頭痛のする五月二十五日
私はいつも、皆より早く学校に来るために早い時間の電車に乗っている。
その理由は、会いたくない人に会わないようにするため。
「要|………」
なのに…今私は、会いたくない人と一緒に居る。
部活動の朝練をする人しか居ない朝早い時間に、
私は顔を見るのも嫌な人…私を苦しめる人に呼び出されて、屋上に来ている。
「そんなに嫌そうな顔をしないでもらえる?もっと嫌な思いをさせたくなるじゃない」
彼女の楽しそうに笑う声も、笑顔も、私の心を真綿でゆっくりと締め付けて苦しめるものだった。
「要|…早く…教室に戻らせて…」
「あら、つれないわね。わたし達が朝早く学校に来て、靴箱で待っていたのに」
「気遣ってあげたんだから感謝してほしいくらいよ」
「要|そんな事…私は頼んでなんかいない…!」
大体、私に逃げられないようにするために待ち伏せしてたんでしょ…!
そう思っても口に出す事なんて出来なかった。
言葉にしてしまえば、目の前にいる三人に酷い目に遭わされるから。
「要|用があるなら早くして…」
「そうねえ…あんたに割く時間が惜しいからさっさとしましょうか」
だったら私に構わないで…そう思っていたのが顔に出ていたのか、
私を見ている彼女の笑みが深くなった気がした。
「誘惑、上手くいってないみたいじゃない」
「そこまで難しい事じゃないでしょ?何をやってるのよ」
「要|貴女達が思ってる程、簡単じゃないの…私はちゃんとやってる…」
何処に行っても、国東君が動いた時に邪魔が入って何も無いまま終わってしまう。
まるで狙ったような…というよりも、国東君が狙われているような気がして仕方無い。
…国東君が庇ってくれてるからかな…?
「別にあんたのやり方が悪いとは思ってないわよ。あたしは簡単に誘惑されると思ったのにねえ…」
「服を剥ぎ取るどころか、キスすらも出来ないなんて…
見たいわけじゃないけど、早くやりなさいよって見てて思っちゃたわ」
三人のあまりにも酷い国東君のイメージは、
国東君に告白させられる前の私も同じように持っていたもの。
でも今は、私も、クラスの皆も、国東君はそんな人じゃないと分かっている。
…きっと彼女達は、自分にとって都合のいい事しか信じないのかもしれない。
だから、国東君は変態だって今も思い込んでいるんだと思う。
…もし、違うクラスだからって理由なら、国東君が可哀想すぎる…
私は他のクラスの事なんて知らないからどっちか分からないけど…
「場所が悪いとか?学校なんだからさすがに抑えているのかも」
「そんなわけじゃないでしょ。動こうとしているのは確かなんだから。
…邪魔が入るのも問題なのよね…」
私の意識が横に逸れている間に、二人で何が悪かったのかを考えていたみたいで、話し合っている。
…もう教室に戻りたい…早く終わってほしい…
「仕方無いわ…こうなったらもうキスだけでもいいからしなさい。
程度を下げたんだからちゃんとしなさいよ?」
まるでこんな事も出来ないの?と言いたげな表情をして彼女はそう言ってきた。
こんな風に馬鹿にした態度をとられるのはいつもの事。
だけど、最初の頃程ではなくても嫌な思いにさせられる。
「要|もう話は終わったでしょ…?私はもう行くから…」
「冷たいわね。もっとゆっくり話しましょうよ」
…この人は本当に、私の嫌がる事をしてくる。
しかも、私が嫌がると分かっていてわざとしてくるから質が悪い。
「要|私はもう教室に戻りたいの…」
「強情ねえ…まあ、話す事も無いから行きたければ行けばいいじゃない?」
「要|貴女が止めたのに…!」
「文句を言うの?あたし達に逆らうつもりなのね?」
「そんな度胸は無いでしょ?あったらわたしの言う事を聞いてないわよ」
嘲るような笑みを浮かべた二人は、私を傷付ける言葉を投げつけてくる。
私はその言葉に何も言えず、傷付くだけの自分が悔しかった。
「何であんたは唇を噛んでるのよ、わたしは本当の事を言っただけよ?」
「要|放っておいて…」
「拗ねなくてもいいじゃない。これは国東の事が好きなあんたのためなのよ?」
「要|それは貴女達が吐かせた嘘でしょ!」
「そうね、だからこそ言っているのよ。せいぜいわたしの期待に応えられるようにしなさいよ?」
そう言った彼女達は、私を置き去りにして屋上から出ていった。
私はただ彼女達に言われるままに従うしかない事が辛かった。
…国東君を騙し続ける事が、どうしようもなく悲しかった。
「要|私は…いつまでこの嘘を吐き続けられるんだろう…」
ずっと吐き続けられる嘘なんてない。
必ず国東君は私が嘘を吐いた事を知る。
「要|もし…国東君にこの嘘を知られたら…」
国東君は怒るのかな?それとも呆れるのかもしれない。
どっちだとしても、私が謝れば、しょうがないな、って言って許してくれると思う。
…でも…本当の事を知られたら…
「要|私が、ちゃんと償わなきゃいけない…」
国東君がそれを望まなくても…
どうすれば償いになるかなんて分からないけど、
私は本当の事を知られる前に答えを見つけなきゃいけない。
…これは私の自己満足の行動。
私の身体…私が守っているものを、国東君に捧げる事になるのも厭わない。
だけど…そう思っていても、私は弱くて卑怯だから、心の隅っこでは…
「要|私のはじめては…好きな人とが良かったなあ…」
「統|うえう…!」
何だ!急に悪寒が…!嫌な予感がすっごいする!
