不言実行の五月二十九日
今日という日は中々に大変な日になるだろう。
何があるか分かっていると心構えが出来ると同時に、尻込みしてしまう。
朝の校門の前でそんな事を思いながら、覚悟が出来る迄校舎を見上げていた。
「統|上手くいくのかな…」
不安になるのも仕方無い。
今日の結果次第では御蔵さんの事も、俺の疑いも、何とか出来る可能性があるんだから。
「統|…よし、行くか」
やる事は決まっている。
後はその時が来るのを待つだけだ。
決心のついた俺は、さっき迄見上げていた校舎の中へと入った。
「要|国東君…一緒に食べませんか…?」
朝に覚悟を決めてから、何の動きの無いまま昼休みになった。
もしかしてこのまま何も起きずに一日が終わるのか…?
と思っていた所に、御蔵さんから昼食のお誘いを受けた。
「統|いいよ。新城さんも一緒だよね?」
「要|いえ…その…二人だけで食べませんか…?」
…あっ…そういう事…
まさか二人きりで弁当を食べるとは思わず、これが誘惑するための行動だと予想もしなかった。
「統|そうなんだ、じゃあ何処で食べようか」
「要|近くの空き教室に行きませんか…?此処ではちょっと…」
「統|別にいいよ。じゃ、行こうか」
成程ね…誰にも邪魔されないように密室を選んだわけか…昨日邪魔してもらうのを止めて正解だったな。
弁当を鞄から取り出して、空き教室に向かいながらそう思った。
「統|そういえば、昨日の放課後に豊中先生にホモ疑惑の事を聞かれてさ、大変だったよ」
「要|先生の耳にも入っていたんですか…」
廊下に出て何も話さないのもどうかと思い、昨日の事を話してみた。
…内容がホモ疑惑の事なのはもう仕方無い…他に話せる事も無いしな…
「統|このままいくと、学年中どころか、学校中にホモ疑惑が広がりそうだな…」
「要|そこ迄いくと、もう手の打ちようがないですね…」
「統|人の噂も七十五日って言うけど……本当にそうかな…?」
「要|変態の噂は三百六十五日は続いてましたしね…」
「統|…今の時点で止めておかないと、ホモだと確定されてしまう気がする…」
止める方法は思いついてるし、余程の事が無いかぎり失敗しないだろうけど考えてしまう。
上手くいかなかったら俺…この学校でやっていけるかな…と。
そんな気分が沈むような事を考えながら、やるべき事をやるために空き教室の扉を開けた。
今、私がやろうとしている事は決して褒められる事じゃない。
誰に何と言われても、私はやらないといけない事がある。
国東君を誘惑するため、私は国東君と一緒にお昼ご飯を食べたいと嘘を吐き、
誰にも邪魔されないように人の居ない空き教室に国東君と二人だけで入った。
教室の外には、あの三人の中の一人が私がちゃんと言われた事をしているか見ているはず。
…そんな事をする理由なんて、知りたくもないし、分かりたくもないけど…
「統|御蔵さんは何処に座る?俺は何処でもいいんだけど…」
私が何をしようとしているのか知らない国東君に寄り添うように、国東君の左手側に密着した。
「統|御蔵さん…?何でこんな事…」
「要|…少しだけ…このままでいいですか…?」
「統|別にいいけど…何か変だよ、どうかした?」
「要|ほんの少しだけ…心の準備をしているだけですから…」
何度も失敗して、どうすれば上手くいくのかまだ分からない。
でも…分からなくてもやらなきゃいけないから…
「要|国東君は…私の事をどう思っていますか?」
「統|どうって…好きか、そうでないかを聞いてるのかな…?」
「要|そういうわけではないんです。…国東君には、私がどういう人間に見えますか…?」
「統|どういうって…外見的な事?それとも、内面的な事?」
「要|内面的な事です。…ちょっとだけ気になって…」
