聖性異端
私はA子。
女子高生。それ以外に特徴のない、よく窓辺で本を読んでいるようなタイプの子。自虐的と言われるかもだけれど、所謂地味女で取り柄も友達も持っていないダメ人間だ。
とはいえ誰ともかかわってこなかった冷たい人生だけれど、それを私は残念に思ったことはない。
そんな私には最近気になる男の子がいる。(いや、同世代に男の子とかいうのは失礼かもしれない)
誰にでも優しくて、笑顔で何に対してもイエスとしか言わない彼。体操着を忘れた男子生徒がいれば一着しかないのに差し出したり、筋肉痛の子の肩をもんであげたり、筆記用具や教科書類の貸し出しも厭わない同級生。
彼の名前はB太くん。
人におかしいほど尽くす人だ。まるで自分のことを視野に入れてない。助けるために自分の命が必要になった場面があったら真っ先に自死してしまうほどの生存欲求皆無、自尊心崩壊な精神構造をしている青年。
クラスのみんなは彼のことを優しい人(都合のいい奴)としてみているからその狂気性に気づいてないけれど、遠くから見ている私にはその狂気が分かる。
一時期は恩を売っているのかもしれないと思ったけれど、老若男女初対面外国人関係ない。節操なく人助けにいそしんでいる。
外に出ても電車賃でも、謎の紙袋の配達でも、一時間以上の道案内も、学校にいるときのように笑顔を絶やさずに慈善活動を行う。
学校でのソレはまだやろうと思えばできるかもしれないが、これらは明らかにおかしい。
だから私はとうとう聞いてみた。
「B太くん、ちょっといい?」
「ん?A子さん、どうしたの?なにか困りごと?」
困りごと?と笑顔で聞く彼の目、いつもはどんな目をしているのか見たことがなかったからわからなかったけど、背の高い彼を正面にみてこそわかった。
その相貌はゆっくりと餌を飲み込む蛇のようにすら感じる。
優しさと慈悲でできているような彼を見てあり得ない感想が出たと自分でも思った。
「昨日さ、おばあさんの道案内してたよね?」
「あぁうん、したけれどそれが何かな?」
「B太くんって学校でも優しいけど学校の外でもそんな感じなの?」
「困ってる人に親切にするのは当たり前でしょ?気持ちいいじゃない」
なんとも聖人君子的なお言葉。さらりと言えるのはイエス様か詐欺師くらいだと思っていた。文字通りきっと聖人なんだろうな....なんてそこで騙される私でもない。
彼の異常性をむき出しにしたいがために声をかけたんだから、少しはその片鱗を垣間見なくては。
「でも、B太くんってときどき親切の範疇超えるくらい優しい時があるからそれがなんでかなぁ、って思って....」
「?いやだから気持ちいいから?」
「本当にそれだけであそこまでやってるの?」
私の質問にさすがの彼も愛想がついたのか軽くため息をついて、笑顔を弱める。先程までの餌をゆっくり飲み込むような恍惚な表情が少し印象変わりしたように感じる。
慈悲の中にある狂気と獣性は変わらないが、今度は完全に餌として認識されていない。笑顔だけは崩さず路傍の石でも見つめているように感じる。
「....あんまり話したことのないA子さんにこういうことを言うのは気まずいけど、僕は人を甘やかすことに性的快楽を覚える人間なの。気持ちいいからしてるだけなの」
うん?
聞き間違い?
何だろう?
何の間違い?
