の言葉で声に出したかったんでしょうな。あー、それだったのかと、ぽつり自問するすように付け足していましたよ。

 そんなダンまりがしばらく続いて、先生、何も言わずに奥に引っ込みました。小一時間たってから、両手に下げた半切(はんせつ)の書を、ツッと目の前に、両手を突き出すように促すと、そのまま一文字糸一文字がお兄さんの正面から見えるようにと、受け渡してくれたそうです。

 三時間ずっと、おじさんがこうして同じ姿勢のままいるのを疑わずに、墨を擦り、静寂な思案を重ねて、半切一杯に文字を起こして。

「墨が乾いたら、そのまま持っていきなさい」あとは何も言わずに、今度は本当に奥へと引っ込みました。

 墨のつよい香の中でしたためられた四文字は、質札のついた半切と同じものでした。文字の大きさ勢いとも、間にこんな経緯(いきさつ)が入りこんでるなど微塵も感じさせない同じものでした。そのときおじさんが、先生の後ろ姿を向こうに凝視していたのは、書かれている四つの文字面(もじずら)よりも半切の左に残っている大きな余白でした。そこには、秋艸道人 會津八一の名前はなにも書かれていませんでした。

 おぼえてます、おぼえてます。兄が立派な表具に納めて持ち帰ったのを襖の上にあげるを手伝ったのは私です。そのあと何も言わずにいつものように黙って夕飯を食べ始めたんで、てっきり預けていたものを取り戻したくらいに皆んな思っていました。お話を聞くまでは、會津八一って先生は、タダであげた書は売りに出されないように名前をつけないケチな人なんだくらいに思っていました。お客で来た人で何でもズケズケ言うひとが同んなじことを言っても、兄は、「そうさねぇ、他人がどう思うかなんてことには執着しないカワリモんの先生だからねぇ」と、かえって褒められたようなニコニコした顔で聞いていました。

 私は、この古老の話を聞いたとき、きっとあの兄のことだから、墨が十分に乾いたあとも、半切に残っっている余白の秋艸道人 會津八一の名前をずっと読んでいたのが想像できました。あの長身の先生の、後ろ姿の消えた冷え切った廊下を向こうにして、いつまでも両の手にもったまま身じろぎもせず直角に曲がって固まった達磨さんのような兄の姿を。

 

 會津八一って先生は、タダであげた書は売りに出されないように名前をつけないケチな人なんだくらいに思っていました。お客で来た人で何でもズケズケ言うひとが同んなじことを言っても、兄は、「そうさねぇ、他人がどう思うかなんてことには執着しないカワリモんの先生だからねぇ」と、かえって褒められたようなニコニコした顔で聞いていました。

 私は、この古老の話を聞いたとき、きっとあの兄のことだから、墨が十分に乾いたあとも、半切に残っっている余白の秋艸道人 會津八一の名前をずっと読んでいたのが想像できました。あの長身の先生の、後ろ姿の消えた冷え切った廊下を向こうにして、いつまでも両の手にもったまま身じろぎもせず直角に曲がって固まった達磨さんのような兄の姿を。

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