朝早く起きたばかりで少し残っていた眠気が無くなる程の寒気が、
朝食と弁当を作っている最中に襲ってきた。
まだ材料を用意している時だったから良かったが、
包丁を使っている時だったら大変な事になってたかもしれない。
「統|この感じは…もしかして新城さん…?」
何か違うような気はするが、
他に嫌な予感を感じさせる人物に心当たりは無いので多分当たっているだろう。
「統|うわ~…学校に行くのが怖いな~…」
学校に行かないなんて出来ないが、行きたくないと思うのは仕方ないだろう。
どう考えてもろくでもない事になるんだろうから。
「統|せめていつ起こるか分かればな…」
杞憂であれば一番いいけど、絶対に何かが起こる予感しかしない…
今日起こる何かを考えるだけで寒気がした。
新城さんが何かをするのに怯えていたら、三限目の授業が終わっていた。
今のところは何も起きていないし、御蔵さんの誘惑も今日は一回も無かった。
…これはこれで怖いけどな…
「統|俺の気のせいだったのかな…?」
気のせいであればいいのだが、何故だろう?油断してはいけないような気がする…
そんな事を思いながら、ジュースでも買いに階段を下りようとした時、
偶然にも空き教室に入っていく三人組を見かけた。
「統|ん?何をやってるんだろ…」
人の居ない所に行ってる時点で、
ろくでもない事を話そうとしているのは明らかなのでこっそり盗み聞きをする事にした。
何だか胸騒ぎがするし…
「御蔵は上手くやれると思う?昨日は全然だったじゃない」
「そうねえ…邪魔さえされなければキスくらいは出来るんじゃないかしら?」
思っていた通り、話の内容は御蔵さんに俺を誘惑させてる事についてだった。
個人的には聞きたくない話だが、嫌な事を言われていようと聞かなければ俺の立場が危うい。
…何でこんな事をしてるんだろうって思うけどね…自分のせいだって分かっていても…
「だけれど、いつまでも待ってられはしないのよね…」
「期限を決めておくべきじゃない?このままだと卒業まで続くかもしれないし」
「もうすぐ試験だものね。それまでに終わってほしいわ…」
「終わらなかったら別の事をしたらいいんじゃない?」
「まあ、それは後で考えましょう」
うわ~…もしかして俺が何もしなかったら、御蔵さんをいじめる方法を変えるって事だよね?
ある意味では歓迎したいが、これって御蔵さんを余計に苦しめる展開になるんじゃあ…
そう思っていたら扉に触れていた手に力が入ってしまい、物音をたててしまった。
「今…音がしなかった?」
「誰かそこに居るの?」
まずい…!こっちに来る気配は無いけど、
このまま盗み聞きを続けられる状況じゃない!見つかる前に逃げよう!
未だ教室で何かを話している三人から離れ、俺は誰にも見られずにその場から逃げ出した。
「統|ふう…ばれずに此処まで来れて良かった…」
元々来るつもりだった自販機のある所まで来て人心地つく。
さっきの話を聞く限り、今回の事は逃げ続けていてはいけない事になったようだ。
…昨日の時点で身がもたないとは思っていたから都合は良かったかな?