彼の口からとんでもない言葉が出てきた気がする。いいや、出てきた。
しばらく私は雷に打たれたように固まり誰も居ない廊下に静寂が走り抜ける。
ようやくシナプスを正常に取り戻した私は遅ればせながら驚愕の声を発した。
「!?ちょ、ちょっと待ってよ?気持ちいいってさわやかとか精神的にってことじゃなくて....?」
「肉欲的に、性志向的に。人の幸せが僕の快楽。人の快楽が僕の幸福。逆に人から体を触られてもなんとも思わないよ。なんなら試してみる?」
私の知る教室で見る彼のイメージでは絶対性志向とも性的快楽ともいわない。
それに簡単に「試してみる?」なんてセクハラまがいの発言もしない。
モラルと道徳を重んじたピュア人間がいきなりこの転身のしようでは、予想の斜め上だったと言わざるをえない。
「遠慮します。なんか思っていた人物像とかなり異なるわ。えぇ?クラス内でもあなたってそんなどぎついこと言う人じゃないでしょ?なんでいきなり私にそんなことカミングアウトしてるの?」
聞いておいてなんだが、この男の本性は関わると危険だと脳内の対人警報が告げている。明らかに圧倒的優位の立場から私を弄ぶための玩具としてしか認識していない。
「だって、A子さん僕がどうして人に親切なのかその理由が聞きたくて来たんでしょう?だから答えたまでだよ。みんなは別に僕がどうしてこんなことしてるか気にならないようだし、まぁ別にお互いギブアンドテイクだしいいかなって思って。僕は気持ちよくなりたい、皆は悩みを解決したい。うまく組み合わさってる」
穢れに触れたことのない聖人を俗物まみれの部屋に放置したらきっとこうなるのね、みたいなやばいやつだった。いや、汚染された聖人の思考をさらに自己中心的に排他的に組み替えたらよりこうなるのかもしれない。そしたらもう聖人でも何でもないが。
「聖人君子がとんだ変態だったってことね...」
「別に僕は法に反するようなことはしてないし、風紀を乱すようなこともしてないし、むしろみんなに尽くすいい人だと思うけど?」
「みんなの感謝を食い物にして絶頂している奴を倒錯的な変態と呼んで何が悪いのよ」
「別に僕はみんなの細やかな部分はどうでもいいんだけれどね。ただ僕の甘やかしの対象になっていてほしいだけ。僕の手を離れた後、依存の後遺症でまともな社会生活できなくなっちゃったとしても関係ない」
どれだけ変態でもその甘やかしーー介護スキルはトップレベル、宿題の手伝いからお弁当、スケジュールの管理まで専属秘書かと思うほど彼は他人をサポートするのがうまい。そんな彼がいなくなったらどうなるか。
例えるなら、沖合に出た船が唐突に乗客だけ残して消失するような、生還できないような状態に落されるのは明らか。
「うわぁ....容易に想像できるのがまた嫌ね....あなたのことを知れてがっかりした半面、うれしい反面でもあったわ。B太くんそんな快楽のためなら何でもやっちゃう君にお願いなんだけれどさ」
ここからが本題だ。なんでも狂気的なまでにやってくれる彼だからこそお願いしてみたかったことがある。
ここまでの変態性は予想外だったけれども、私にとってはよりよかったのかもしれない。
「今度こそ本物だろうね?」
彼の目が快楽を欲する獣に変る。
私がこれからどんなことを言うか分かりもしないのに、そうやって前のめりになるのが彼のいいところであり、ダメなところなのだろう。
「私にーーー殺されてくれない?」
再び静寂。
今度は彼が黙る番だった。
大きく目を見開いた後、目を閉じて数秒間考えこむ。やがて、ゆっくりと冬眠から覚めた動物のように緩慢な瞼を開けて、はつらつとした笑顔で言った。
「--いいけど、それはまたなんで?」
「前々から逸脱した性志向の持ち主を見つけるのはうまかったけれど、どうもミイラ取りがミイラになっちゃったみたいで私ーー殺したい衝動が抑えられないの」
そう、殺害衝動こそ私の悩みにして唯一の欠点だった。
いつからこの感情が湧きだしたのかは覚えてなかった。それでも、道で通りすがる人を時たま殺すような想像がフラッシュバックしてくる。
やったわけでもないのに、とても緊張して思わずしゃがみ込みたくなってしまう症状。私は必死にずっと抑え続けたが、もうそろそろ限界が来てしまう。
殺したくない。
殺したい。
道徳心と欲求の二つの感情に引き裂かれそうになった私は、彼という存在を思い出したのだ。
何事にも協力的な彼だったら私に殺されてくれるんじゃないかと。
それは私の欲望が魅せた何の理論もない暴論だったかもしれないが、今ここにこうして約束だてることに成功したのだ。
「ふぅん、僕には他人を食い物にする変態呼ばわりしておいて、自分はもっと変態なんじゃない。殺したい衝動とか....僕だったら抑えてられないね、その我慢強さと命をささげるという最大級の快楽のために君に殺されてあげる。これは親切心じゃなくて本心だから」
「即決するあたり本当に変態だなって思うよ」
命を何と思っているのやら。
それは頼んだ私の言えた義理ではないが。
「変態同士仲良くしようじゃないか。それで?いつやってくれるの?想像したら興奮してきちゃった」
殺す人間。殺されるべき人間。
きっとそんなものはどちらもこの世には存在しえないけれど、そうでも呼ばなきゃ私のこの欲は合理化できない。
「--みんなあなたの本性に気づくべきだわ」
「同感」
この世には頭のおかしいやつであふれてる。
悪人だって一面だけ見れば聖人に見えることもある。
普通の人間だって殺人鬼になることがある。
人形を愛する人だっている、家族を愛する人だっている、たくさんの人間を愛する人だっている、愛し方を知らない人だっている、人の愛を奪う人もいる、傷つけて愛する人もいる。
ただそれが時に悪だといわれるなら、その愛し方ーーその欲望が否定されるなら。
全力で抗うのもまた一つの愛情表現/欲求かもしれない。
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