「統|う~ん…そうだね…」
私を見る目が変わる前に、国東君が私の事をどう思っているのか聞いてみる。
最近は国東君に誘惑しようとしてたし…良く思われていない気はするけど…
「統|びくびくしてる事が多くて、臆病とか」
サクッ。
「統|新城さんと一緒に居る時によく、自分じゃ対処しきれないと泣きそうになる泣き虫とか」
グサッ。
「統|それと、俺にホモ疑惑がかけられた時に、
かばうどころか疑いが増すような事を言ったのは酷かったなとか」
グッサリ。
国東君にとって、私はどんな人間か聞いてショックを受けた。
…良くは思われて無いと思ってたけど…そういう方向性で悪く言われるとは思ってなかった…
「統|だけど…」
予想外の方向から来た言葉の刃物に傷付いていると、
言いたい事を言ったと思っていた国東君の口がまた動いた。
「統|心の痛みを知ってるから誰かを傷付けられない、心優しい女の子だって思ってるよ」
「要|国東君…」
さっきの言葉の刃物で付けられた心の傷を治す薬のような言葉に、少し戸惑ってしまう。
「要|私は…そんな人間じゃありませんよ…」
「統|違うと思うけど?特に最初の三つは事実じゃないか」
「要|…私が言ったのは最後の一つだけです…」
最後の一つ以外は自分でも当てはまっていると思ってますよ…
「要|国東君が言ってくれたような心優しい女の子じゃありません。
それに…誰かを傷付けられないわけでもありません…」
「統|俺は、そうは思わないけど?」
「要|…本当の私の事を知ったら…きっと同じ事は言えなくなりますよ…」
そう言って私は、国東君に甘えるようにしがみつく。
その行動に動揺したのか、国東君はぴくっと動いた。
「要|誰かに見られたりしませんから、だから…」
「統|………」
嘘を吐く私に、倒れ込むように体重をかけた国東君は、密着したまま私を床に押し倒した。
「要|ッ…!」
押し倒されたにしては大して痛くはなかった。
だけど、これから私のはじめてが奪われる。
そう思うと、これでいい…これでいいんだ…と自分に言い聞かせても、
やっぱり嫌だという気持ちは大きくなっていった。
「要|いっ…嫌…!」
「統|…す~…」
「要|…えっ?」
微かに聞こえてきた吐息が耳に届く。
注意しないと聞き逃してしまいそうな音は左耳の国東君の口から出ていた。
ゆっくりと顔を向けてみると、目を閉じて眠っている国東君の寝顔がそこにあった。
「要|………」
人が…覚悟を決めて行動したのに…!
「要|…っ!」
怒りと羞恥に染まった私は、思いっきり力を込めて国東君の左頬を叩いた。
大体は俺の思惑通りに事が進んでいる。
このままいけば、御蔵さんはちゃんと俺を誘惑したと勘違いしてくれるだろうし、
俺のホモ疑惑も消えるはずだ。
そして…ここから先は…俺の行動が重要になってくる…
今、俺は御蔵さんにしがみつかれている…いや、誘惑するように纏わりつかれている。
俺がどうやってこの場面を切り抜けるかどうかで、
御蔵さんが傷付くか、あの三人組を騙せるかどうかが決まる。
「要|誰かに見られたりしませんから、だから…」
「統|………」
覚悟を決めているからなのか、無意識になのか、御蔵さんは俺の服をぎゅっと握っていた。
しがみつくように纏わりつかれているため、俺には御蔵さんの顔は見えない。
だけど、御蔵さんの手に込められた力が、今の感情を嫌でも俺に伝えてきている。
だから…俺は御蔵さんを、俺も含めた誰にも傷付かせないために、御蔵さんを床に押し倒した。
「要|ッ…!」
押し倒したと言っても、怪我をさせないように自分から先に落ちたので御蔵さんに痛みは無いだろう。
それよりも、ついさっきばたばたという音が聞こえたけど、