「統|でもどうしようかな…」
御蔵さんを傷付ける事なく、御蔵さんの誘惑に乗らないといけない。
矛盾した事を言っているが、これしか方法は無い。
「統|…行動を起こすなら、試験日の前日かな…」
期限がそれより前にならない限りは、今のまま…邪魔をしてもらうのがいいだろう。
…体がもつかどうかは別としてな…
「統|あまり痛い思いをするのは嫌なんだけどな…」
御蔵さんの誘惑してくる回数が少なくなるか、
俺がクラスの皆が投げてくるものを避けられればいいのだが、
それが無理な事はよく分かっているので、
頭を抱えてどうにかあの三人の望み通りにならずに済む方法を考えないといけなかった。
御蔵さんを傷付けずに済む方法…それは今やっている事なのに、
それとは違うやり方をしないといけない。
だけど思いつくのは御蔵さんを傷付ける方法ばかり。
そもそも、簡単に思いつくなら始めからそうしている。
空き教室で盗み聞きをしてから一時間経って、
昼休みになってもどうすればいいか全然分からないままだった。
「統|…弁当でも食べるか…」
もうすぐ拓巳も来るだろうし、今の内に弁当を出しておこう、考えるのはそれからだ。
色々と面倒になって、考えるのをやめて弁当を取り出すために鞄に手を伸ばすと。
「要|国東君、ちょっといいですか…?」
御蔵さんが俺に話しかけてきた。
少し様子がおかしい御蔵さんに嫌な予感がするも、いつも通りに振る舞う。
「統|御蔵さんから来るなんて珍しいね。どうかした?」
「要|此処では人が多いので、別な場所で…来てください」
「統|あっ…ああ、いいけど…」
もしかしなくても誘惑されるのか…
だろうなあという気持ちと、今日はもしかしたら何も起きないかもという気持ちが混ざり合って、
何だか複雑な心境になった。
…朝に感じた嫌な予感はこれだな…
御蔵さんに付いてきて一緒に来たのは屋上だった。
普通は人が来ない場所だが、教室を出て行く姿は見られているはずなので、
誘惑に負けそうになっても邪魔はしてくれるだろう。
俺が本当に心配しているのは別な事だ。
「要|すう~…はあ~…すう~…」
「統|………」
御蔵さんが深呼吸している事と、邪魔をされる時に投げられるだろう何かを避けられるかだ。
御蔵さんが深呼吸しているのは、何かをするための心の準備だろうから、何をされるのかが不安だ。
そして、屋上という場所で誰が何を投げてくるのか分からないから恐ろしい。
だからだろうか?両手が震えているように感じるのは。
「統|…御蔵さん…こんな所に来てまで何がしたいの?」
「要|…本当は気付いているんじゃないですか?」
「統|気付いてるって…?」
「要|私が何のために屋上まで国東君と一緒に来たのか…」
さすがに…惚けるのは無理があるか…
昨日あれだけ誘惑されてれば、今回もって思うのが普通だろうし…
「要|もし気付いているなら…どうして此処まで来たんですか…?行かないと言えばいいのに…」
「統|それは…」
最初から行かなければ、誘惑される事も、痛い目に遭う事も無い。
うん、確かにそうすれば俺は嫌な思いをせずに済む。
だけど、そうしないのは、誘惑される事自体は嫌じゃないから。
…たとえ痛い思いをしてもさ、女の子に迫られたいって思わない?
今迄そういう事に縁が無かったら余計にさ…?
でもそんな本心、口に出したらいけないのは分かってる。
「統|御蔵さんを信じてるから、かな…?」
だから、それらしい事を言って誤魔化すしか無かった。
「統|御蔵さんが俺に…あんな事をするのは、理由があると思ったから。
それに、本当に大事な話だったら聞かないと困るし」
「要|…そんな風に言ってもらえる程、私は良い人間じゃ…」
「統|俺が勝手にそう思ってるだけだよ。それで痛い目を見たら俺のせいなんだし」
「要|そんなの…嘘ですよ…」
まあ、大嘘言ってる自覚はあるけどね。
自分でも、思ってない事を…と言いたくなるような事を言っているが、
こうでも言わないと誰も納得しないだろう。
一部を除いて。
「統|嘘だと思ってもいいよ。
御蔵さんは、好きで人を傷付けられる人間じゃないって俺は思ってるから」
「要|…どうしてそんなに…私の事を…」
「統|だって、自分の事を好きって言ってくれた子を、悪く思えるわけが無いじゃないか」
というか、御蔵さんは自分の意思でやってるわけじゃないんだから、
悪いのは御蔵さんじゃなくてあの三人組の方だろう。
そんな本音を違う形にして言葉にする。
少なくとも、御蔵さんを悪く思えるわけが無いと言ったのは本心からだ。
「統|御蔵さんは自分を卑下しすぎだよ。そんなだと、周りが湿気ってじめじめするよ」
「要|…そうかもしれませんね…」
「統|いや…ボケたつもりだったんだけどな…」
陰気になったからって、湿気は高くはならないってツッコミが欲しかった…
「要|私は…自分が悪いようにしか見れないんです。
どうしても…私は駄目なんだって思ってしまうんです…」
「統|…誰が何を言っても、それは変わらない…?」
御蔵さんは首を横に振った。
自分はそういう人間なんだと、諦めた表情をしながら。
まあ…性格って、簡単には変わらないとは思うけど…
「要|私の心は弱いんです。自分が嫌な事すら嫌だって言えず、
他人を傷付けて自分を守ろうとするくらいに…」
「統|御蔵さん?言ってる事はよく分からないけど、言って大丈夫なのかなそれは?」
ぎりぎりの危険な発言だよ?聞く人が聞いたら今やってる事だって分かっちゃうよ?
下手をすれば御蔵さんの嘘がばれてしまう台詞に分からないふりをするが、かなり無理がある気がする。
「要|もういいんです。全部、私が悪いんですから。…辛い思いをするのは私一人で十分です…」
「統|御蔵さん?落ち着こう?一度落ち着いてから話を…」
「要|何も…言わないでください…」
それなりに体格差があるから御蔵さんからキスはしないと油断していた。
あっ…まずい…
御蔵さんは俺の首に抱きつき、顔と顔とがどんどん近付いていった。
「要|国東君危ない!」
「統|えっ…?」
ガン!