もしかしなくてもあの三人組の内の誰かだろうか?多分一人分の音だと思うけど。
…思っていた通り、御蔵さんがちゃんと言われた事をやっているかどうか監視してたな…
途中で何処かに行ったのは詰めが甘いと思うけど…俺にとっては都合がいいけどな…
そんな事を考えていると、御蔵さんが震えている事に気付く。
…覚悟していても、嫌なものは嫌なんだろう…
だったらその覚悟は必要ない事に気付いてもらおう。
「要|いっ…嫌…!」
「統|…す~…」
「要|…えっ?」
いきなり寝息をたて始めた俺に、御蔵さんは何の音なのか分からなかったのか、間の抜けた声を出した。
だってこの状況、体勢で襲ってない事にするには、眠っている事にするのが一番な方法じゃないか。
「要|………」
眠ったふりをしているから、御蔵さんの表情は全く分からないけど、
きっと、襲われなくてほっとした表情になっているんだろう。
「要|…っ!」
そんな考えは甘いとでも言うかのように、御蔵さんからバチィ!といい音のするビンタをもらった。
…割と痛い…
「統|うえっ?今…何が…」
「要|今…何をしたんですか…?」
「統|えっ…?御蔵さん?ちょっと怖いんだけど…」
静かではあるが、誰が見ても明らかに御蔵さんは怒っていた。
わあ…御蔵さんが怒ってるの初めて見た…何か、まずい事したみたいだな…
「要|もう一度、聞きますね…今…何をしたんですか…?」
「統|何をしたって言われても…急に眠くなって、御蔵さんと一緒に床に倒れたんだけど…」
「要|眠くなった、ですか…」
「統|昨日は、遅くまで勉強してたから。今になって眠気が来たのかも…」
「要|そうですか…もしかして巫山戯てます?」
「統|今の答えのどこに巫山戯てる要素があったかな!」
何?襲われるのを期待してたの?
そう思ってしまうくらい、御蔵さんの怒りは深かった。
「要|確かに嫌だとは思ったけど…これじゃあ襲われる覚悟をしていた私は一体何…?」
「統|………」
聞こえてる…小声だけど聞こえてるよ御蔵さん…
静かな上に、押し倒した体勢のままだから耳元で囁いているのと何も変わらない。
「要|…とりあえず、退いてもらえませんか?」
「統|ああ、ごめん。このままでいると色々とまずいよね」
「要|分かっているのなら早くしてください…」
御蔵さんの頬が多少赤く見えるのは怒っていたからなのか、それとも恥ずかしいからなのか。
赤くなる程怒ってはいなかったので、きっと後者だろう。
「要|はあ…もう教室に戻ります…」
「統|えっ?此処で食べるんじゃなかったの?」
空き教室から出ていこうとする御蔵さんを行かせないような言い方をする。
…今空き教室から出ていかせるわけにはいかないんだ…!
「統|もう食べる準備はしてるんだからさ、教室に戻る必要は無いって」
「要|でっでも…此処で食べる理由は…」
「統|理由なんていらないって。強いて言うなら教室に戻るのが面倒だからだよ」
「要|それは理由になって無いのでは…でも、国東君がそんなに言うのでしたら…」
半ば強制的に御蔵さんを椅子に座らせた俺は、
向かい合って前に二人きりで弁当を食べた時と同じような、会話がほとんど無い昼食を食べる事になった。
「拓|………」
「………」
「………」
「統|…何で…皆して、俺を睨むわけ…?」
しゃべったら死ぬの?と言われてしまいそうなくらいに静かな昼食が終わったと思ったら、
放課後になった今度は拓巳とクラスの男子数人に圧をかけられている。
…無言の圧力怖いって…
「いいからこっち、後で説明するから」
「要|そんな事を言われても…」
「どうしても聞かなきゃいけない事だから」
そこに、御蔵さんと、クラスの女子数人がこっちに近付いてくる。
新城さんは…居ないのか…一体何の用なんだ…?
「話を始める前に…何でこうなったか思い当たる事はあるか…?」
御蔵さんが隣にやって来た所で、睨んできていたクラスメイトの一人がそう言ってきた。
「統|思い当たる事って言われても…何も思い浮かばないんだけど…御蔵さんは何か分かる?」
「要|私も分かりません…」
「拓|無かった事にしたいのか…それとも本当に何もしていないのか…
どっちにしても、俺は悲しいな…」
「統|どういう事だよ?もったいぶらずに言えって」
「そうだな…はっきり言っておこう。榎本、頼む」
まるでとても大事な宣告を任されたように、拓巳は俺の前に来た。
…何で言わない…?
「拓|統次郎…もし、俺がこれから言う事が本当なら、友達として嘘は言わないでほしい…」
「統|深刻そうな顔をされるような事はしてないはずだけど…分かったよ」
真剣な顔をされると緊張するな…
緊迫感のある空気の中、そう思った。
「拓|誰が言ったのか知らないけどな…」
「要|………」
「統|………」
「拓|空き教室で、御蔵さんを襲ったってどういう事だ、統次郎?」
「統|………」
「要|………」
ああ、やっぱりやったか。
そうだよな、俺が襲った事を広めれば御蔵さんに精神的な痛みを与えられるもんな。
最大限の嫌がらせをするなら、俺だって同じ事を思いつくしな。
俺の思惑通りに事が動いている事が分かって、笑みが零れそうになるのを抑える。
「要|そっ…それは…!」
「統|さあ?どうなんだろうな?」
「…はっきり言わないんだな…?」
否定しようとする御蔵さんを制止して、あえてはぐらかすような言い方をする。
そうすると、やはり御蔵さんは納得いかないという様子で小声でせっついてきた。
「要|なっ…何で違うって言わないんですか?」
「統|これでいいんだよ。いや、むしろこうした方がいい」
「要|嘘を言ってる事になってますよ!」
「統|嘘は言ってないよ。これは、俺のホモ疑惑を消すのにちょうどいいじゃないか」
「要|それとこれとは…!」
「拓|二人してこそこそと何を話してるんだ?」
「統|いや、何も?」
まだ何か言いたげな御蔵さんに何も言わせないように話をどんどん進めていく。
「統|俺がはっきり言わないのは、どうせ何を言っても信じないからだ」
「…どっちにしろ、変わらないって思ってるのか?」
「こんな話が流れてる時点で思ってたけど…最低だよね…」
「統|そもそもさ、ついさっき迄ホモだって疑われてたのに、
今度は御蔵さんを襲ったって話を信じるっておかしくない?」
「あっ…」
「言われてみれば…」
「拓|そういえば誰がこんな話をし始めたんだっけか?」
自分達の言ってる事が変だという事に、皆はようやく気付いたようだ。
よく考えれば分かるが、俺がホモだと信じる事と、俺が御蔵さんを襲ったと信じる事。
それはどちらかを否定しなければありえない事なのだ。
俺がホモであるなら御蔵さんを襲うはずが無いし、逆に俺が御蔵さんを襲ったならホモであるはずが無い。
その矛盾ははっきりと否定するよりも、何も言わずにいる方が俺にとって都合がいい。
「統|誰が言ったかなんてどうでもいいよ。御蔵さんも、何も言わないでよ。
言っても仕方無いんだからさ」
「要|あっ…えっと…はい…」
俺の思惑に気付いたからなのか、それとも襲われかけたと言いにくいからなのか。
御蔵さんはこの事に何も言わないでくれた。
まあ…どっちにしたって言えないか…
その後、俺のホモ疑惑と、俺が御蔵さんを襲ったという話は、
まるで最初から無かったかのように静かになった。
…今迄ああだこうだ言ってたのは何だったんだ…




